コラム

NZテロをなぜ遺族は許したか──トルコ大統領が煽る報復感情との比較から

2019年03月22日(金)12時30分

開発途上国とりわけイスラーム世界に、欧米諸国によって自分たちが虐げられてきた、あるいは不利に扱われている、という感覚があることは疑いない。また、欧米諸国にイスラーム世界への偏見や反感があることも確かだ。

それでも、あるいはだからこそ、エルドアン大統領の言動は偏見や敵意を振りまくものという意味で危険であるばかりか、確かに不当でもある。

許すということ

それだけでなく、エルドアン大統領の言動は、白人キリスト教徒への反感を煽るものではあっても、クライストチャーチでの犠牲者や遺族のことを思ったものであるかは疑わしい。

クライストチャーチの事件で妻を亡くしたバングラデシュ出身の男性は海外メディアのインタビューに対して、「自分は妻を亡くした。しかし殺人者を憎まない...自分は彼(タラント容疑者)を許したので、彼のために祈っている」と述べた。

英語で言うforgive(許す)とは、害を与えた者を道徳的に非難しないという意味だ。だから、「法的に罪を問わない」「刑罰を免除してやってほしい」と言っているわけではなく(その場合は「赦す(pardon)」)、「罪は罪として償うべきだが、人間として憎まない」という趣旨で理解すべきだろうが、それにしても「仇を許す」のはなぜか。それは「優しさ」や「弱さ」の表れなのだろうか。恐らく、そうではない。

社会心理学者のエーリッヒ・フロムは、精神分析の観点から「復讐」について述べている。それによると、「復讐の動機は、集団あるいは個人の強さと生産性に反比例する」。つまり、精神的、物質的に自立していて、成熟した人ほど、復讐に突き動かされることが少なく、そうでない人ほど辛い経験をした際に報復感情に駆られやすいというのだ。

だとすれば、「仇を許せる人」は人間として強い者といえる。

1980年代に人気を博した時代劇「必殺仕事人」では、「晴らせぬ恨みを晴らす」仕事人に仕事(つまり暗殺)を頼む依頼人のほとんどが、理不尽な権力や暴力によって全てを失い、再起すら困難で、復讐がなければ自尊心すら保てない人々として描かれていた。これは、フロムの考察に照らせば、ドラマの演出以上の意味があるとみてよい。

強いのは誰か

「復讐の非生産性」を指摘したフロムは、そのうえで辛い経験を克服するために「前を向く」ことの重要性を指摘している。

プロフィール

六辻彰二

筆者は、国際政治学者。博士(国際関係)。1972年大阪府出身。アフリカを中心にグローバルな政治現象を幅広く研究。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学、日本大学などで教鞭をとる。著書に『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『世界の独裁者 現代最凶の20人』(幻冬舎)、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、共著に『グローバリゼーションの危機管理論』(芦書房)、『地球型社会の危機』(芦書房)、『国家のゆくえ』(芦書房)など。新著『日本の「水」が危ない』も近日発売

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