コラム

日中「戦略的互恵関係」の終焉?

2010年09月27日(月)18時01分

日本と中国の関係から波乱要因が消えることは考えにくい

緊張 日本と中国の関係から波乱要因が消えることは考えにくい
Christina Hu-Reuters
 

 06年に小泉純一郎が首相を退いて安倍晋三政権が誕生して以来、日本の対中政策は「戦略的互恵関係」の推進を目指してきた。東アジアの平和と安定のために日中関係が重要であるという認識の下、日中両国政府は、政治的相互信頼の増進、人的・文化的交流の促進、経済における互恵協力の強化、開放性・透明性・包含性という3つの原則に基く東アジアの地域協力の推進で合意した。

 いま日中関係は、尖閣諸島沖の漁船衝突事件で日本が逮捕した中国人船長の身柄をめぐって、緊張が高まっている[編集部注----英文ブログ更新後の9月25日、那覇地検は処分保留で船長を釈放した]。06年以降の日中関係の「雪解け」は、なんらかの実質的な成果を生んだと言えるのか。関係改善のプロセスは、今回の対立を乗り越えて続くのか。それとも、日中関係に新たな不安定の時代が始まるのか。

 今回の対立の過程で次第に明らかになってきたのは、06年以降の日中の「雪解け」が大した成果を生んでいないという事実だ。なるほど両国首脳は、互いに相手国を公式訪問したし、以前より頻繁に会談するようになった。日本の指導者は、第2次大戦の記憶に関して意図的に中国を挑発する振る舞いを避けてきた。一方、中国の指導者もことあるごとに、第2次大戦後に平和的発展を遂げた日本を称賛した。

 しかし、日中関係を脅かしかねない本当の重要問題に関しては、解決に向けた前進がほとんどなかったと言っていいだろう。尖閣問題は、そうした波乱要因の1つだ。

■経済は政治問題を解決しない

 では、今後も「戦略的互恵関係」の構築を推し進めれば、日中間に相互信頼が育まれて、今回のような問題がもっと重大な危機に発展するのを予防できるのか。

 中国国内の反日感情が和らがない限り、中国指導部としては、日本との対立が持ち上がれば強硬な姿勢を取るのが得策だ。それに、中国の政策決定過程が透明化されなければ、中国政府の真意は分かりづらいままだ。その上、中国は、国のプライドに関わる問題に対して敏感に反応し続けるだろう。そう考えると、日本と中国の政治的関係の基本的な力学が変わるとは考えにくい。

 日中の経済的な関係が重要であることは、今後も変わらない。その点は間違いないが、経済的な相互依存関係が政治に波及するとは、日本でも中国でも考えにくい。

 日本は中国と喧嘩できる立場にないと、ビジネスウィーク誌でブルース・アインホーンは指摘したが、タフツ大学のダニエル・ドレズナー教授が述べているように、中国が経済関係をテコに日本に圧力を掛ければ逆効果になり、日本政府が態度を硬化させる可能性がある。つまり、日中の経済関係の緊密化が政治的関係に及ぼす影響は、おそらくほとんどない。

 もし政治に影響があるとすれば、それは悪い影響だろう。経済的な関係が深いがゆえに、日本に対して強い態度で出られると、中国が思いかねない。

■菅内閣はすぐに再び対話路線へ

 今回の事件に対する菅内閣の対応は、どう評価すべきだろうか。菅直人首相、仙谷由人官房長官、前原誠司外相はいずれも、中国が圧力を強めても過激な言葉で応じることを避けている。ここからうかがえるように、菅内閣は中国との「戦略的互恵関係」路線を捨てていない。日本が辛抱強く振る舞えば、やがて中国が隣人を信頼するようになると考えているように見える。

 今回の漁船衝突問題が一段落すれば、菅内閣は再び中国との間に建設的な協力関係を築く路線に戻る可能性が高い。すぐに目に見える成果が手に入らないにしても、である。しかも国内のタカ派政治家は、「国際政治を理解していない」と民主党を非難するに違いない。それでも、日本政府が外交方針を変えるとは考えにくい。

 日本の対中政策を考える上で、見落としてはならない点がある。確かに日本の国民は、中国に対してもっと強い姿勢で臨むことを政府に望んでいる。しかし日本国民は、中国の軍備近代化に対抗して防衛予算を増額せよとは言っていないし、中国の国際的影響力を封じ込めるためにもっと喧嘩腰で外交を展開せよとも言っていない。

 こうした状況下で、菅内閣は今回の事件に対して、これまでの方針を転換するのではなく、09年9月に民主党が政権を握って以来の路線をそのまま踏襲している。

■強硬路線は自殺行為に等しい

 菅内閣にとっては1つの賭けだ。将来的に関与政策が効果を発揮することに、日本政府は賭けた形になる。06年以降の「雪解け」期間に日中関係に実質的な成果がほとんどなかったことを考えれば、勝算のある賭けとは言いがたい。しかし日本政府にとって、これよりましな選択肢はない。

 日中の経済的相互関係が深まった結果、両国間に政治的な協力関係が自然に生まれるわけではないが、日本政府にとって中国と対話を絶やしたくない状況が生まれた。

 日本の歴代政権が06年以降取ってきたアプローチは、ひとことで言えば、日中関係を「保留」状態にしておこうというものだ。協力できる領域では協力しつつ、東シナ海における領有権問題などでは現状を維持しようとしてきた。そうやって時間を稼ぐうちに、中国が現状に満足するなり、現状の変更をごり押ししなくなるなりするのではないかと、期待しているのだろう。

 馬鹿げたギャンブルに見えるかもしれない。しかし、それ以外の選択肢----中国の脅威に対抗するために東アジア版のNATO(北大西洋条約機構)のような同盟関係を築く戦略----を採用すれば、これよりはるかに悪い結果を招く。敵に包囲されていると中国の強硬派が感じるようになり、中国の行動が海上での小規模な挑発行為にとどまらなくなることはほぼ確実だ。

 敵の脅威に対抗するために軍事的に先手を打つ戦略には、このような落とし穴がある。それは、19世紀後半のドイツの「鉄血宰相」ビスマルクの言葉を借りれば、「死を恐れるあまり、自殺を図る」に等しい。中国と「戦略的互恵関係」を推進する路線は、日本にとって理想的な選択肢とはとうてい言えないが、これ以外に道はないのかもしれない。

[日本時間2010年9月24日6時49分更新]

プロフィール

トバイアス・ハリス

日本政治・東アジア研究者。06年〜07年まで民主党の浅尾慶一郎参院議員の私設秘書を務め、現在マサチューセッツ工科大学博士課程。日本政治や日米関係を中心に、ブログObserving Japanを執筆。ウォールストリート・ジャーナル紙(アジア版)やファー・イースタン・エコノミック・レビュー誌にも寄稿する気鋭の日本政治ウォッチャー。

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