コラム

菅は貿易協定で「小泉」になれるか

2010年11月01日(月)18時11分

tb_011110.jpg

苦難の道 農業団体の反発をはね返して菅首相はTPPへの参加を実現できるか
Yuriko Nakao-Reuters (2)
 

 もし実現すれば、極めて野心的な政策と言えるだろう。現在の政治的状況を考えれば、思い切った政策を推し進めるのは極めて難しいはずだが、菅内閣は「環太平洋経済連携協定(TPP)」への参加を検討すると決めたらしい。

 TPPとは、シンガポール、ブルネイ、チリ、ニュージーランドが締結している多国間の自由貿易協定。現在の参加国は4カ国だが、アメリカ、オーストラリア、ペルー、ベトナム、マレーシアが参加に向けて交渉を始めている。

 民主党は09年の総選挙の際、通商政策に関して曖昧なシグナルを発した。マニフェスト(政権公約)の草案では、アメリカと2国間の自由貿易協定(FTA)を「締結」するとうたっていたが、農産物輸入の増加を恐れる農業団体の反発を受けて、アメリカとの「交渉を促進」するとトーンダウン。さらに、「国内農業・農村の振興などを損なうことは行わない」という文言が盛り込まれた。

■政府は煮え切らない態度に終始

 民主党政権が発足して以降、通商政策はほとんど注目を集めてこなかった。しかし、菅直人首相が10月1日の所信表明演説でTPPへの「参加を検討」すると発言すると、状況は一変した。

 菅の演説を受けて、前原誠司外相は貿易自由化を強く主張し始めた。10月5日に東京の外国特派員協会で行った演説では、日本の外交力の土台は経済力であると指摘。日本経済を発展させることを外交の最優先課題に据えるべきだと主張した。

 もっとも、具体的な方針については、前原もはっきり語っていない。貿易自由化が政治的に火種になりやすい問題であることを考えると、慎重な態度を取るのは意外でない。

 政府内での議論もためらいがちなものにとどまっている。政府はTPPに関してまだ意見を集めている段階で、加盟交渉を進めるかどうかは決定していない(玄葉光一郎国家戦略担当相によれば、11月第1週のうちに方針を決めるという)。

 前原外相のほか、海江田万里経済財政担当相や仙谷由人官房長官らがTPP参加を支持しているが、農林水産省と農協は反対している。連立与党の国民新党や、旧連立パートナーの社民党もTPP反対を表明している。

■通商政策版の「郵政改革」しかない?

 このような状況では、菅内閣が態度を鮮明にせず、いわば観測気球を上げて様子見をしているのは賢明なのかもしれない。しかしいくら待っても、野心的な貿易協定を結ぶ好機など訪れないのではないか。決断を先延ばしにすれば、むしろ反対派に支持固めの時間を与える結果になりかねない。

 私が思うに、日本がTPPや日米自由貿易協定などの大胆な貿易協定に参加するためには、首相が問題に正面から取り組み、貿易自由化支持派を結集し、国民に支持を呼び掛ける以外に道はない。ひとことで言えば、小泉純一郎元首相が郵政改革を推進するために行ったのと同じことをするしかないのだ。

 プリンストン大学のヘレン・ミルナー教授は「国際貿易の政治経済学」という論文で、興味深いことを述べている。その指摘を私なりに翻訳すれば、「どうして政府が貿易自由化以外の選択肢を取るのか理解できない」と首をひねるのが経済学者だとすれば、「どうして政府が保護貿易主義以外の選択肢を取るのか理解できない」と考えるのが政治学者----ということだ。国内の利益団体の反発を考えると、政治家が貿易自由化に踏み出すのは容易なことではない。

 もしTPP参加の方針を決めるとすれば、菅内閣は3つの長い戦いに乗り出す覚悟を固めなくてはならない。国会内での反対派との戦い、利益団体との戦い、そして世論の支持を得るための戦いである。

 国内で貿易自由化がひとりでに受け入れられるなどということはありえない。政府が本腰を入れて支持を訴えることが不可欠だ。その努力を怠れば、民主党政権はまた1つ苦い敗北を味わうことになるだろう。

