コラム

アメリカ文明の小宇宙としての図書館『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』

2019年05月20日(月)15時00分

次は、舞台芸術図書館に劇場の手話通訳の第一人者を招き、実演を行う企画。これは奴隷制とは無関係のように思われるだろうが、図書館のスタッフの提案で、独立宣言が通訳の実演に使用される。しかもスタッフは、その独立宣言について以下のような説明を加える。


「この図書館の"最高"の所蔵品の1つがジェファーソンが書いた独立宣言の写しです。大陸会議にかける前の草稿で、そこには奴隷制度を非難する箇所がありましたが、南部の支持を得るため本稿からは削除されました」

つまりここでは、そんな背景を踏まえて「人は平等であり〜」という文言が通訳される。そして、ジェファーソン・マーケット分館で行われる19世紀半ばの奴隷制と労使問題に関する女性研究者のレクチャーによって、埋め込まれたテーマがより明確になる。彼女は、奴隷制が北部の白人労働者に及ぼす影響を、マルクス、リンカーン、南部主義者がそれぞれどうとらえていたのかをもの凄い勢いで語る。そのなかでも特に興味深いのは、以下のような言葉だ。


「次は、現代においても重要な問題です。南部主義者は非常に辛辣に近代社会を批判しました。それは1840年代に多くの支持を得ます。ジョージ・フィッツヒューは著名な社会学者で南部主義者でした。彼は奴隷社会が自由労働社会より優れていると考えました。彼は本を書きました。題は『主人のない奴隷』。その要点は、北部の労働者は主人のいない奴隷である。奴隷が主人を失うとこうなるのだ」

実はこれは、筆者が『グリーンブック』を取り上げたときに書いたことと繋がっている。筆者は、歴史学者デイヴィッド・R・ローディガーの『アメリカにおける白人意識の構築──労働者階級の形成と人種』を参考にして、主人公のひとりであるトニーの差別意識の起源を掘り下げた。それがまさに19世紀半ばであり、奴隷と同一視され、白さ以外のすべてを失うことを恐れた北部の労働者たちは、自分たちより下位の他者との間に一線を引いていった。

5177J1Y4HP.jpg

『アメリカにおける白人意識の構築──労働者階級の形成と人種』デイヴィッド・R・ローディガー 小原豊志・竹中興慈・井川眞砂・落合明子訳(明石書店、2006年)

この女性研究者のレクチャーには、奴隷制という歴史と現代との繋がりを想像させる要素がちりばめられているが、その視点は終盤にタナハシ・コーツのトークが盛り込まれていることと無関係ではない。コーツが具体的に奴隷制に言及することはないが、全米図書賞を受賞した彼の『世界と僕のあいだに』を思い出してみれば、接点が明らかになる。

父から息子への手紙というかたちで、黒人が白人のアメリカを生き抜く術を伝える同書には、これまで抽出してきた断片のまとめにもなりそうな表現がいくつもある。


「問題にすべきは、リンカーンが本心から『人民の政治』を意味していたかどうかではなく、この国が歴史を通じて『人民』という政治用語で実際には何を意味してきたかなんだ。一八六三年当時、それはお前のお母さんやおばあちゃんを意味してはいなかったし、お前や僕を意味してもいなかった」


「肌の色や髪に優劣があるという信条や、肌の色や髪の違いという要因があってこそ社会を正しく組織することができるし、その要因は消せない特徴を表しているんだという観念----こうした信条や観念は新しい考え方なんだよ。自分たちは『白人』だと信じるように育てられてしまった新しい人民の心の中にある新しい考え方なんだ」

41-Qky3ShmL.jpg

『世界と僕のあいだに』タナハシ・コーツ 池田年穂訳(慶應義塾大学出版会、2017年)

さらに、本作のラストの直前では、ハーレム地区の分館を黒人文化研究図書館の館長が訪れ、黒人の住民たちが抱える問題に耳を傾ける様子が映し出される。その対話のなかでも特に印象に残るのが、ウソが書かれた教科書の話題だ。その教科書では、黒人奴隷が「移民労働者」と書かれ、館長もその事実を認め、言語道断だと語る。

