コラム

映画『オマールの壁』が映すもの(2)不毛な政治ではなく人間的な主題としてのパレスチナ問題

2016年05月13日(金)16時22分

 アブ・アサド監督が描くパレスチナは、2005年に完成した『パラダイス・ナウ』からして、政治としての「パレスチナ問題」が挫折した占領地を舞台としている。2000年秋に始まった第2次インティファーダは、パレスチナ人の若者たちがイスラエルの民間人を標的とする「自爆攻撃」が続いたことで、陰惨で救いのないものとなった。2005年の時点では既にインティファーダがイスラエル軍の圧倒的な軍事力で抑え込まれ、パレスチナ社会には無力感と絶望が広がっていた。

 パレスチナでは2015年秋以降、若者たちがナイフでイスラエル兵を襲い、その結果、射殺される事件が続いている。パレスチナ問題は、組織的な背景のない若者たちの個人的な暴力のレベルまで落ちているのである。

 アブ・アサド監督は『オマールの壁』でもパレスチナの占領地を舞台として、政治ではなく、人間性の在処を問い詰めるような映画を見せてくれる。解放を掲げた理想は破綻し、一方でイスラエルの占領はますます重くのしかかり、すべてが袋小路になったパレスチナから、人間を取り戻そうとする闘いである。パレスチナ人は壁によって土地を分断され、失っているだけでなく、パレスチナ人の間にスパイを作り出すようなイスラエルの占領政策によって、恋人を疑い、友人を裏切るような、信頼を切り崩された世界である。

『オマールの壁』がラブストーリーを通してたどり着いた「パレスチナ問題」は、もはや形骸化した政治の危機ではなく、より根源的な人間の危機を突き付ける。本当の危機は、土地を分断するコンクリートの壁にあるのではなく、人間を分断する見えない壁にあるという逆説によって、この映画はパレスチナ問題を超えて、私たち日本人の危機さえも映し出している。

映画『オマールの壁』が映すもの(1)パレスチナのラブストーリーは日本人の物語でもある

※追記:オマールがラミを撃った謎については、私のホームページである「中東ウオッチ by 川上泰徳」に執筆しました。ぜひ、映画を見てから読んでください。

プロフィール

川上泰徳

中東ジャーナリスト。フリーランスとして中東を拠点に活動。1956年生まれ。元朝日新聞記者。大阪外国語大学アラビア語科卒。特派員としてカイロ、エルサレム、バグダッドに駐在。中東報道でボーン・上田記念国際記者賞受賞。著書に『中東の現場を歩く』(合同出版)、『イラク零年』(朝日新聞)、『イスラムを生きる人びと』(岩波書店)、共著『ジャーナリストはなぜ「戦場」へ行くのか』(集英社新書)、『「イスラム国」はテロの元凶ではない』(集英社新書)。最新刊は『シャティーラの記憶――パレスチナ難民キャンプの70年』
ツイッターは @kawakami_yasu

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

ミランFRB理事、年内利下げ継続を主張 「イラン攻

ビジネス

金利据え置きを支持、インフレ見通しはなお強め=米ク

ワールド

イラン作戦必要な限り継続、トランプ氏暗殺計画首謀者

ワールド

米財務長官、エネ関連で「一連の発表」 原油供給の不
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:トランプのイラン攻撃
特集:トランプのイラン攻撃
2026年3月10日号(3/ 3発売)

核開発の断念を迫るトランプ政権が攻撃を開始。イランとアメリカの本格戦争は始まるのか?

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    イラン猛反撃、同士討ちまで起きる防空戦はいつまで続くのか
  • 2
    サファリ中の女性に悲劇...ライオンに「くわえ去られる」衝撃映像にネット騒然
  • 3
    日本の若者「韓国就職」憧れと現実のギャップ ── ビザの壁、会社都合の解雇、帰国後も続く苦境
  • 4
    「外国人が増え、犯罪は減った」という現実もあるの…
  • 5
    縫いぐるみが相棒、孤独なサル「パンチくん」がバズ…
  • 6
    少子化に悩む韓国で出生率回復...昨年過去最大の伸び…
  • 7
    戦術は進化しても戦局が動かない地獄──ロシア・ウク…
  • 8
    核合意寸前、米国がイラン攻撃に踏み切った理由
  • 9
    イランへの直接攻撃は世界を変えた...秩序が崩壊する…
  • 10
    「死体を運んでる...」Google Earthで表示される「不…
  • 1
    見事なカンフーを見せた中国ヒト型ロボットのからくりとリスク
  • 2
    日本の若者「韓国就職」憧れと現実のギャップ ── ビザの壁、会社都合の解雇、帰国後も続く苦境
  • 3
    BTS復活...でも、韓国エンタメが「苦境」に陥っている
  • 4
    縫いぐるみが相棒、孤独なサル「パンチくん」がバズ…
  • 5
    中国、4隻目の空母は原子力艦か──世界3番目の原子力…
  • 6
    村瀬心椛は「トップでなければおかしい」...スノボの…
  • 7
    「毎日が人生最後の日」だと思って酒を飲む...84歳医…
  • 8
    少女買春に加え、国家機密の横流しまで...アンドルー…
  • 9
    イラン猛反撃、同士討ちまで起きる防空戦はいつまで…
  • 10
    サファリ中の女性に悲劇...ライオンに「くわえ去られ…
  • 1
    ウクライナ戦闘機「F-16」がロシア軍「シャヘド」を空中爆破...地上から撮影の「レア映像」を公開
  • 2
    高市積極財政にアメリカが慌てる理由
  • 3
    台湾侵攻「失敗」の大きすぎる代償
  • 4
    「最恐」恐竜T・レックスの定説を覆す新研究が
  • 5
    イースター島の先住民から資源を略奪、島を「生きた…
  • 6
    見事なカンフーを見せた中国ヒト型ロボットのからく…
  • 7
    アルコールは血糖値を下げる...「脳と血管を守る」医…
  • 8
    「ヘル・コリア」から日本へ7万人 ── 大企業の高給より…
  • 9
    中国、パナマ運河の港湾喪失でパナマに報復──トラン…
  • 10
    命は長し、働け女たち――88歳「働くばあさん」が説く…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story