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犯行要因を空間に求める「犯罪機会論」が防犯対策の主流になるまで
犯行現場を研究する「犯罪機会論」が防犯対策の柱に(写真はイメージです) liebre-iStock
<海外でも1970年代までは主流だったはずの「犯罪原因論」は、どのようにして求心力を失っていったのか? 日本で「犯罪機会論」が普及しないのはなぜか?>
犯罪学では、人に注目する立場を「犯罪原因論」、場所に注目する立場を「犯罪機会論」と呼んでいる。しかし日本では、犯罪原因論しか知られていない。その結果、防犯対策をめぐってボタンの掛け違いが起こり、奇妙な「不審者」という言葉に振り回されることになった。
ただし、海外でも1970年代までは犯罪原因論が主流だった。効果と副作用の両面から犯罪原因論に厳しい批判が向けられた結果、犯罪機会論に大きくシフトしたのだ。
「被害者学」の台頭
まず、有効性の問題については、ニューヨーク市立大学のロバート・マーティンソンが1974年に発表した論文がゲームチェンジャー(状況を一変させるもの)になった。これが、犯罪原因論の効果を疑問視する声の盛り上がりを生んだ。
マーティンソンは論文の中で、「少数単独の例外はあるものの、これまでに報告されている更生の取り組みは、再犯に対して目に見える効果を上げていない」と主張した。このような「何をやっても駄目」(nothing works)と考える立場は、犯罪者の異常な人格や劣悪な境遇に犯罪の原因があるとしても、それを特定することは困難であり、仮に特定できたとしても、その原因を刑務所で取り除くことは一層困難である、ということを根拠にしている。
このように、刑務所の取り組みに再犯防止の効果が期待できないとなると、刑罰の存在意義が揺らいでくる。その結果、「犯罪が行われないように罰する」という従来の見方(功利主義的刑罰観)から、「当然の報い」(just deserts)として「犯罪が行われたから罰する」という単純な見方(応報主義的刑罰観)へと、刑罰の意味が変わった。
一方、副作用の問題については、「犯罪原因論は人権侵害につながる」と主張されるようになった。なぜなら、犯罪者が抱える「原因」が取り除かれるまで収容できる刑罰(不定期刑)の下では、軽犯罪しか行っていない者でも、更生したと認められなければ、刑務所に長期間入れておくことができるからだ。再犯防止の役割を刑罰に期待する功利主義的刑罰観に立てば、当然そういうことになる。その結果、軽犯罪には短い刑期を適用するという「罪刑均衡と量刑の公平性」を求める応報主義的刑罰観の方に支持が集まるようになった。
こうして、犯罪原因論は求心力を失っていった。社会の関心が、犯罪者の特徴(原因)から離れていくにつれ、その関心が被害者に向き始め、それに呼応して、被害者自身も復権をアピールするようになった。その結果、「忘れられた存在」だった被害者を取り上げる「被害者学」が台頭した。それは、「加害者から被害者へ」という180度の方向転換だった。
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