コラム

イタリアで実際に起きた事件を元に描かれた寓話的世界『幸福なラザロ』

2019年04月18日(木)17時00分

このエピソードが意味することは、ジャーナリストのジョルジョ・ボッカが書いた『地獄 それでも私はイタリアを愛する』、その冒頭に収められた「日本の読者へ」に目を通すだけでも察することができるだろう。イタリアにはほとんど交流することのなかった二つの歴史があり、その深い溝が封建制度に縛られてきた南部を歪めることになった。その結果として注目したいのが、以下のような記述だ。


「何百万という農民が都市に流入しながら、働くべき産業がないまま、国家の助成金で生きるほかなくなり、公的資金の分配の流れにはまりこみ、国家に雇われたという形を取ったり、マフィア的経済に頼る形になったりする。選挙の票の売買や、票を買ってくれるような候補者に一票を投じる、そんなものを基盤にした政治制度が、せっかく生まれつつあったあの僅かな民主主義まで殺してしまった」

oba0418a.jpg

『地獄 それでも私はイタリアを愛する』ジョルジョ・ボッカ

そんな現実を踏まえれば、ロルヴァケルがなぜ詐欺事件にこだわってきたのかがわかるだろう。本作の後半で、都市に出た村人たちは、ある意味で以前よりも悲惨な生活を送っている。貯蔵タンクを改造した空間に暮らし、人を騙したり、盗んだりして生計をたてるしかないのだ。

場所や時代をあえて曖昧にしている意味

この村人たちの運命は、南部の現実を象徴しているように見えるが、ロルヴァケルはそれを新たな視点からとらえている。興味深いのは、本作では広範囲にわたるエリアで撮影が行われ、場所や時代が曖昧にされていることだ。彼女はその理由を以下のように語っている。


「私たちはしばしばイタリアを北と南に分け、縦軸の対立について話してきました。しかし今となっては北と南はほとんど変らないと感じています。ところが山あいにある内陸部の村と海岸部の街や都市を比べると、その違いは明らかです。歴史上でも、人類は隔離された場所から開けた場所へ移動してきました。その動きはもう縦軸では語り切れなくなり、斜め、ジグザグ、横方向など、あらゆる方向へ人は動くようになり、より複雑な風景を作り出すことになったのです」(プレスより)

そんなロルヴァケルの独自の視点は、前作『夏をゆく人々』にも反映されている。南部が背景ではなく、トスカーナの辺境と都市が対置されているからだ。しかもそこには、本作へと発展する重要な要素が盛り込まれている。

辺境で囲い込まれたジェルソミーナは、都市を象徴する華やかなテレビ番組に魅了されていく。その番組は、地方の伝統を食い物にするまやかしに過ぎない。彼女は、一家が預かった少年マルティンの存在によって目を開かれる。

更生のために預けられるマルティンは、本作のラザロの原型といえる。彼は、口をきかず、触れられることを拒み、命じられた仕事をこなす。ジェルソミーナはそんな謎めいた人物に試され、自己と世界の繋がりを確立することになる。

これに対して、場所や時代が曖昧にされた本作では、マルティンが時間の外に存在するようなラザロになり、歪んだ制度に取り込まれていく人々が試される。ラザロは、彼を取り巻く人々によって、聖人にも、愚者にも、凶悪な危険人物にもなる。ロルヴァケルは、そんなラザロという鏡にイタリアの過去・現在・未来を映し出しているのかもしれない。

《参照/引用文献》
『地獄 それでも私はイタリアを愛する』ジョルジョ・ボッカ 千種堅訳(三田出版会、1993年)
『イタリア南部・傷ついた風土』クラウディオ・ファーヴァ 中村浩子訳(現代書館、1997年)

