コラム

長崎男児殺害事件から20年──誘拐現場、殺害現場はどちらも「入りやすく見えにくい場所」だった

2023年06月29日(木)19時15分

このように、不特定多数の人が集まる場所では犯行に気づきにくい。そこが犯罪者の狙い目である。仮に犯行がバレたとしても、不特定多数の人が集まる場所では、犯行が制止されたり、通報されたりする可能性も低い。

人が多い場所では、犯行に気づいても、「たくさんの人が見ているから、自分でなくても誰かが行動を起こすはず」と思って、制止や通報を控える傾向がある。居合わせた人全員がそう思うので、結局誰も行動を起こさない。その様子を見て誰かが行動を起こすかといえば、今度は、「誰も行動を起こさないところを見ると、深刻な事態ではない」と判断してしまう。

こうした心理は「傍観者効果」と呼ばれている。プリンストン大学のジョン・ダーリー教授と人間科学センターのビブ・ラタネ所長が、実験によってその存在を証明した。

二人は、仕事帰りの女性が自宅アパート前で暴漢に刺殺された米ニューヨークのキティ・ジェノヴェーゼ事件(1964年)に触発されて研究に取り組んだ。この事件では、38人の目撃者が誰一人として警察に通報せず、見て見ぬふりしたと、その冷淡さが非難されていた。

しかし、ダーリー教授とラタネ所長の結論は違った。その結論は、多くの人が被害者を助けなかったのは、その人たちの性格が冷淡だからではなく、その人たちが他人の存在を意識したからであるというものだった。

例えば、あなたが一人で電車に乗っているとしよう。そこに見知らぬ男が乗り込んできた。とその時、バタッと床に倒れた。この場合、あなたは必ず助けるだろう。だが乗客が30人いたらどうだろう。この場合、一人ひとりの責任は30分の1に減る。その結果、自分でなくても誰かが助けるだろうと誰もが判断する、というのが社会心理学の主張だ。

このように、不特定多数の人が集まる場所は、周囲の積極的な関与を犯罪者が恐れる必要のない、つまり、心理的に「入りやすく見えにくい場所」なのである。

屋上は「見えにくい場所」

次に、この事件の殺害現場は、物理的に「入りやすく見えにくい場所」だった。この事件では、7階建ての立体駐車場の屋上から、男児が突き落とされた。立体駐車場の入り口を見ると、料金の徴収員がブース内に座っているが、駐車場の中を向いていて、道路に背を向けている(写真1)。そのため、徴収員に気づかれずに、階段とエレベーターホールに続くビル横の通路に入れる。つまり、この立体駐車場は「入りやすい場所」だったのだ。

komiya230629_1.jpg

立体駐車場の入り口(筆者撮影)

そして、屋上は「見えにくい場所」だった。なぜなら、屋上は見晴らしがよく、死角はほとんどないが、人の視線そのものがなく、どこからも、誰からも見てもらえそうにないからだ(写真2)。「見えにくい場所」は、死角がある場所に限られるわけではないのである。

komiya230629_2.jpg

立体駐車場の屋上(筆者撮影)

プロフィール

小宮信夫

立正大学教授(犯罪学)/社会学博士。日本人として初めてケンブリッジ大学大学院犯罪学研究科を修了。国連アジア極東犯罪防止研修所、法務省法務総合研究所などを経て現職。「地域安全マップ」の考案者。警察庁の安全・安心まちづくり調査研究会座長、東京都の非行防止・被害防止教育委員会座長などを歴任。代表的著作は、『写真でわかる世界の防犯 ——遺跡・デザイン・まちづくり』(小学館、全国学校図書館協議会選定図書)。NHK「クローズアップ現代」、日本テレビ「世界一受けたい授業」などテレビへの出演、新聞の取材(これまでの記事は1700件以上)、全国各地での講演も多数。公式ホームページとYouTube チャンネルは「小宮信夫の犯罪学の部屋」。

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

デジタルユーロ、EU理事会がオンライン・オフライン

ビジネス

スペースXのIPO、モルガンSが主幹事最有力 マス

ビジネス

BofA、投資銀行部門の賞与引き上げへ 20%増も

ビジネス

ビットコインの12カ月予測14万3000ドル、規制
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:教養としてのBL入門
特集:教養としてのBL入門
2025年12月23日号(12/16発売)

実写ドラマのヒットで高まるBL(ボーイズラブ)人気。長きにわたるその歴史と深い背景をひもとく

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「食べ方の新方式」老化を防ぐなら、食前にキャベツよりコンビニで買えるコレ
  • 2
    【過労ルポ】70代の警備員も「日本の日常」...賃金低く、健康不安もあるのに働く高齢者たち
  • 3
    待望の『アバター』3作目は良作?駄作?...人気シリーズが直面した「思いがけない批判」とは?
  • 4
    日本がゲームチェンジャーの高出力レーザー兵器を艦…
  • 5
    【衛星画像】南西諸島の日米新軍事拠点 中国の進出…
  • 6
    懲役10年も覚悟?「中国BL」の裏にある「検閲との戦…
  • 7
    米空軍、嘉手納基地からロシア極東と朝鮮半島に特殊…
  • 8
    週に一度のブリッジで腰痛を回避できる...椎間板を蘇…
  • 9
    【銘柄】資生堂が巨額赤字に転落...その要因と今後の…
  • 10
    【実話】学校の管理教育を批判し、生徒のため校則を…
  • 1
    日本がゲームチェンジャーの高出力レーザー兵器を艦載、海上での実戦試験へ
  • 2
    人口減少が止まらない中国で、政府が少子化対策の切り札として「あるもの」に課税
  • 3
    「勇気ある選択」をと、IMFも警告...中国、輸出入ともに拡大する「持続可能な」貿易促進へ
  • 4
    【実話】学校の管理教育を批判し、生徒のため校則を…
  • 5
    「最低だ」「ひど過ぎる」...マクドナルドが公開した…
  • 6
    ミトコンドリア刷新で細胞が若返る可能性...老化関連…
  • 7
    自国で好き勝手していた「元独裁者」の哀れすぎる末…
  • 8
    「食べ方の新方式」老化を防ぐなら、食前にキャベツ…
  • 9
    空中でバラバラに...ロシア軍の大型輸送機「An-22」…
  • 10
    身に覚えのない妊娠? 10代の少女、みるみる膨らむお…
  • 1
    日本がゲームチェンジャーの高出力レーザー兵器を艦載、海上での実戦試験へ
  • 2
    人口減少が止まらない中国で、政府が少子化対策の切り札として「あるもの」に課税
  • 3
    日本人には「当たり前」? 外国人が富士山で目にした「信じられない」光景、海外で大きな話題に
  • 4
    【銘柄】オリエンタルランドが急落...日中対立が株価…
  • 5
    日本の「クマ問題」、ドイツの「問題クマ」比較...だ…
  • 6
    「勇気ある選択」をと、IMFも警告...中国、輸出入と…
  • 7
    インド国産戦闘機に一体何が? ドバイ航空ショーで…
  • 8
    【衛星画像】南西諸島の日米新軍事拠点 中国の進出…
  • 9
    健康長寿の鍵は「慢性炎症」にある...「免疫の掃除」…
  • 10
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるよ…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story