アメリカにはふたつの民主主義がある

このように抽出した断片を通して見えてくる奴隷制から現代に至る流れは、決して偶然から生まれるものではない。ワイズマンはアメリカ全体に関わる奥深いテーマから、アメリカを代表する公共図書館の意味を見直している。

あるいは、このような言い方もできるかもしれない。アメリカにはふたつの民主主義がある。ひとつは、コーツの『世界と僕のあいだに』で、「アメリカ人は民主主義を神のように崇める」と表現される民主主義。それがどういうものであるのかは、先の引用から察せられるだろう。もうひとつは、『シビックスペース・サイバースペース』で、「その社会が真に民主主義社会であるかどうかの品質保証をするものが公共図書館」と表現される民主主義。本作では、そんなふたつの民主主義がせめぎ合い、社会における公共図書館の重要性が浮き彫りにされている。

プロフィール

大場正明

評論家。
1957年、神奈川県生まれ。中央大学法学部卒。「CDジャーナル」、「宝島」、「キネマ旬報」などに寄稿。「週刊朝日」の映画星取表を担当中。著書・編著書は『サバービアの憂鬱——アメリカン・ファミリーの光と影』(東京書籍)、『CineLesson15 アメリカ映画主義』(フィルムアート社)、『90年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)など。趣味は登山、温泉・霊場巡り、写真。
ホームページ/ブログは、“crisscross”“楽土慢遊”“Into the Wild 2.0”

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

トランプ氏、ウォルツ大統領補佐官解任へ=関係筋

ビジネス

物言う株主サード・ポイント、USスチール株保有 日

ビジネス

マクドナルド、世界の四半期既存店売上高が予想外の減

ビジネス

米KKRの1─3月期、20%増益 手数料収入が堅調
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:英語で学ぶ 国際ニュース超入門
特集:英語で学ぶ 国際ニュース超入門
2025年5月 6日/2025年5月13日号(4/30発売)

「ゼロから分かる」各国・地域情勢の超解説と時事英語

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    日本の未婚男性の「不幸感」は他国と比べて特異的に高く、女性では反対に既婚の方が高い
  • 2
    マリフアナを合法化した末路とは? 「バラ色の未来が来るはずだったのに...」
  • 3
    タイタニック生存者が残した「不気味な手紙」...何が書かれていた?
  • 4
    ウクライナ戦争は終わらない──ロシアを動かす「100年…
  • 5
    インド北部の「虐殺」が全面「核戦争」に発展するか…
  • 6
    MRI検査で体内に「有害金属」が残留する可能性【最新…
  • 7
    悲しみは時間薬だし、幸せは自分次第だから切り替え…
  • 8
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」では…
  • 9
    クルミで「大腸がんリスク」が大幅に下がる可能性...…
  • 10
    【徹底解説】次の教皇は誰に?...教皇選挙(コンクラ…
  • 1
    日本史上初めての中国人の大量移住が始まる
  • 2
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 3
    MRI検査で体内に「有害金属」が残留する可能性【最新研究】
  • 4
    中国で「ネズミ人間」が増殖中...その驚きの正体とは…
  • 5
    ロシア国内エラブガの軍事工場にウクライナが「ドロ…
  • 6
    日本の未婚男性の「不幸感」は他国と比べて特異的に…
  • 7
    パニック発作の原因の多くは「ガス」だった...「ビタ…
  • 8
    マリフアナを合法化した末路とは? 「バラ色の未来…
  • 9
    使うほど脱炭素に貢献?...日建ハウジングシステムが…
  • 10
    私の「舌」を見た医師は、すぐ「癌」を疑った...「口…
  • 1
    【話題の写真】高速列車で前席のカップルが「最悪の行為」に及ぶ...インド人男性の撮影した「衝撃写真」にネット震撼【画像】
  • 2
    日本史上初めての中国人の大量移住が始まる
  • 3
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 4
    健康寿命を伸ばすカギは「人体最大の器官」にあった.…
  • 5
    【心が疲れたとき】メンタルが一瞬で “最…
  • 6
    間食はなぜ「ナッツ一択」なのか?...がん・心疾患・抜…
  • 7
    北朝鮮兵の親たち、息子の「ロシア送り」を阻止する…
  • 8
    【クイズ】世界で最も「半導体の工場」が多い国どこ…
  • 9
    クレオパトラの墓をついに発見? 発掘調査を率いた…
  • 10
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story