コラム

安倍元首相、銃撃を招いた日本型ポピュリズム社会

2022年07月11日(月)15時01分
安倍晋三元首相

自民党が復権を果たし第2次安倍政権が発足(2012年) TORU HANAI-REUTERS

<銃弾で撃たれた背景には、根拠なき安定感につかった「無責任で甘えた」日本社会がある。彼が実際にやり遂げ、また、やり残した政治的遺産とは何であったのか?>

安倍晋三元首相襲撃の第1報に接したのは、自宅の近くの電車の駅だった。スマホを見て、嫌な予感に襲われた。原敬、浜口雄幸、犬養毅と、実に3人もの首相が殺された「戦前」が戻ってきたか、と思ったからだ。

広がる格差や政党政治の混迷、列強諸国の内向き傾向など、この頃の日本、そして世界は戦前の状況によく似ている。誤った思い込みから、国の首長あるいは元首長を殺そうとする人間はどの国にもいるのだが、日本でもそうした人間が何かやらかすと危ないなと思っていたところで今回の痛ましい事件が起きた。

1921年の原敬暗殺、30年の浜口雄幸襲撃はいずれも一匹狼的な犯人によるものだった。以後、32年の五・一五事件の犬養毅、36年の二・二六事件における岡田啓介首相暗殺未遂(岡田の義理の弟を誤認して殺害している)になると、暗殺というよりは軍内部の跳ね上がり分子によるクーデターに近いものとなる。犬養暗殺以降は軍部が自らの台頭を背景とし、政治家たちを震え上がらせて軍国主義への扉を開いた。
20220719issue_cover200.jpg

今回の襲撃事件の容疑者である山上徹也も、海上自衛隊に在籍したことがある。だが彼は日本でのレジーム・チェンジを狙ったのではなく、海自には3年間の任期制採用をされただけだ。

事前に多数の銃砲を手作りし、安倍元首相の遊説日程が直前に長野から奈良へ急きょ変わった情報も短時間でキャッチ。演説場所に正確に現れたことなどから単独犯行ではないと思わせるものもあるが、クーデターもどきではない。山上は集団安全保障問題や、アベノミクスの正当性云々からは距離を置き、自分に身近な思想団体の問題で頭がいっぱいのようだ。

これは、どっぷりとした安定感(自分が何をやっても日本という社会・経済は安泰なのだという甘え)につかった日本型ポピュリズム社会の産物なのだろう。ポピュリズム社会で政治家は歴史に名を遺せない。一時的に人気を博しても、次の局面では忘れ去られる。おそらく安倍元首相も、同じ目に遭うのだろう。

しかし安倍元首相は、そうなるには惜しい、本当に「華」のある政治家だった。戦前の近衛文麿と同じように、3回目の首相就任も十分あり得る気配を漂わせていた。筆者は、「モリ・カケ」問題や「桜を見る会」問題への対応で彼に対する思いが冷めたが、その功績に対する尊敬の念は変わらない。

プロフィール

河東哲夫

(かわとう・あきお)外交アナリスト。
外交官としてロシア公使、ウズベキスタン大使などを歴任。メールマガジン『文明の万華鏡』を主宰。著書に『米・中・ロシア 虚像に怯えるな』(草思社)など。最新刊は『日本がウクライナになる日』(CCCメディアハウス)  <筆者の過去記事一覧はこちら

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

中国外相、パキスタン・アフガン両国に交流強化呼びか

ワールド

ガザ即時停戦を、国連事務総長 TICADで呼びかけ

ワールド

台湾防衛費、26年はGDPの3%超へ=中央通信社

ビジネス

午前の日経平均は続落、米ハイテク株安で 下値は堅い
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:台湾有事 そのとき世界は、日本は
特集:台湾有事 そのとき世界は、日本は
2025年8月26日号(8/19発売)

中国の圧力とアメリカの「変心」に危機感。東アジア最大のリスクを考える

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「死ぬほど怖い」「気づかず飛び込んでたら...」家のプールを占拠する「巨大な黒いシルエット」にネット戦慄
  • 2
    「あなた誰?」保育園から帰ってきた3歳の娘が「別人」だった...母親によるビフォーアフター画像にSNS驚愕
  • 3
    中国で「妊娠ロボット」発売か――妊娠期間も含め「自然に近い」と開発企業
  • 4
    20代で「統合失調症」と診断された女性...「自分は精…
  • 5
    夏の終わりに襲い掛かる「8月病」...心理学のプロが…
  • 6
    広大な駐車場が一面、墓場に...ヨーロッパの山火事、…
  • 7
    こんな症状が出たら「メンタル赤信号」...心療内科医…
  • 8
    「レプトスピラ症」が大規模流行中...ヒトやペットに…
  • 9
    頭部から「黒い触手のような角」が生えたウサギ、コ…
  • 10
    習近平「失脚説」は本当なのか?──「2つのテスト」で…
  • 1
    「自律神経を強化し、脂肪燃焼を促進する」子供も大人も大好きな5つの食べ物
  • 2
    「レプトスピラ症」が大規模流行中...ヒトやペットに感染、最悪の場合死亡も
  • 3
    将来ADHDを発症する「幼少期の兆候」が明らかに?...「就学前後」に気を付けるべきポイント
  • 4
    「あなた誰?」保育園から帰ってきた3歳の娘が「別人…
  • 5
    頭部から「黒い触手のような角」が生えたウサギ、コ…
  • 6
    「死ぬほど怖い」「気づかず飛び込んでたら...」家の…
  • 7
    「笑い声が止まらん...」証明写真でエイリアン化して…
  • 8
    【クイズ】次のうち、「海軍の規模」で世界トップ5に…
  • 9
    中国で「妊娠ロボット」発売か――妊娠期間も含め「自…
  • 10
    「長女の苦しみ」は大人になってからも...心理学者が…
  • 1
    「週4回が理想です」...老化防止に効くマスターベーション、医師が語る熟年世代のセルフケア
  • 2
    こんな症状が出たら「メンタル赤信号」...心療内科医が伝授、「働くための」心とカラダの守り方とは?
  • 3
    「自律神経を強化し、脂肪燃焼を促進する」子供も大人も大好きな5つの食べ物
  • 4
    デカすぎ...母親の骨盤を砕いて生まれてきた「超巨大…
  • 5
    デンマークの動物園、飼えなくなったペットの寄付を…
  • 6
    ウォーキングだけでは「寝たきり」は防げない──自宅…
  • 7
    山道で鉢合わせ、超至近距離に3頭...ハイイログマの…
  • 8
    「レプトスピラ症」が大規模流行中...ヒトやペットに…
  • 9
    将来ADHDを発症する「幼少期の兆候」が明らかに?...…
  • 10
    イラン人は原爆資料館で大泣きする...日本人が忘れた…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story