コラム

ウクライナ人とロシア人が隣り合わせで暮らすNYの今

2022年03月30日(水)16時51分

筆者がYouTubeにアップしたウクライナ国歌の演奏  SENRI OE

<ニューヨークでは、戦争当事国の人々も隣人同士。市内にはウクライナ系が全米最大の約15万人、ロシア系は約60万人が暮らす。大江千里がつづる、身近な「戦争」>

近所のイタリア料理店で働くミハイルはウクライナ人だ。コロナ禍で僕が姿を消し、久しぶりに店に顔を出すと、涙を流して喜んだ。そんな彼の家族や親戚の多くは、まだ元「母国」ロシアにいる。

ソ連からの独立を体験した彼は独立国民であることの誇りや、自由のありがたみを切々と語る。「モスクワの赤の広場では、GPSで位置を確かめようとしても別の場所になっちゃうんだよ。あんな情報操作の国は二度とごめんだ」と、ミハイルは言う。

でも国が分離してもロシアは元母国。彼の得意料理はボルシチだ。

2月24日、ロシアが武力でウクライナに侵攻した。1カ月が過ぎ、西側はウクライナの求める最大限の支援まではなかなか応えることができないでいる。

欧州諸国からすれば、いま武力でウクライナを支援しようものなら地続きの自国が攻撃され第3次世界大戦になる。バイデン米大統領は、ギリギリのところで戦争の当事者に加担しない、という線を守っているように見える。

僕の周りでは、ロシアのプーチン大統領が核を使うのではないかという会話も聞こえる。「デンマークの近くの北海辺りか?」「ロシアはアメリカの『裏庭』ベネズエラに核を持ち込むのか」。

ちょうどかの地の午後の攻撃がこちらの朝になるので、SNSを通してじかに伝わる戦禍の情報を交換したり考察したりする。

アメリカは歴史上、実戦で核兵器を使った唯一の国だ。だからこそ二度と戦争を起こさないために核が必要という考え方も根強い。しかし核を持っているために、核戦争の脅威と常に隣り合わせという現実もある。

アメリカにいると、「戦争」をより身近に感じることもある。よく行くジムの前で、手足のない退役軍人のおじさんが車椅子に乗ってDVDをワゴン販売している。

前線でアメリカのために戦って帰国した彼を警官も黙認し、一緒になって談笑する姿をよく見掛ける。国内にはまだ年若い「戦争体験者」がたくさんいる。

ウクライナ国歌をピアノ演奏

一方で、ニューヨークは世界中からやって来た人々が共存する街だ。戦争当事国の人々も隣人同士であり、市内にはウクライナ系が全米最大の約15万人、ロシア系は約60万人が暮らす。

僕の行きつけのイーストビレッジのウクライナ料理店では支持者たちが募金を行い、いつも客でいっぱいだ。手作りのウクライナ国旗色のクッキーは飛ぶように売れている。この戦争を悲しんでいるのは、ウクライナ人だけでなくロシア人も同じ。募金、デモ、SNSでの発信と、自分にできることをみんなが淡々とやっている。

ミハイルも「とにかく戦いをやめて平安に戻ってほしい」と元母国に対して切に願う。僕は何かできないかと探していて、心を動かされた美しいウクライナ国歌をピアノで演奏しYouTubeにアップした。

ロシア人でプーチン支援者とされる芸術家たちが続々と公の場所から排除されるのも見るに耐えない。今こそ芸術でメッセージを伝えるときだ。

この原稿が掲載される頃に世界情勢がどうなっているか想像もつかないが、僕はこの戦争から目をそらさず日夜ピアノに向かい曲を書いていこうと思う。

プロフィール

大江千里

ジャズピアニスト。1960年生まれ。1983年にシンガーソングライターとしてデビュー後、2007年末までに18枚のオリジナルアルバムを発表。2008年、愛犬と共に渡米、ニューヨークの音楽大学ニュースクールに留学。2012年、卒業と同時にPND レコーズを設立、6枚のオリジナルジャズアルパムを発表。世界各地でライブ活動を繰り広げている。最新作はトリオ編成の『Hmmm』。2019年9月、Sony Music Masterworksと契約する。著書に『マンハッタンに陽はまた昇る――60歳から始まる青春グラフィティ』(KADOKAWA)ほか。 ニューヨーク・ブルックリン在住。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