[日本時間2010年10月30日7時33分更新]

プロフィール

トバイアス・ハリス

日本政治・東アジア研究者。06年〜07年まで民主党の浅尾慶一郎参院議員の私設秘書を務め、現在マサチューセッツ工科大学博士課程。日本政治や日米関係を中心に、ブログObserving Japanを執筆。ウォールストリート・ジャーナル紙(アジア版)やファー・イースタン・エコノミック・レビュー誌にも寄稿する気鋭の日本政治ウォッチャー。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

中国で「南京大虐殺」の追悼式典、習主席は出席せず

ワールド

トランプ氏、次期FRB議長にウォーシュ氏かハセット

ビジネス

アングル:トランプ関税が生んだ新潮流、中国企業がベ

ワールド

アングル:米国などからトップ研究者誘致へ、カナダが
MAGAZINE
特集:ジョン・レノン暗殺の真実
特集:ジョン・レノン暗殺の真実
2025年12月16日号(12/ 9発売)

45年前、「20世紀のアイコン」に銃弾を浴びせた男が日本人ジャーナリストに刑務所で語った動機とは

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    デンマーク国防情報局、初めて米国を「安全保障上の脅威」と明記
  • 2
    【衛星画像】南西諸島の日米新軍事拠点 中国の進出を睨み建設急ピッチ
  • 3
    受け入れ難い和平案、迫られる軍備拡張──ウクライナの選択肢は「一つ」
  • 4
    【クイズ】「100名の最も偉大な英国人」に唯一選ばれ…
  • 5
    「前を閉めてくれ...」F1観戦モデルの「超密着コーデ…
  • 6
    【銘柄】オリエンタルランドが急落...日中対立が株価…
  • 7
    【揺らぐ中国、攻めの高市】柯隆氏「台湾騒動は高市…
  • 8
    首や手足、胴を切断...ツタンカーメンのミイラ調査開…
  • 9
    現役・東大院生! 中国出身の芸人「いぜん」は、なぜ…
  • 10
    世界最大の都市ランキング...1位だった「東京」が3位…
  • 1
    日本人には「当たり前」? 外国人が富士山で目にした「信じられない」光景、海外で大きな話題に
  • 2
    【銘柄】オリエンタルランドが急落...日中対立が株価に与える影響と、サンリオ自社株買いの狙い
  • 3
    日本の「クマ問題」、ドイツの「問題クマ」比較...だから日本では解決が遠い
  • 4
    兵士の「戦死」で大儲けする女たち...ロシア社会を揺…
  • 5
    【衛星画像】南西諸島の日米新軍事拠点 中国の進出…
  • 6
    健康長寿の鍵は「慢性炎症」にある...「免疫の掃除」…
  • 7
    デンマーク国防情報局、初めて米国を「安全保障上の…
  • 8
    キャサリン妃を睨む「嫉妬の目」の主はメーガン妃...…
  • 9
    ホテルの部屋に残っていた「嫌すぎる行為」の証拠...…
  • 10
    中国軍機の「レーダー照射」は敵対的と、元イタリア…
  • 1
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」に...日本からは、もう1都市圏がトップ10入り
  • 2
    一瞬にして「巨大な橋が消えた」...中国・「完成直後」の橋が崩落する瞬間を捉えた「衝撃映像」に広がる疑念
  • 3
    高速で回転しながら「地上に落下」...トルコの軍用輸送機「C-130」謎の墜落を捉えた「衝撃映像」が拡散
  • 4
    日本人には「当たり前」? 外国人が富士山で目にした…
  • 5
    「999段の階段」を落下...中国・自動車メーカーがPR…
  • 6
    【銘柄】オリエンタルランドが急落...日中対立が株価…
  • 7
    「髪形がおかしい...」実写版『モアナ』予告編に批判…
  • 8
    日本の「クマ問題」、ドイツの「問題クマ」比較...だ…
  • 9
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるよ…
  • 10
    まるで老人...ロシア初の「AIヒト型ロボット」がお披…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story