コラム

トルコは「クーデター幻想」から脱却できるか

2016年07月18日(月)06時51分

 クーデターの速報から4時間ほどたったところで、カーキ色の服を着た兵士が、自動小銃を持ち、防弾チョッキをつけた治安部隊員2人に両腕をつかまれて次々と連行される映像が流れた。国営アナトリア通信のアラビア語部門部長が、アルアラビヤに対して「クーデターは失敗した」と明言した。空港の占拠も解かれ、TRTも放送を再開した。アンカラではまだ治安部隊と反乱軍の間で交戦が続いているようだったが、首相の指示を受けて、軍のF16が反乱軍のヘリコプターを撃墜との速報が流れ、クーデターの試みは潰えた、と私は判断した。

 これほどの短い時間で、一国の歴史の一コマとなるような出来事をみることもそうそうあるまい。エルドアン大統領は16日未明、イスタンブールの国際空港に到着し、米国に滞在しているイスラム指導者ギュレン師と、トルコ国内で強い影響力を持つ「ギュレン運動」の支持者がクーデターの背後にいると非難し、「彼らは国家への反乱で代償を払うことになる」と述べた。16日中にクーデターに関わった3000人以上の将校や兵士が逮捕され、2700人以上の判事など司法関係者が更迭された。軍関係者の大量逮捕はその後も続いている。

過去に3度クーデターを起こした「世俗主義」の守護者

 トルコ軍は1960年、71年、80年と過去3回、クーデターなどで権力を奪取した。軍は現代トルコの「建国の父」ケマル・アタチュルクが唱えた国是「世俗主義」の守護者を自認し、司法当局の協力を得て、公正発展党の前身であるイスラム政党に対して「政教分離」に反するとして再三、解党命令を出してきた。エルドアン氏自身も政治活動禁止などを経て、2002年にイスラム保守のAKPを率いて、政権をとった。03年に首相、14年にトルコ初の民選大統領となった。この間、AKPの解党に動く軍の幹部を追放するなどし、軍の影響力は大幅に削がれていたはずだった。

 今回のクーデター騒ぎがひやりとさせられたのは、14年間にわたるエルドアン体制で軍にたまった不満が一気に噴出したのではないか、と考えたからである。しかし、結果的には動いたのは軍の一部であり、それも軍幹部の名前は上がらなかった。たびたびクーデターで国が動いてきたトルコでも、もはや軍がクーデターを起こす状況ではないことが明らかになった。クーデターに反対する群衆が街頭に繰り出して、戦車や軍車両を取り囲んだことで動きを止める映像は感動的でさえあった。

 しかし、これでトルコも名実ともに民主主義国家の仲間入り、というにはためらいがある。軍の一部であれ、「クーデター幻想」とでも呼ぶべきものがある。そこに、一部の軍人たちの勘違いというだけに留まらないトルコの政治の空気を感じる。つまり、強権体制が一般的な中東で、独裁的な支配者に対する軍のクーデターやクーデター未遂が珍しくないという政治の空気である。

プロフィール

川上泰徳

中東ジャーナリスト。フリーランスとして中東を拠点に活動。1956年生まれ。元朝日新聞記者。大阪外国語大学アラビア語科卒。特派員としてカイロ、エルサレム、バグダッドに駐在。中東報道でボーン・上田記念国際記者賞受賞。著書に『中東の現場を歩く』(合同出版)、『イラク零年』(朝日新聞)、『イスラムを生きる人びと』(岩波書店)、共著『ジャーナリストはなぜ「戦場」へ行くのか』(集英社新書)、『「イスラム国」はテロの元凶ではない』(集英社新書)。最新刊は『シャティーラの記憶――パレスチナ難民キャンプの70年』
ツイッターは @kawakami_yasu

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

米新規失業保険申請5000件減の20.7万件 予想

ビジネス

ECB、インフレ抑制以外の目標設定を 仏大統領 責

ビジネス

訂正-メルセデス、中国パートナーとの提携に投資継続

ビジネス

ホンダ、カナダにEV生産拠点 電池や部材工場含め総
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:世界が愛した日本アニメ30
特集:世界が愛した日本アニメ30
2024年4月30日/2024年5月 7日号(4/23発売)

『AKIRA』からジブリ、『鬼滅の刃』まで、日本アニメは今や世界でより消費されている

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 2

    医学博士で管理栄養士『100年栄養』の著者が警鐘を鳴らす「おばけタンパク質」の正体とは?

  • 3

    「誹謗中傷のビジネス化」に歯止めをかけた、北村紗衣氏への名誉棄損に対する賠償命令

  • 4

    心を穏やかに保つ禅の教え 「世界が尊敬する日本人100…

  • 5

    マイナス金利の解除でも、円安が止まらない「当然」…

  • 6

    今だからこそ観るべき? インバウンドで増えるK-POP…

  • 7

    ワニが16歳少年を襲い殺害...遺体発見の「おぞましい…

  • 8

    NewJeans日本デビュー目前に赤信号 所属事務所に親…

  • 9

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた…

  • 10

    中国のロシア専門家が「それでも最後はロシアが負け…

  • 1

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なない理由が明らかに

  • 2

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 3

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価」されていると言える理由

  • 4

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた…

  • 5

    「世界中の全機が要注意」...ボーイング内部告発者の…

  • 6

    医学博士で管理栄養士『100年栄養』の著者が警鐘を鳴…

  • 7

    ハーバード大学で150年以上教えられる作文術「オレオ…

  • 8

    NewJeans日本デビュー目前に赤信号 所属事務所に親…

  • 9

    「たった1日で1年分」の異常豪雨...「砂漠の地」ドバ…

  • 10

    「誹謗中傷のビジネス化」に歯止めをかけた、北村紗…

  • 1

    人から褒められた時、どう返事してますか? ブッダが説いた「どんどん伸びる人の返し文句」

  • 2

    韓国で「イエス・ジャパン」ブームが起きている

  • 3

    88歳の現役医師が健康のために「絶対にしない3つのこと」目からうろこの健康法

  • 4

    ロシアの迫撃砲RBU6000「スメルチ2」、爆発・炎上の…

  • 5

    バルチック艦隊、自国の船をミサイル「誤爆」で撃沈…

  • 6

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なな…

  • 7

    ロシアが前線に投入した地上戦闘ロボットをウクライ…

  • 8

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士…

  • 9

    「燃料気化爆弾」搭載ドローンがロシア軍拠点に突入…

  • 10

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story