コラム

アフガニスタン難民の苦難の道のりをアニメーションで描く『FLEE フリー』

2022年06月09日(木)18時00分

アカデミー賞で史上初、国際長編映画賞、長編ドキュメンタリー賞、長編アニメーション賞の3部門同時ノミネートという快挙を成し遂げた......

<アフガニスタン難民の主人公がたどった苦難の道のりを独自のスタイルで描いた『FLEE フリー』は、アカデミー賞で史上初、国際長編映画賞、長編ドキュメンタリー賞、長編アニメーション賞の3部門同時ノミネートとなった......>

デンマークに暮らすアフガニスタン難民の主人公がたどった苦難の道のりを独自のスタイルで描いたヨナス・ポヘール・ラスムセン監督の『FLEE フリー』は、アカデミー賞で、史上初となる国際長編映画賞、長編ドキュメンタリー賞、長編アニメーション賞の3部門同時ノミネートという快挙を成し遂げた。

本作は、ヨナスが映画監督やラジオ・ドキュメンタリー作家としてキャリアをスタートさせる以前、15歳のときのアミン・ナワビ(仮名)との出会いがなければ生まれなかった。アミンはヨナスが住むデンマークの静かな町にひとりでやって来て、ふたりは徐々に親しくなっていった。しかしアミンは、自分の過去については語ろうとしなかった。

後に彼が重い過去を背負っていることを知ったヨナスは、その体験を一緒に描く企画を考えるようになる。卒業後、ラジオのドキュメンタリー番組を手がけるようになったヨナスは、アミンに企画を持ちかけるが、彼にはまだ心の準備ができていなかった。企画は棚上げとなり、時を経てヨナスが思いついたのがアニメーションだった。

アニメーションの可能性、『戦場でワルツを』の影響

これまで実写でドキュメンタリーを撮ってきたヨナスは、どのようにアニメーションに可能性を見出したのか。本作を観て筆者がすぐに連想したのは、ドキュメンタリーとアニメーションを融合させたアリ・フォルマン監督のイスラエル映画『戦場でワルツを』(08)のことだった。

Waltz With Bashir | Official Trailer (2008)


ところが、本作のプレスには、アニメーションというアイディアについて、「2013年に行われたドキュメンタリー=アニメーションのワークショップで、ヨナスはアミンが自身の物語を安全に伝えることができる方法を思い付いた」としか書かれていない。そこで海外のヨナスのインタビューをチェックしてみると、本作を作るうえでインスパイアされた作品として『戦場でワルツを』に言及していた。

では、ヨナスはどのような影響を受けたのか。プレスの「アミンが自身の物語を安全に伝えることができる方法」という記述や、本作の冒頭に「これは実話である。登場する人々の安全のため名前と場所を一部変更した」と出ることが、その答えと思われるかもしれない。しかし、監督のアリの実体験に基づき、彼が本人として登場する『戦場でワルツを』の影響はそれだけではない。ヨナスは海外のインタビューで、どちらもトラウマを扱っていると語っている。

『戦場でワルツを』は、2006年冬のイスラエルから始まる。主人公の映画監督アリは、旧友から26頭の犬たちに襲われる悪夢に悩まされている話を聞かされる。その悪夢は24年前、1982年に起こったレバノン侵攻、彼らが19歳で従軍した戦争の体験と関わりがあるらしい。そしてアリは、奇妙なことに気づく。彼には当時の記憶がまったくなかった。そこで、失われた記憶を取り戻すために、世界中に散らばる戦友たちに取材を始める。

レバノン侵攻とこの戦争が招いたパレスチナ難民キャンプの大量虐殺事件=サブラ・シャティーラの虐殺は、イスラエルの国民にどのような影響を及ぼしたのか。アモス・オズの『贅沢な戦争 イスラエルのレバノン侵攻』には、以下のように綴られている。

0012230763LL.jpg

『贅沢な戦争 イスラエルのレバノン侵攻』 アモス・オズ 千本健一郎訳(晶文社、1993年)


「レバノン戦争のことは何もかも、みんなで忘却の穴倉に押し込めてしまった。約700人の兵士が戦死したのにたいして、敵の戦死者は数千にのぼった。また一万人以上の市民が犠牲になったといわれる。この悪事をしかけた側から見ても『罪のない人』が、である」

