コラム

日本の防犯対策はアンバランス 考慮すべきは犯行動機や出自といった「人」ではなく...

2023年05月10日(水)10時35分

これに対し、「犯罪機会論」が焦点を合わせるのが、図表2-2の供給曲線だ。つまり、犯罪機会を奪うため、「入りにくく見えやすい場所」を増やしたり、「入りやすく見えにくい場所」を避けたりするようになれば、供給曲線は左(S1→S3)にシフトする。しかし、「入りやすく見えにくい場所」が増えたり、そうした場所に平気で行くようになったりすれば、供給曲線は右(S1→S2)にシフトする。

この図表2-1と図表2-2を合体させたものが図表2-3だ。そこでは、経済学における市場均衡が需要曲線と供給曲線の交点で表現されるのと同様に、犯罪機会の需要曲線(D)が犯罪機会の供給曲線(S1)と交わる点で犯罪発生量(Q1)が表されている。

ここで重要なことは、供給曲線を左(S1→S2)にシフトさせれば、潜在的犯罪者が犯罪機会を利用するコストやリスクが高まり(C1→C2)、犯罪は減少する(Q1→Q2)ということだ。

komiya230509_2_3.jpg

筆者作成

犯罪機会論は「供給サイド犯罪学」

もっとも、どの程度犯罪が減少するかは、需要の弾力性(コストの変化率に対する需要量の変化率の比)次第である。例えば、殺人機会の需要は非弾力的(非感応的)なので殺人機会の供給減少による殺人防止効果は小さい。しかし、窃盗機会の需要は弾力的(感応的)なので窃盗機会の供給減少による窃盗防止効果は大きい。この点で、機会と盗人を結び付けた英語の諺「Opportunity Makes the Thief」(すきを与えると魔が差す)は言い得て妙である。

ノーベル経済学賞を受賞したゲーリー・ベッカーが「欲求はつねに新しい機会を利用して拡大する」と述べたように、「供給が需要をつくる」とさえ言えなくもない。そのため、ディビッド・ガーランド(ニューヨーク大教授、エジンバラ大ロースクール名誉教授)は、犯罪機会論を「供給サイド犯罪学」と呼んでいる。

それはともかく、犯罪機会の供給の減少(供給曲線全体の左へのシフト)によって、犯罪機会の需要量の減少(同一需要曲線上の左上方への移動)をもたらそうとするのが「犯罪機会論」である。その過程で、犯罪機会論は、動機、性格、嗜好、資質、出自、経歴、境遇、アイデンティティーといった「人」に関することには、一切興味を示さない。

無責任に聞こえるかもしれないが、犯罪機会論とはそういうものだ。あくまでも、コストパフォーマンスの観点から、犯罪防止に挑む犯罪学である。ウエットではなく、ドライな学問なのである。

ニューズウィーク日本版 AIの6原則
※画像をクリックすると
アマゾンに飛びます

2025年7月22日号(7月15日発売)は「AIの6原則」特集。加速度的に普及する人工知能に見えた「限界」/仕事・学習で最適化する6つのルールとは


プロフィール

小宮信夫

立正大学教授(犯罪学)/社会学博士。日本人として初めてケンブリッジ大学大学院犯罪学研究科を修了。国連アジア極東犯罪防止研修所、法務省法務総合研究所などを経て現職。「地域安全マップ」の考案者。警察庁の安全・安心まちづくり調査研究会座長、東京都の非行防止・被害防止教育委員会座長などを歴任。代表的著作は、『写真でわかる世界の防犯 ——遺跡・デザイン・まちづくり』(小学館、全国学校図書館協議会選定図書)。NHK「クローズアップ現代」、日本テレビ「世界一受けたい授業」などテレビへの出演、新聞の取材(これまでの記事は1700件以上)、全国各地での講演も多数。公式ホームページとYouTube チャンネルは「小宮信夫の犯罪学の部屋」。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

アングル:独極右AfDが過激路線修正、現実主義へ転

ビジネス

米シノプシスのアンシス買収、中国当局が条件付きで承

ビジネス

中国新規銀行融資、6月は急増 信用需要拡大

ビジネス

5月第3次産業活動指数2カ月連続上昇、「一進一退」
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:大森元貴「言葉の力」
特集:大森元貴「言葉の力」
2025年7月15日号(7/ 8発売)

時代を映すアーティスト・大森元貴の「言葉の力」の源泉にロングインタビューで迫る

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「お腹が空いていたんだね...」 野良の子ネコの「首」に予想外のものが...救出劇が話題
  • 2
    千葉県の元市長、「年収3倍」等に惹かれ、国政に打って出たときの顛末
  • 3
    「ベンチプレス信者は損している」...プッシュアップを極めれば、筋トレは「ほぼ完成」する
  • 4
    どの学部の卒業生が「最も稼いでいる」のか? 学位別…
  • 5
    エリザベス女王が「うまくいっていない」と心配して…
  • 6
    イギリスの鉄道、東京メトロが運営したらどうなる?
  • 7
    主人公の女性サムライをKōki,が熱演!ハリウッド映画…
  • 8
    ただのニキビと「見分けるポイント」が...顔に「皮膚…
  • 9
    完璧な「節約ディズニーランド」...3歳の娘の夢を「…
  • 10
    都議選千代田区選挙区を制した「ユーチューバー」佐…
  • 1
    「ベンチプレス信者は損している」...プッシュアップを極めれば、筋トレは「ほぼ完成」する
  • 2
    「弟ができた!」ゴールデンレトリバーの初対面に、ネットが感動の渦
  • 3
    「お腹が空いていたんだね...」 野良の子ネコの「首」に予想外のものが...救出劇が話題
  • 4
    日本企業の「夢の電池」技術を中国スパイが流出...AP…
  • 5
    千葉県の元市長、「年収3倍」等に惹かれ、国政に打っ…
  • 6
    シャーロット王女の「ロイヤル・ボス」ぶりが話題に..…
  • 7
    どの学部の卒業生が「最も稼いでいる」のか? 学位別…
  • 8
    イギリスの鉄道、東京メトロが運営したらどうなる?
  • 9
    完璧な「節約ディズニーランド」...3歳の娘の夢を「…
  • 10
    エリザベス女王が「うまくいっていない」と心配して…
  • 1
    「コーヒーを吹き出すかと...」ディズニーランドの朝食が「高額すぎる」とSNSで大炎上、その「衝撃の値段」とは?
  • 2
    「あまりに愚か...」国立公園で注意を無視して「予測不能な大型動物」に近づく幼児連れ 「ショッキング」と映像が話題に
  • 3
    10歳少女がサメに襲われ、手をほぼ食いちぎられる事故...「緊迫の救護シーン」を警官が記録
  • 4
    JA・卸売業者が黒幕説は「完全な誤解」...進次郎の「…
  • 5
    ディズニー・クルーズラインで「子供が海に転落」...…
  • 6
    気温40℃、空港の「暑さ」も原因に?...元パイロット…
  • 7
    燃え盛るロシアの「黒海艦隊」...ウクライナの攻撃で…
  • 8
    「小麦はもう利益を生まない」アメリカで農家が次々…
  • 9
    イランを奇襲した米B2ステルス機の謎...搭乗した専門…
  • 10
    「うちの赤ちゃんは一人じゃない」母親がカメラ越し…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story