プロフィール

大場正明

評論家。
1957年、神奈川県生まれ。中央大学法学部卒。「CDジャーナル」、「宝島」、「キネマ旬報」などに寄稿。「週刊朝日」の映画星取表を担当中。著書・編著書は『サバービアの憂鬱——アメリカン・ファミリーの光と影』(東京書籍)、『CineLesson15 アメリカ映画主義』(フィルムアート社)、『90年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)など。趣味は登山、温泉・霊場巡り、写真。
ホームページ/ブログは、“crisscross”“楽土慢遊”“Into the Wild 2.0”

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

金総書記、プーチン氏に新年メッセージ 朝ロ同盟を称

ワールド

タイとカンボジアが停戦で合意、72時間 紛争再燃に

ワールド

アングル:求人詐欺で戦場へ、ロシアの戦争に駆り出さ

ワールド

ロシアがキーウを大規模攻撃=ウクライナ当局
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:ISSUES 2026
特集:ISSUES 2026
2025年12月30日/2026年1月 6日号(12/23発売)

トランプの黄昏/中国AI/米なきアジア安全保障/核使用の現実味......世界の論点とキーパーソン

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    ウクライナ水中ドローンが、ロシア潜水艦を爆破...「史上初の攻撃成功」の裏に、戦略的な「事前攻撃」
  • 2
    『SHOGUN 将軍』の成功は嬉しいが...岡田准一が目指すのは、真田広之とは「別の道」【独占インタビュー】
  • 3
    【世界を変える「透視」技術】数学の天才が開発...癌や電池の検査、石油探索、セキュリティゲートなど応用範囲は広大
  • 4
    アジアの豊かな国ランキング、日本は6位──IMF予測
  • 5
    90代でも元気な人が「必ず動かしている体の部位」と…
  • 6
    中国、米艦攻撃ミサイル能力を強化 米本土と日本が…
  • 7
    アベノミクス以降の日本経済は「異常」だった...10年…
  • 8
    中国、インドをWTOに提訴...一体なぜ?
  • 9
    「衣装がしょぼすぎ...」ノーラン監督・最新作の予告…
  • 10
    【クイズ】世界で最も1人当たりの「ワイン消費量」が…
  • 1
    90代でも元気な人が「必ず動かしている体の部位」とは何か...血管の名医がたどり着いた長生きの共通点
  • 2
    アジアの豊かな国ランキング、日本は6位──IMF予測
  • 3
    『SHOGUN 将軍』の成功は嬉しいが...岡田准一が目指すのは、真田広之とは「別の道」【独占インタビュー】
  • 4
    「食べ方の新方式」老化を防ぐなら、食前にキャベツ…
  • 5
    ウクライナ水中ドローンが、ロシア潜水艦を爆破...「…
  • 6
    中国、インドをWTOに提訴...一体なぜ?
  • 7
    【過労ルポ】70代の警備員も「日本の日常」...賃金低…
  • 8
    海水魚も淡水魚も一緒に飼育でき、水交換も不要...ど…
  • 9
    批評家たちが選ぶ「2025年最高の映画」TOP10...満足…
  • 10
    アベノミクス以降の日本経済は「異常」だった...10年…
  • 1
    日本がゲームチェンジャーの高出力レーザー兵器を艦載、海上での実戦試験へ
  • 2
    90代でも元気な人が「必ず動かしている体の部位」とは何か...血管の名医がたどり着いた長生きの共通点
  • 3
    人口減少が止まらない中国で、政府が少子化対策の切り札として「あるもの」に課税
  • 4
    アジアの豊かな国ランキング、日本は6位──IMF予測
  • 5
    日本人には「当たり前」? 外国人が富士山で目にした…
  • 6
    【銘柄】オリエンタルランドが急落...日中対立が株価…
  • 7
    日本の「クマ問題」、ドイツの「問題クマ」比較...だ…
  • 8
    「勇気ある選択」をと、IMFも警告...中国、輸出入と…
  • 9
    【衛星画像】南西諸島の日米新軍事拠点 中国の進出…
  • 10
    『SHOGUN 将軍』の成功は嬉しいが...岡田准一が目指…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story