コラム

ノーベル経済学賞セイラーと、「合理的経済人」じゃない僕たち

2017年10月18日(水)16時40分

今年のノーベル経済学賞に決まった行動経済学の権威リチャード・セイラー Kamil Krzaczynski-REUTERS

<イギリスで年金加入率が急増したのは、今年のノーベル経済学賞を受賞したセイラーの「ナッジ理論」を適用したから>

25年以上のファンだったから、僕はカズオ・イシグロのノーベル文学賞受賞に大興奮だった。リチャード・セイラーのノーベル経済学賞受賞にも、ちょっとばかり沸きたった......聞いたことのある名前だったからだ。「微妙な褒め方」をしているわけではない。単に僕が経済学に疎いというだけの話で、そんな僕の意識に残っていた彼はそれだけですごい、ということになる。

いま言ったように僕は経済学に疎いが、どうやらセイラーは、人間は高度に合理的に行動するという従来の経済学の学説に疑問を投げかける興味深い研究をしたらしい。彼の説でよく引用される例は、ナッツを食べながらテレビでサッカーの試合を見ている人からナッツを取りあげると、その人は喜ぶということ。普通の考え方では、行動の選択肢を減らされればうれしくないはずだし、満足するまで食べてから自分の意志でストップすればいいはずだ。

個人的には、これが彼の行動経済学を説明するすごくいい例なのかどうかイマイチ分からない。むしろ、芝刈りの例の方がいいかもしれない。あなたの住む町内を庭師が回って来て、1回20ポンドで芝刈りをしますと言ったとする。ほとんどの人と同じように僕は、けっこうですと言って自分でやるだろう。

だがもし、うちと同じ広さの芝生をもつ隣の家の人が僕に、20ポンド払うからわが家の芝生を刈ってくれないかと頼んできたとしたら、僕は絶対やろうとしないだろう。侮辱されたとさえ思うかもしれない。

だが理論的に考えれば、自分の1時間分の労働を省くために20ポンドを支払うことを嫌がったのに、同様の労働を1時間20ポンドで売るのも嫌がったことになる。単純な経済用語でいえば、この二つの「取引」は完全に等しいはずなのに、僕にとってはこの2つの状況は全く違うのだ。

年金加入率が急増したわけ

イギリスでは、国民の年金加入を奨励するために政府が長年、税金を大幅に控除してきた。大企業は年金プログラムを用意することや、従業員が払う額に応じて一定額を負担することを義務付けられている。それでも、加入率は驚くほど低かった。

しかしここ数年、経済的なインセンティブはまったく変わっていないのに、加入率が急増した。何が変わったかといえば、企業の従業員が「加入することを選ぶ」のではなく、「加入しないことを選択する」システムになったのだ。多くの人々は合理的経済人として行動しようとはしない。そうするように仕向けられる必要がある。

プロフィール

コリン・ジョイス

フリージャーナリスト。1970年、イギリス生まれ。92年に来日し、神戸と東京で暮らす。ニューズウィーク日本版記者、英デイリー・テレグラフ紙東京支局長を経て、フリーに。日本、ニューヨークでの滞在を経て2010年、16年ぶりに故郷イングランドに帰国。フリーランスのジャーナリストとしてイングランドのエセックスを拠点に活動する。ビールとサッカーをこよなく愛す。著書に『「ニッポン社会」入門――英国人記者の抱腹レポート』(NHK生活人新書)、『新「ニッポン社会」入門--英国人、日本で再び発見する』(三賢社)、『マインド・ザ・ギャップ! 日本とイギリスの〈すきま〉』(NHK出版新書)、『なぜオックスフォードが世界一の大学なのか』(三賢社)など。

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

米肥満薬開発メッツェラ、ファイザーの100億ドル買

ワールド

米最高裁、「フードスタンプ」全額支給命令を一時差し

ワールド

アングル:国連気候会議30年、地球温暖化対策は道半

ワールド

ポートランド州兵派遣は違法、米連邦地裁が判断 政権
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:高市早苗研究
特集:高市早苗研究
2025年11月 4日/2025年11月11日号(10/28発売)

課題だらけの日本の政治・経済・外交を初の女性首相はこう変える

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    【写真・動画】世界最大のクモの巣
  • 2
    「座席に体が収まらない...」飛行機で嘆く「身長216cmの男性」、前の席の女性が取った「まさかの行動」に称賛の声
  • 3
    『プレデター: バッドランド』は良作?駄作?...批評家たちのレビューは「一方に傾いている」
  • 4
    「不気味すぎる...」カップルの写真に映り込んだ「謎…
  • 5
    筋肉を鍛えるのは「食事法」ではなく「規則」だった.…
  • 6
    「路上でセクハラ」...メキシコ・シェインバウム大統…
  • 7
    クマと遭遇したら何をすべきか――北海道80年の記録が…
  • 8
    【銘柄】元・東芝のキオクシアHD...生成AIで急上昇し…
  • 9
    なぜユダヤ系住民の約半数まで、マムダニ氏を支持し…
  • 10
    「非人間的な人形」...数十回の整形手術を公表し、「…
  • 1
    【クイズ】本州で唯一「クマが生息していない県」はどこ?
  • 2
    「不気味すぎる...」カップルの写真に映り込んだ「謎の存在」がSNSで話題に、その正体とは?
  • 3
    【写真・動画】世界最大のクモの巣
  • 4
    9歳女児が行方不明...失踪直前、防犯カメラに映った…
  • 5
    「日本のあの観光地」が世界2位...エクスペディア「…
  • 6
    「遺体は原型をとどめていなかった」 韓国に憧れた2…
  • 7
    虹に「極限まで近づく」とどう見える?...小型機パイ…
  • 8
    「路上でセクハラ」...メキシコ・シェインバウム大統…
  • 9
    「座席に体が収まらない...」飛行機で嘆く「身長216c…
  • 10
    米沿岸に頻出する「海中UFO」──物理法則で説明がつか…
  • 1
    【クイズ】本州で唯一「クマが生息していない県」はどこ?
  • 2
    英国で「パブ離れ」が深刻化、閉店ペースが加速...苦肉の策は「日本では当たり前」の方式だった
  • 3
    【クイズ】ヒグマの生息数が「世界で最も多い国」はどこ?
  • 4
    「不気味すぎる...」カップルの写真に映り込んだ「謎…
  • 5
    1000人以上の女性と関係...英アンドルー王子、「称号…
  • 6
    【写真・動画】世界最大のクモの巣
  • 7
    【クイズ】クマ被害が相次ぐが...「熊害」の正しい読…
  • 8
    【クイズ】日本でツキノワグマの出没件数が「最も多…
  • 9
    お腹の脂肪を減らす「8つのヒント」とは?...食事以…
  • 10
    悲しみで8年間「羽をむしり続けた」オウム...新たな…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story