『戦場でワルツを』では、そんな戦争がアリの個人的な視点で掘り下げられていく。劇中で、彼の親友の臨床精神科医は、アリのなかで自分の両親がアウシュヴィッツにいたと知ったときの恐怖とレバノンで起こったサブラ・シャティーラの虐殺の恐怖が結びついていると分析する。彼のなかで被害者としてのユダヤ人と加害者としてのユダヤ人がせめぎ合い、戦争の記憶を失うことにつながった。

プロフィール

大場正明

評論家。
1957年、神奈川県生まれ。中央大学法学部卒。「CDジャーナル」、「宝島」、「キネマ旬報」などに寄稿。「週刊朝日」の映画星取表を担当中。著書・編著書は『サバービアの憂鬱——アメリカン・ファミリーの光と影』(東京書籍)、『CineLesson15 アメリカ映画主義』(フィルムアート社)、『90年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)など。趣味は登山、温泉・霊場巡り、写真。
ホームページ/ブログは、“crisscross”“楽土慢遊”“Into the Wild 2.0”

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

米雇用統計、4月予想上回る17.7万人増 失業率4

ワールド

ドイツ情報機関、極右政党AfDを「過激派」に指定

ビジネス

ユーロ圏CPI、4月はサービス上昇でコア加速 6月

ワールド

ガザ支援の民間船舶に無人機攻撃、NGOはイスラエル
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:英語で学ぶ 国際ニュース超入門
特集:英語で学ぶ 国際ニュース超入門
2025年5月 6日/2025年5月13日号(4/30発売)

「ゼロから分かる」各国・地域情勢の超解説と時事英語

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    日本の未婚男性の「不幸感」は他国と比べて特異的に高く、女性では反対に既婚の方が高い
  • 2
    マリフアナを合法化した末路とは? 「バラ色の未来が来るはずだったのに...」
  • 3
    タイタニック生存者が残した「不気味な手紙」...何が書かれていた?
  • 4
    インドとパキスタンの戦力比と核使用の危険度
  • 5
    日々、「幸せを実感する」生活は、実はこんなに簡単…
  • 6
    インド北部の「虐殺」が全面「核戦争」に発展するか…
  • 7
    ウクライナ戦争は終わらない──ロシアを動かす「100年…
  • 8
    目を「飛ばす特技」でギネス世界記録に...ウルグアイ…
  • 9
    MRI検査で体内に「有害金属」が残留する可能性【最新…
  • 10
    悲しみは時間薬だし、幸せは自分次第だから切り替え…
  • 1
    日本史上初めての中国人の大量移住が始まる
  • 2
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 3
    MRI検査で体内に「有害金属」が残留する可能性【最新研究】
  • 4
    中国で「ネズミ人間」が増殖中...その驚きの正体とは…
  • 5
    ロシア国内エラブガの軍事工場にウクライナが「ドロ…
  • 6
    日本の未婚男性の「不幸感」は他国と比べて特異的に…
  • 7
    マリフアナを合法化した末路とは? 「バラ色の未来…
  • 8
    タイタニック生存者が残した「不気味な手紙」...何が…
  • 9
    パニック発作の原因の多くは「ガス」だった...「ビタ…
  • 10
    使うほど脱炭素に貢献?...日建ハウジングシステムが…
  • 1
    【話題の写真】高速列車で前席のカップルが「最悪の行為」に及ぶ...インド人男性の撮影した「衝撃写真」にネット震撼【画像】
  • 2
    日本史上初めての中国人の大量移住が始まる
  • 3
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 4
    健康寿命を伸ばすカギは「人体最大の器官」にあった.…
  • 5
    【心が疲れたとき】メンタルが一瞬で “最…
  • 6
    間食はなぜ「ナッツ一択」なのか?...がん・心疾患・抜…
  • 7
    北朝鮮兵の親たち、息子の「ロシア送り」を阻止する…
  • 8
    【クイズ】世界で最も「半導体の工場」が多い国どこ…
  • 9
    クレオパトラの墓をついに発見? 発掘調査を率いた…
  • 10
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story