コラム

パレスチナ映画『ガザの美容室』にイスラエルが出てこない理由

2018年06月23日(土)11時27分

ガザの通りで繰り広げられるハマス政府とマフィアの戦闘=『ガザの美容室』より(UPLINK提供)

<政治が破綻し、閉塞状況を生きる人間たちのドラマ『ガザの美容室』。「パレスチナ問題のいま」ではなく「パレスチナ人のいま」から、日本人に見えてくるものもあるはずだ>

「ガザ」と言えば、いま最もまがまがしい響きを持つ地名だろう。5月にイスラエルの米国大使館がエルサレムに移転した時、パレスチナ自治区ガザでパレスチナ人の大規模な抗議デモが起こり、イスラエル軍の銃撃で60人以上が死んだ。

「ガザ」では、イスラム組織ハマスの支配が始まった2007年以降、イスラエルによる封鎖が続き、08年、12年、14年と3回にわたってイスラエル軍による大規模な攻撃を受けた。

ガザは地中海に張り付いた絆創膏のような場所で、海岸の長さ40キロ、幅は6キロから12キロ。北と東はイスラエル側でコンクリートの壁で仕切られ、南はエジプトとの国境で遮られている。海も海岸から10キロほどのところでイスラエル軍に封鎖されている。まさにガザが「巨大な監獄」と呼ばれるゆえんである。

その中で、占領、封鎖、戦争、政治対立に苛まれ、人々は悲惨な生活を強いられている。若者たちの失業率は6割以上で、麻薬の蔓延も深刻だ。

そのガザを舞台にした映画『ガザの美容室』(公式サイト)が6月23日から東京・渋谷などで公開される。ガザにある美容室を舞台にした女たちの会話が密室劇として進んでいく。

イスラエルによる占領、封鎖、攻撃など、一般的にガザの悲劇の要因とされる政治問題は表には出てこない。パレスチナ問題をとらえていないと批判する声もある。私はちょうど1年前に初めてこの映画を見た時に、いまの混迷のパレスチナから生まれ、パレスチナのいまを見せる映画として評価した。

まず、ガザに美容室なんてあるのか、と思うかもしれない。しかし、美容室どころではない。ガザにはビルの最上階に高級レストランや外国商品が並んだ高級なスーパーマーケットさえある。それらはもちろん、金持ち専用。それに比べたら、美容室は人々にとってまだ身近な存在である。

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さまざまな女性たちが集まる美容室=『ガザの美容室』より(UPLINK提供)

女性たちは争うばかりの男たちにうんざりしている

映画はガザにある美容室を舞台に、客として集まった女たちの会話として展開する。美容室の外では、ライオンを連れて人々を威嚇するマフィア集団がいて、それを制圧に来るイスラム系警察との武力抗争が始まり、美容室の中にいる女性たちは外に出ることができなくなるという設定である。

登場する女たちは、いずれも実際にガザに居そうなキャラクターである。

ロシアに留学したパレスチナ人と結婚してガザに住み付いたロシア人の美容師、戦争で負傷し性的不能となった夫を持つ女性、常にコーランの言葉を唱える宗教的な女性、結婚式を控え未来の姑との葛藤を抱える花嫁......。ロシア人の女主人を助けるパレスチナ人の若い美容師は、マフィアと関わる麻薬常習の男と繰り返し電話をし、腐れ縁的な恋愛関係に悩んでいる。

イスラエルによる封鎖によって、たとえ病気の治療でも外に出ることができず、ガザの中では強権的なハマス支配に縛られ、一方でマフィアによる麻薬、暴力の横行に苦しみ、家庭内では夫の暴力や失業に悩まされる。

女性たちは争うばかりの男たちにうんざりしている。1人の女性が、女だけで政府をつくったらいいと言い出し、1人ずつ、閣僚を割り振る場面もある。美容室での女性たちのやりとりから、ガザの人びとが置かれた政治と社会の問題が見えてくる。

プロフィール

川上泰徳

中東ジャーナリスト。フリーランスとして中東を拠点に活動。1956年生まれ。元朝日新聞記者。大阪外国語大学アラビア語科卒。特派員としてカイロ、エルサレム、バグダッドに駐在。中東報道でボーン・上田記念国際記者賞受賞。著書に『中東の現場を歩く』(合同出版)、『イラク零年』(朝日新聞)、『イスラムを生きる人びと』(岩波書店)、共著『ジャーナリストはなぜ「戦場」へ行くのか』(集英社新書)、『「イスラム国」はテロの元凶ではない』(集英社新書)。最新刊は『シャティーラの記憶――パレスチナ難民キャンプの70年』
ツイッターは @kawakami_yasu

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