コラム

日本の防犯対策はアンバランス 考慮すべきは犯行動機や出自といった「人」ではなく...

2023年05月10日(水)10時35分

アンバランスは法制度にも見ることができる。

例えば、日本には、「①犯罪者」に焦点を当てた「刑法」「刑事収容施設法」「更生保護法」と、「②被害者」に焦点を当てた「犯罪被害者等基本法」しかないが、海外では、「③場所」に焦点を当てた法律も制定されている。

その典型が、イギリスの「犯罪および秩序違反法」(1998年)だ。その17条は、地方自治体に対し、犯罪防止の必要性に配慮して施策を実施する義務を課し、内務省は、自治体がこの義務に違反した場合には被害者から訴えられると警告している。そのため、「犯罪機会論」が、建物・公園の設計から、トイレ・道路の設計に至るまで、幅広く採用されている。

経済学的アプローチで見る「犯罪原因論」と「犯罪機会論」の違い

日本では、バイアスが刷り込まれているせいか、「犯罪機会論」への批判として多いのが、「犯罪原因論」からの反論だ。例えば、女性専用トイレ廃止問題においては、「性犯罪が発生するのは、トイレの設計が問題なのではなく、ミソジニー(女性嫌悪)があるから」といった具合である。

この批判は、供給サイドの「犯罪機会論」に、需要サイドの「犯罪原因論」から反論しているので、議論はかみ合わない。そこで、「犯罪原因論」と「犯罪機会論」の違いを、経済学の基本的な分析道具を使って説明したい。

komiya230509_2_12.jpg

筆者作成

図表2-1は、犯罪機会の需要曲線を図示したものである。選択肢の費用が上昇すれば、それだけ、その選択肢が選ばれる可能性が減少するという経済学の公理から導き出された。そこでは、潜在的犯罪者が合理的な犯罪機会の消費者とみなされ、経済学における需要の法則と同様に、犯罪機会を利用するコスト(+リスク)と犯行(犯罪機会の消費量)の間に負の関係があることが示されている。

図表2-2は、犯罪機会の供給曲線を図示したものだ。そこでは、潜在的被害者としての一般人は、潜在的犯罪者が犯罪機会を利用するコストやリスクが高い場合には、犯行の可能性は低いと考えて、犯罪機会を与えがちだが、逆に、犯罪機会を利用するコストやリスクが小さい場合には、犯行の可能性は高いと考えて、犯罪機会を与えないようにすることが示されている。

このうち、「犯罪原因論」が焦点を合わせるのが、図表2-1の需要曲線だ。つまり、異常な人格や劣悪な境遇といった「犯罪駆動力」が強まれば需要曲線は右(D1→D2)に、弱まれば左(D1→D3)にシフトする。一方、家族の応援や仕事の成功とった「犯罪抑止力」が強まれば需要曲線は左(D1→D3)に、弱まれば右(D1→D2)にシフトする。

したがって、日本人が、今後も道徳心が高く、犯罪機会をつかもうとしなければ、需要曲線は動かない。しかし、格差が拡大したり、ミソジニー(女性嫌悪)が強くなったりすれば、需要曲線は右に移動する。

プロフィール

小宮信夫

立正大学教授(犯罪学)/社会学博士。日本人として初めてケンブリッジ大学大学院犯罪学研究科を修了。国連アジア極東犯罪防止研修所、法務省法務総合研究所などを経て現職。「地域安全マップ」の考案者。警察庁の安全・安心まちづくり調査研究会座長、東京都の非行防止・被害防止教育委員会座長などを歴任。代表的著作は、『写真でわかる世界の防犯 ——遺跡・デザイン・まちづくり』(小学館、全国学校図書館協議会選定図書)。NHK「クローズアップ現代」、日本テレビ「世界一受けたい授業」などテレビへの出演、新聞の取材(これまでの記事は1700件以上)、全国各地での講演も多数。公式ホームページとYouTube チャンネルは「小宮信夫の犯罪学の部屋」。

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

米ISM製造業景気指数、4月48.7 関税の影響で

ワールド

トランプ氏、ウォルツ大統領補佐官解任へ=関係筋

ビジネス

物言う株主サード・ポイント、USスチール株保有 日

ビジネス

マクドナルド、世界の四半期既存店売上高が予想外の減
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:英語で学ぶ 国際ニュース超入門
特集:英語で学ぶ 国際ニュース超入門
2025年5月 6日/2025年5月13日号(4/30発売)

「ゼロから分かる」各国・地域情勢の超解説と時事英語

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    日本の未婚男性の「不幸感」は他国と比べて特異的に高く、女性では反対に既婚の方が高い
  • 2
    マリフアナを合法化した末路とは? 「バラ色の未来が来るはずだったのに...」
  • 3
    タイタニック生存者が残した「不気味な手紙」...何が書かれていた?
  • 4
    ウクライナ戦争は終わらない──ロシアを動かす「100年…
  • 5
    インド北部の「虐殺」が全面「核戦争」に発展するか…
  • 6
    MRI検査で体内に「有害金属」が残留する可能性【最新…
  • 7
    悲しみは時間薬だし、幸せは自分次第だから切り替え…
  • 8
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」では…
  • 9
    クルミで「大腸がんリスク」が大幅に下がる可能性...…
  • 10
    朝1杯の「バターコーヒー」が老化を遅らせる...細胞…
  • 1
    日本史上初めての中国人の大量移住が始まる
  • 2
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 3
    MRI検査で体内に「有害金属」が残留する可能性【最新研究】
  • 4
    中国で「ネズミ人間」が増殖中...その驚きの正体とは…
  • 5
    ロシア国内エラブガの軍事工場にウクライナが「ドロ…
  • 6
    日本の未婚男性の「不幸感」は他国と比べて特異的に…
  • 7
    パニック発作の原因の多くは「ガス」だった...「ビタ…
  • 8
    マリフアナを合法化した末路とは? 「バラ色の未来…
  • 9
    使うほど脱炭素に貢献?...日建ハウジングシステムが…
  • 10
    私の「舌」を見た医師は、すぐ「癌」を疑った...「口…
  • 1
    【話題の写真】高速列車で前席のカップルが「最悪の行為」に及ぶ...インド人男性の撮影した「衝撃写真」にネット震撼【画像】
  • 2
    日本史上初めての中国人の大量移住が始まる
  • 3
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 4
    健康寿命を伸ばすカギは「人体最大の器官」にあった.…
  • 5
    【心が疲れたとき】メンタルが一瞬で “最…
  • 6
    間食はなぜ「ナッツ一択」なのか?...がん・心疾患・抜…
  • 7
    北朝鮮兵の親たち、息子の「ロシア送り」を阻止する…
  • 8
    【クイズ】世界で最も「半導体の工場」が多い国どこ…
  • 9
    クレオパトラの墓をついに発見? 発掘調査を率いた…
  • 10
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story