金正恩氏が列車で北京へ出発、3日に式典出席 韓国メ

ワールド

欧州委員長搭乗機でGPS使えず、ロシアの電波妨害か

ワールド

ガザ市で一段と戦車進める、イスラエル軍 空爆や砲撃

ワールド

ウクライナ元国会議長殺害、ロシアが関与と警察長官 
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:豪ワーホリ残酷物語
特集:豪ワーホリ残酷物語
2025年9月 9日号(9/ 2発売)

円安の日本から「出稼ぎ」に行く時代──オーストラリアで搾取される若者たちの実態は

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    50歳を過ぎても運動を続けるためには?...「動ける体」をつくる4つの食事ポイント
  • 2
    世界でも珍しい「日本の水泳授業」、消滅の危機にあるがなくさないでほしい
  • 3
    映画『K-POPガールズ! デーモン・ハンターズ』が世界的ヒット その背景にあるものは?
  • 4
    上から下まで何も隠さず、全身「横から丸見え」...シ…
  • 5
    首を制する者が、筋トレを制す...見た目もパフォーマ…
  • 6
    BAT新型加熱式たばこ「glo Hilo」シリーズ全国展開へ…
  • 7
    信じられない...「洗濯物を干しておいて」夫に頼んだ…
  • 8
    就寝中に体の上を這い回る「危険生物」に気付いた女…
  • 9
    1日「5分」の習慣が「10年」先のあなたを守る――「動…
  • 10
    シャーロット王女とルイ王子の「きょうだい愛」の瞬…
  • 1
    信じられない...「洗濯物を干しておいて」夫に頼んだ女性が目にした光景が「酷すぎる」とSNS震撼、大論争に
  • 2
    東北で大腸がんが多いのはなぜか――秋田県で死亡率が下がった「意外な理由」
  • 3
    1日「5分」の習慣が「10年」先のあなたを守る――「動ける体」をつくる、エキセントリック運動【note限定公開記事】
  • 4
    25年以内に「がん」を上回る死因に...「スーパーバグ…
  • 5
    50歳を過ぎても運動を続けるためには?...「動ける体…
  • 6
    豊かさに溺れ、非生産的で野心のない国へ...「世界が…
  • 7
    プール後の20代女性の素肌に「無数の発疹」...ネット…
  • 8
    脳をハイジャックする「10の超加工食品」とは?...罪…
  • 9
    日本の「プラごみ」で揚げる豆腐が、重大な健康被害…
  • 10
    首を制する者が、筋トレを制す...見た目もパフォーマ…
  • 1
    「週4回が理想です」...老化防止に効くマスターベーション、医師が語る熟年世代のセルフケア
  • 2
    こんな症状が出たら「メンタル赤信号」...心療内科医が伝授、「働くための」心とカラダの守り方とは?
  • 3
    「自律神経を強化し、脂肪燃焼を促進する」子供も大人も大好きな5つの食べ物
  • 4
    デカすぎ...母親の骨盤を砕いて生まれてきた「超巨大…
  • 5
    デンマークの動物園、飼えなくなったペットの寄付を…
  • 6
    「まさかの真犯人」にネット爆笑...大家から再三「果…
  • 7
    信じられない...「洗濯物を干しておいて」夫に頼んだ…
  • 8
    山道で鉢合わせ、超至近距離に3頭...ハイイログマの…
  • 9
    「レプトスピラ症」が大規模流行中...ヒトやペットに…
  • 10
    「あなた誰?」保育園から帰ってきた3歳の娘が「別人…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story