コラム

アメリカの縮図という泥沼でもがく人々、映画『スリー・ビルボード』

2018年01月31日(水)17時10分

そしてもうひとつは、マクドナー監督が、閉鎖的な田舎町と外部を巧みに結びつけ、世界を広げようとしていることだ。ミルドレッドの長広舌は私たちに、全米を揺るがしたカトリック教会の聖職者による児童への性的虐待問題を思い出させる。そのことについては、この問題を扱ったトム・マッカーシー監督の『スポットライト 世紀のスクープ』を取り上げたときに詳しく書いているので、そちらを参照していただきたい。

同様の狙いは他にも見られる。舞台がミズーリ州で、ディクソンのような人種差別主義者の警官が登場し、ミルドレッドが「警察は黒人いじめに忙しくて本当の犯罪を解決しない」と発言すれば、どうしても2014年に同州のファーガソンで、丸腰の18歳の黒人マイケル・ブラウンが白人警官に射殺された事件を思い出してしまう。この事件では抗議の波が全米に広がり、暴動にも発展した。

ちなみに、ハイチ出身のラウル・ペック監督が、ジェームズ・ボールドウィンの著作や活動にインスパイアされて作ったドキュメンタリー『私はあなたのニグロではない』(5月公開予定)にも、この事件から巻き起こった抗議の光景がしっかり盛り込まれている。

イラク戦争との繋がりが暗示される

さらに、思わぬところから事件の容疑者が浮上するという展開にも狙いが見え隠れする。興味深いのは、その展開のなかでイラク戦争との繋がりが暗示されることだ。そこで筆者がすぐに思い出したのは、ブライアン・デ・パルマが監督の『リダクテッド 真実の価値』(07)のことと、その物語のベースになった実話のことだ。

それは、2006年にイラクで、アメリカ兵が14歳のイラク人少女をレイプし、彼女とその家族を殺害し、少女の遺体を焼いたとされる事件だ。なぜイラク戦争との繋がりが暗示されるだけでそれを思い出したかといえば、ミルドレッドの娘がレイプされて殺されただけでも母親にとって耐えがたい悲劇であるのに、焼かれてもいたということが気になっていたからだ。

この映画の舞台となるエビングは閉鎖的な田舎町だが、こちらの想像をかきたてるマクドナー監督の話術によって、それがいつしか様々な問題を抱えるアメリカの縮図のように見えてくる。

そんな世界のなかで、先述した同罪の理論に突き動かされるミルドレッドやディクソンの行動の目的が曖昧になっていくとき、象徴的なもうひとつの物語が浮かび上がってくる。それは、アメリカの縮図という泥沼のなかで、それぞれにもがきながら思わぬかたちで触れ合い、抜け出そうとしていく人びとの物語だといえる。


○『スリー・ビルボード』
2月1日から全国公開

プロフィール

大場正明

評論家。
1957年、神奈川県生まれ。中央大学法学部卒。「CDジャーナル」、「宝島」、「キネマ旬報」などに寄稿。「週刊朝日」の映画星取表を担当中。著書・編著書は『サバービアの憂鬱——アメリカン・ファミリーの光と影』(東京書籍)、『CineLesson15 アメリカ映画主義』(フィルムアート社)、『90年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)など。趣味は登山、温泉・霊場巡り、写真。
ホームページ/ブログは、“crisscross”“楽土慢遊”“Into the Wild 2.0”

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

マスク氏のテスラ巨額報酬復活、デラウェア州最高裁が

ワールド

米、シリアでIS拠点に大規模空爆 米兵士殺害に報復

ワールド

エプスタイン文書公開、クリントン元大統領の写真など

ワールド

アングル:失言や違法捜査、米司法省でミス連鎖 トラ
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:教養としてのBL入門
特集:教養としてのBL入門
2025年12月23日号(12/16発売)

実写ドラマのヒットで高まるBL(ボーイズラブ)人気。長きにわたるその歴史と深い背景をひもとく

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「最低だ」「ひど過ぎる」...マクドナルドが公開したAI生成のクリスマス広告に批判殺到
  • 2
    「勇気ある選択」をと、IMFも警告...中国、輸出入ともに拡大する「持続可能な」貿易促進へ
  • 3
    日本がゲームチェンジャーの高出力レーザー兵器を艦載、海上での実戦試験へ
  • 4
    懲役10年も覚悟?「中国BL」の裏にある「検閲との戦…
  • 5
    中国最強空母「福建」の台湾海峡通過は、第一列島線…
  • 6
    おこめ券、なぜここまで評判悪い? 「利益誘導」「ム…
  • 7
    ゆっくりと傾いて、崩壊は一瞬...高さ35mの「自由の…
  • 8
    待望の『アバター』3作目は良作?駄作?...人気シリ…
  • 9
    一瞬にして「巨大な橋が消えた」...中国・「完成直後…
  • 10
    ロシア、北朝鮮兵への報酬「不払い」疑惑...金正恩が…
  • 1
    日本がゲームチェンジャーの高出力レーザー兵器を艦載、海上での実戦試験へ
  • 2
    人口減少が止まらない中国で、政府が少子化対策の切り札として「あるもの」に課税
  • 3
    「勇気ある選択」をと、IMFも警告...中国、輸出入ともに拡大する「持続可能な」貿易促進へ
  • 4
    【実話】学校の管理教育を批判し、生徒のため校則を…
  • 5
    「最低だ」「ひど過ぎる」...マクドナルドが公開した…
  • 6
    ミトコンドリア刷新で細胞が若返る可能性...老化関連…
  • 7
    自国で好き勝手していた「元独裁者」の哀れすぎる末…
  • 8
    【銘柄】資生堂が巨額赤字に転落...その要因と今後の…
  • 9
    香港大火災の本当の原因と、世界が目撃した「アジア…
  • 10
    身に覚えのない妊娠? 10代の少女、みるみる膨らむお…
  • 1
    日本がゲームチェンジャーの高出力レーザー兵器を艦載、海上での実戦試験へ
  • 2
    人口減少が止まらない中国で、政府が少子化対策の切り札として「あるもの」に課税
  • 3
    日本人には「当たり前」? 外国人が富士山で目にした「信じられない」光景、海外で大きな話題に
  • 4
    【銘柄】オリエンタルランドが急落...日中対立が株価…
  • 5
    「髪形がおかしい...」実写版『モアナ』予告編に批判…
  • 6
    日本の「クマ問題」、ドイツの「問題クマ」比較...だ…
  • 7
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるよ…
  • 8
    「勇気ある選択」をと、IMFも警告...中国、輸出入と…
  • 9
    高速で回転しながら「地上に落下」...トルコの軍用輸…
  • 10
    インド国産戦闘機に一体何が? ドバイ航空ショーで…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story