コラム

イランの異才がサスペンスを装って表現したかったこと『誰もがそれを知っている』

2019年05月31日(金)17時00分

ペネロペ・クルスとハビエル・バルデムの夫婦共演も話題  (C)2018 MEMENTO FILMS PRODUCTION - MORENA FILMS SL - LUCKY RED - FRANCE 3 CINÉMA - UNTITLED FILMS A.I.E.

<世界的な注目を集めるイランの異才アスガー・ファルハディが、スペインを舞台に、複雑な人間関係や心理を掘り下げる>

『別離』(11)や『セールスマン』(16)で世界的な注目を集めるイランの異才アスガー・ファルハディの新作『誰もがそれを知っている』は、オール・スペインロケに挑んだ意欲作だ。

アルゼンチンで暮らすラウラが、妹の結婚式に出席するため子供たちを連れてスペインの小さな村に帰省し、老父や姉夫婦ら家族、ワイナリーを営む幼なじみのパコとの再会を果たす。しかしその喜びもつかの間、結婚式の後に催されたパーティーのさなか、ラウラの娘イレーネが失踪し、間もなく巨額の身代金を要求するメッセージが届く。

本作では、ラウラが抱える"秘密"が鍵を握っているように見える。その秘密は、ファルハディの『彼女が消えた浜辺』(09)とは正反対の効果を登場人物たちに及ぼすともいえる。

『彼女が消えた浜辺』では、大学時代の友人とその家族が、保育園の先生も誘って小旅行を楽しむが、その先生が姿を消したとき、エリという名前以外、彼女について何も知らないことがわかり、動揺が広がっていく。これに対して本作では、ラウラの秘密を知る人間が犯人である可能性が浮上するが、題名が物語るように誰もがそれを知っていることがわかり、状況を複雑にしていく。

さらにその秘密は、かつてラウラの恋人だったパコに大きな影響を及ぼす。しかし、パコの行動や決断と秘密を単純に結びつけてしまえば、本作からファルハディらしさは失われ、その魅力が半減することになるだろう。ファルハディは、本作に秘密とは異なる要素を巧みに入れ込み、積み重ね、閉鎖的な村に独特の空気を醸し出し、複雑な人間関係や心理を掘り下げている。

監督が描いてきたイラン社会

それを明らかにするためには、これまでファルハディがイラン社会をどうとらえてきたのかを確認しておく必要がある。本作とイランには何の関係もないが、そこにはイランを掘り下げてきた独自の視点が、しっかりと埋め込まれているからだ。

ファルハディが緻密な脚本と計算されつくした演出で描き出してきたのは、イランの分断された社会であり人々だ。

イランではラフサンジャニ大統領の時代(1989−1997)に中流化が進行した。イラン出身の評論家ハミッド・ダバシの『イラン、背反する民の歴史』によれば、ラフサンジャニは「石油経済に支えられた見せかけの富に頼る中流階級を擁護し」、続くハタミ大統領は「同階級の社会的自由の確保をめざしていた」。

一方でこのふたりの大統領は、「貧困にあえぐ都市部・農村部の厖大な下層民たちの存在」を「置き去りにして無視を決め込んだ」。そして、2005年の大統領選挙では、中流階級に反発する貧困層の人々が保守強硬派のアフマディネジャドを支持し、その圧倒的な勝利の原動力となった。

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『イラン、背反する民の歴史』 ハミッド・ダバシ 田村美佐子・青柳伸子訳(作品社、2008年)

プロフィール

大場正明

評論家。
1957年、神奈川県生まれ。中央大学法学部卒。「CDジャーナル」、「宝島」、「キネマ旬報」などに寄稿。「週刊朝日」の映画星取表を担当中。著書・編著書は『サバービアの憂鬱——アメリカン・ファミリーの光と影』(東京書籍)、『CineLesson15 アメリカ映画主義』(フィルムアート社)、『90年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)など。趣味は登山、温泉・霊場巡り、写真。
ホームページ/ブログは、“crisscross”“楽土慢遊”“Into the Wild 2.0”

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