コラム

シリアの惨状を伝える膨大な映像素材を繋ぎ合わせた果てに、愛の物語が生まれる

2016年05月17日(火)15時40分

祖国の惨状を伝える膨大な映像素材を収集し、それらを再構築する独自の表現を模索する。オサーマ・モハンメド監督『シリア・モナムール』

 シリア人の監督オサーマ・モハンメドが作り上げた『シリア・モナムール』は、アラブの春以降の変動のなかで戦場と化し、殺戮が繰り返されてきたシリアを題材にしたドキュメンタリーだが、そこから浮かび上がる世界は既成のドキュメンタリーとはまったく違う。

 オサーマは、自身が緊迫した現場に乗り込んで、現実を切り取っているわけではない。彼は2011年のカンヌ国際映画祭のパネルディスカッションで、政府軍に不当に拘束され政治犯にされた人々の釈放を訴えたために、フランスへの亡命を余儀なくされた。そして、亡命先のパリで、祖国の惨状を生々しく伝える映像がネット上に日々アップされるのを目にした彼は、膨大な映像素材を収集し、それらを再構築する独自の表現を模索するようになった。

 さらにもうひとつ、オサーマの意識を変える出来事が起こる。シリアのホムス在住のクルド人女性シマヴからSNSを通してメッセージが届き、彼女との交流が始まったのだ。オサーマは、彼女が撮影して送ってくる映像にインスピレーションを受け、パリで疎外感や無力感に苛まれている映像作家と政府軍に包囲されたホムスでカメラを回し続ける女性をめぐる物語が紡ぎ出されることになった。

 これは、無数のシリア人が撮影した映像から成る斬新なスタイルのドキュメンタリーともいえるし、運命的に出会った男女の愛の物語と見ることもできる。だが筆者は、それらとは異なる意味で、その深みのある世界に引き込まれた。筆者がこの映画を観て思い出していたのは、昨年公開されたシリア人のタラール・デルキが監督したドキュメンタリー『それでも僕は帰る〜シリア 若者たちが求め続けたふるさと〜』(13)のことだ。この2本の映画を結びつけてみると、オサーマの意識の変化が印象深いものになる。

監督のオサーマはこれまで様々な犠牲を払って映画を作ってきた

 『それでも僕は帰る〜』では、タラール・デルキ監督が、2011年の夏から反体制派の拠点のひとつであるホムスで活動するふたりの若者たちを追い続ける。サッカーのユース代表チームのゴールキーバーとして活躍したバセットは、歌とカリスマ性によって大衆を引きつけ、民主化運動のリーダーになる。彼の友人であるオサマは、カメラでデモなどを撮影し、ネットにアップして抵抗運動を広げようとする。

 しかし、2012年に入ってホムスが政府軍の容赦ない攻撃にさらされ、多くの市民が殺害されると、バセットのグループは抵抗運動を武装闘争へと転換していく。一方、オサマは政府による激しい弾圧のなかで重傷を負い、入院を余儀なくされる。そんな彼が退院すると抵抗運動の様相は一変している。やがて彼は姿を消してしまう。結局、バセットのグループは民主化運動から離れて、政府と乱立する反体制組織の対立という二元論的な図式に回収され、オサマが体現していた映像の力はその存在感を失っていくように見える。

 『シリア・モナムール』はそんな流れを踏まえてみるとより興味深い。監督のオサーマはこれまで様々な犠牲を払って映画を作ってきた。前作の脚本を書いているときには、電気技師の兄弟が投獄され、当局から脚本の内容をおとなしいものにしないと兄弟が拷問されると脅迫された。彼はそれでも変更を加えることなく、兄弟に敬意を表すために映画を作ったという。

プロフィール

大場正明

評論家。
1957年、神奈川県生まれ。中央大学法学部卒。「CDジャーナル」、「宝島」、「キネマ旬報」などに寄稿。「週刊朝日」の映画星取表を担当中。著書・編著書は『サバービアの憂鬱——アメリカン・ファミリーの光と影』(東京書籍)、『CineLesson15 アメリカ映画主義』(フィルムアート社)、『90年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)など。趣味は登山、温泉・霊場巡り、写真。
ホームページ/ブログは、“crisscross”“楽土慢遊”“Into the Wild 2.0”

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