コラム

TPP構想は新内閣の試金石

2011年01月25日(火)18時14分

菅首相は施政方針演説でTPP締結への意欲を強調した

固い決意 菅首相は施政方針演説でTPP締結への意欲を強調した(1月24日) Issei Kato-Reuters

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  第177通常国会が召集された1月24日、菅直人首相は(環太平洋自由貿易協定(TPP)締結への決意をあらためて表明した。アジア諸国やアメリカなどが連携して自由貿易圏をつくるというTPP構想への参加は、菅政権の目玉の一つ。だが、他国からの安い農産物が輸入されれば国内の農業が崩壊するという反対論が党内の農水族から噴出し、いったんは頓挫していた。

 それでも、菅の決意は揺らがなかった。先日行われた内閣改造も、税制と年金の改革とTPP締結を見据えたものだった。

 TPPに絡む最も重要な変化は、経済産業相に海江田万里を起用したこと。さらに農家出身の鉢呂吉雄に代わって、安住淳を国対委員長に抜擢。日本外交における経済開放の重要性を説いてきた前原誠司の外相留任と合わせて、貿易自由化に前向きな人材が揃った。新改造内閣は即座に、TPP締結を政権の柱とすることで合意した。

■まずは財界との協力関係構築を

 問題は、菅がこの野心的な挑戦を現実に落とし込むことができるかだ。少なくとも、菅政権(と民主党)が目標を絞ったのは確かなようだ。1つか2つの重要課題にエネルギーを注ぎ込んだ末にしくじった結果、民主党政権は年金・税制改革とTPPという2つの緊急課題に狙いを定めている。

 さらにアメリカや韓国、中国との関係改善や予算審議というハードルも待ち受けている。参議院で過半数割れしている民主党政権にとっては、これだけでも手に余るほどの難題だろう。

 菅が年頭所感で使った「平成の開国」という表現には、輸入を増やすだけでなく、諸外国との文化的、知的、社会的交流に門戸を開くという意図も込められていた。だが、明治維新と戦後に次ぐ「第3の開国」を実現するには、菅政権は小泉政権が郵政改革で経験した以上の激しい抵抗に直面するだろう。「一票の格差」問題のために地方の声が大きい現状(地方選出の民主党議員が多いため、党内の反発は避けられない)や、国内各地の地方議会の反発、並外れた農協の権力を考えると、菅政権の前には手ごわくて、克服不可能かもしれない障害物が山積している。

 自由貿易は特定の集団に犠牲を強いる一方で、誰が利益を得るのかみえにくいため、いずれ行き詰るというのが国際政治経済学の一般的な認識だ。もちろん、自由貿易協定に調印しても、この「常識」に反して成功している国も数多くある。

 農水族の抵抗を抑えこむために、菅政権はどんな手段を講じるべきだろうか。まず手始めに、政府は反TPP陣営に対抗する独自のネットワークづくりを進めるべきだ。菅がその言葉の通り、TPP締結に本気で取り組むのであれば、経団連のような財界団体との連携は不可欠だ。

 民主党と大企業の寒々しい関係や労働組合との結びつき(さらに、大企業と自民党の長年の関係)を考えれば、民主党と財界の連携には努力が必要だ。その点、先週行われた海江田経産相と経団連の米倉弘昌会長の会談は、心強い第一歩となった。

 もっとも、友好的な利益団体のサポートだけではTPP締結は程遠い。この問題は、民主党が掲げる政策決定の内閣一元化システムにとっても、初の重要な試金石となるかもしれない。民主党がモデルとするイギリス流のシステムでは、次のようなプロセスで政策決定が進行する。

(1)TPP戦略について政府が関係省庁と調整を行う

(2)全閣僚の意見を一致させる

(3)与党内の反対派を説得する

(4)施策について世論に向けて強力かつ直接的にアピールする

■小泉スタイルのPR戦略が効果的

 参議院で野党が過半数を占めるため、シナリオどおりに行かないケースも多いだろう。それでも、菅政権には武器となる方策がいくつかある。例えば東京在住のジャーナリスト、アンディ・シャープが国際関係のオンライン雑誌「ザ・ディプロマット」で論じたように、政府は小泉純一郎スタイルのPR戦略を取るべきだろう。政府は、TPPと広い意味での自由貿易が日本にとってプラスであることを国民にアピールする必要がある。
 
 TPP支持者の連合体をつくる努力も大切だ。貿易政策への賛否は自分が置かれた立場によって決まるという考え方は大げさで、実際には自由貿易の信奉者が多いとされる都市部でさえ、全員が賛成とは限らない。2〜3月に各地のタウンホールでTPPのメリットを売り込む説明会を開催するという政府の計画は、支持派の連合体を生み出す一歩となるだろう。

 だが、それだけでは国民との対話は十分とは言いがたい。さらに、犠牲を強いられる集団に対する補助金などの出費もやむをえないだろう。

 年金支給年齢の引き上げと消費税増税の論議と並行して、TPP問題を論じることには、かなりのリスクが伴う。うまく進めないと、世論の反発が強まり、TPPへの賛同を募る地道な活動が台無しになりかねない。

 それでも、菅政権と民主党がようやく課題を絞り込んだのは間違いなさそうだ。新生・菅政権は成功を収める可能性を秘めている。
 
 [日本時間2011年01月22日09時24分更新]

プロフィール

トバイアス・ハリス

日本政治・東アジア研究者。06年〜07年まで民主党の浅尾慶一郎参院議員の私設秘書を務め、現在マサチューセッツ工科大学博士課程。日本政治や日米関係を中心に、ブログObserving Japanを執筆。ウォールストリート・ジャーナル紙(アジア版)やファー・イースタン・エコノミック・レビュー誌にも寄稿する気鋭の日本政治ウォッチャー。

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