コラム

現代美術の巨匠リヒターの人生とドイツ戦後史に新たな光をあてる『ある画家の数奇な運命』

2020年10月01日(木)16時30分

現代美術界の巨匠ゲルハルト・リヒターの人生とともにドイツの戦後史に新たな光をあてる...... (c)2018 PERGAMON FILM GMBH & CO. KG / WIEDEMANN & BERG FILM GMBH & CO. KG

<現代美術界の巨匠ゲルハルト・リヒターの人生と作品にインスパイアされた3時間を超える長編>

デビュー作『善き人のためのソナタ』が多くの賞に輝いたフロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク監督の新作『ある画家の数奇な運命』は、現代美術界の巨匠ゲルハルト・リヒターの人生と作品にインスパイアされた3時間を超える長編だ。

本作でまず確認しておきたいのは、映画化に至る過程だ。ドナースマルクは、リヒターの作品だけでなく、人生にも興味を抱くようになったきっかけを以下のように語っている。


「リヒターの妻の父親が筋金入りのナチで、親衛隊中佐であり、安楽死政策の加害者だったと知ったからだ。リヒターの叔母は、その安楽死政策によってナチに殺害された。しかし、義父は処刑されるどころか、ソ連の捕虜収容所に3年いた後、そこの司令官の妻が難産だった時に、その妻の命と子供を救ったことから釈放された」(プレスより)

この企画をリヒターに持ちかけたドナースマルクは、直接語り合う十分な時間を与えられ、以下の条件で映画化を許された。


「会話の記録は一切外部に漏らさない。人物の名前は変えて、映画のためだけにオリジナルに制作された絵を使い、内容は必要に応じて自由とするが、映画の中で何が真実かを絶対に明かさないこと」(プレスより)

ナチス政権下のドイツ、安楽死政策、そして戦後

そんな映画化の過程に言及したのは、リヒターがドナースマルクの関心をどう受け止めたのかに興味を覚えるからだが、そのことについては後述するとして、肝心の内容に話を進めたい。本作の物語は大きく三つに分けられ、主人公クルト、叔母のエリザベト、そして彼の義父となるゼーバントの三者を軸として展開していく。

まずナチス政権下のドイツ。少年クルトは叔母エリザベトの影響を受け、芸術に親しむ日々を送っている。だが彼女は統合失調症と診断され、強制的に病院に収容され、安楽死政策によって命を奪われる。

次に戦後の東ドイツ。美術学校に進学したクルトは、そこで叔母の面影があるエリーと出会い、恋に落ちる。そして彼女の父親ゼーバントこそが、医師で親衛隊の名誉隊員として叔母を死に追いやった張本人だった。敗戦によって捕虜となった彼は、ソ連軍少佐の妻の難産に対処し、母子の命を救ったことから無罪放免となり、過去を隠して病院長に返り咲いていた。クルトとエリーはそんなことを知る由もなく、やがて結婚する。

そして60年代の西ドイツ。ゼーバントは、57年に彼の庇護者だったソ連軍少佐が異動でモスクワに戻るのを機に西ドイツに逃げ、病院で地位を築いている。以前から社会主義リアリズムに疑問を抱いていたクルトも61年、ベルリンの壁が築かれる直前に妻とともに西ドイツに移住する。美術学校で創作に没頭する彼は、苦しい生活のなかでもがきながら写真をモチーフにしたフォト・ペインティングのスタイルを確立していく。

プロフィール

大場正明

評論家。
1957年、神奈川県生まれ。中央大学法学部卒。「CDジャーナル」、「宝島」、「キネマ旬報」などに寄稿。「週刊朝日」の映画星取表を担当中。著書・編著書は『サバービアの憂鬱——アメリカン・ファミリーの光と影』(東京書籍)、『CineLesson15 アメリカ映画主義』(フィルムアート社)、『90年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)など。趣味は登山、温泉・霊場巡り、写真。
ホームページ/ブログは、“crisscross”“楽土慢遊”“Into the Wild 2.0”

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

ブラックロックの主力ビットコインETF、1日で最大

ワールド

G20の30年成長率2.9%に、金融危機以降で最低

ビジネス

オランダ政府、ネクスペリア管理措置を停止 中国「正

ビジネス

日経平均は反発で寄り付く、米エヌビディア決算を好感
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:世界も「老害」戦争
特集:世界も「老害」戦争
2025年11月25日号(11/18発売)

アメリカもヨーロッパも高齢化が進み、未来を担う若者が「犠牲」に

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    高速で回転しながら「地上に落下」...トルコの軍用輸送機「C-130」謎の墜落を捉えた「衝撃映像」が拡散
  • 2
    「999段の階段」を落下...中国・自動車メーカーがPR動画撮影で「大失態」、遺跡を破壊する「衝撃映像」にSNS震撼
  • 3
    「まじかよ...」母親にヘアカットを頼んだ25歳女性、完成した「信じられない」大失敗ヘアにSNS爆笑
  • 4
    ロシアはすでに戦争準備段階――ポーランド軍トップが…
  • 5
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」…
  • 6
    「これは侮辱だ」ディズニー、生成AI使用の「衝撃宣…
  • 7
    アメリカの雇用低迷と景気の関係が変化した可能性
  • 8
    衛星画像が捉えた中国の「侵攻部隊」
  • 9
    ホワイトカラー志望への偏りが人手不足をより深刻化…
  • 10
    一瞬にして「巨大な橋が消えた」...中国・「完成直後…
  • 1
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」に...日本からは、もう1都市圏がトップ10入り
  • 2
    一瞬にして「巨大な橋が消えた」...中国・「完成直後」の橋が崩落する瞬間を捉えた「衝撃映像」に広がる疑念
  • 3
    「999段の階段」を落下...中国・自動車メーカーがPR動画撮影で「大失態」、遺跡を破壊する「衝撃映像」にSNS震撼
  • 4
    高速で回転しながら「地上に落下」...トルコの軍用輸…
  • 5
    まるで老人...ロシア初の「AIヒト型ロボット」がお披…
  • 6
    「死ぬかと思った...」寿司を喉につまらせた女性を前…
  • 7
    【銘柄】ソニーグループとソニーFG...分離上場で生ま…
  • 8
    【写真・動画】「全身が脳」の生物の神経系とその生態
  • 9
    筋肉の正体は「ホルモン」だった...テストステロン濃…
  • 10
    「ゲームそのまま...」実写版『ゼルダの伝説』の撮影…
  • 1
    【クイズ】本州で唯一「クマが生息していない県」はどこ?
  • 2
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」に...日本からは、もう1都市圏がトップ10入り
  • 3
    英国で「パブ離れ」が深刻化、閉店ペースが加速...苦肉の策は「日本では当たり前」の方式だった
  • 4
    一瞬にして「巨大な橋が消えた」...中国・「完成直後…
  • 5
    【クイズ】ヒグマの生息数が「世界で最も多い国」は…
  • 6
    「不気味すぎる...」カップルの写真に映り込んだ「謎…
  • 7
    【写真・動画】世界最大のクモの巣
  • 8
    【クイズ】クマ被害が相次ぐが...「熊害」の正しい読…
  • 9
    「999段の階段」を落下...中国・自動車メーカーがPR…
  • 10
    まるで老人...ロシア初の「AIヒト型ロボット」がお披…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story