コラム

安倍元首相の死は民主主義の危機か

2022年07月12日(火)14時27分

安倍元首相の告別式を訪れた市民(7月12日、東京港区の増上寺) Issei Kato-REUTERS

<本当の「民主主義」の危機は、安倍元首相が撃たれる前から始まっていた>

7月8日、安倍晋三元首相が奈良県での選挙遊説中に銃で撃たれ死亡した。事件が起きた当初は政治的事件だと直感的に考えられており、「民主主義を守れ」「言論を暴力で封じるべきではない」といった内容のスローガンが政治的党派を超えて主張されていた。

しかし事件の背景が徐々に明らかになるにつれて、この殺害事件は安倍元首相が関係していた新宗教の分派問題に由来する可能性が高まってきた。そうだとするならば、これは民主主義と暴力という一般論では語り尽くせないテーマだ。「民主主義を守る」とは、一体どのようなことなのだろうか。

動機は政治的信条とは無関係

殺害実行犯の供述に関する第一報では、彼は「政治信条に対する恨みではない」と述べ、狙ったのは、「(特定の)宗教団体のメンバー」であったが「難しいと思い、安倍元総理を狙った」ということだった。安倍元首相が長野遊説を変更し8日に奈良を訪れたのは、その前日に急遽決まったことであり、偶発的なものだ。しかし一方で容疑者は、「特定の宗教団体に恨みがあり、安倍元総理がつながりがあると思い込んで犯行に及んだ」と述べており、計画的な殺害だったことも示唆している。彼は前日7日の遊説先であった岡山にも訪れていたことも分かっており、また自作の武器を一カ月ほど前から作成していることから、十分準備された犯行であった可能性も高い。

報道によれば、その宗教団体とは世界平和統一家庭連合、いわゆる統一協会のことであり、統一協会容疑者の母親が所属していた事実を11日に開かれた会見で明らかにした。容疑者はその宗教団体の分派に属しており、金銭関係のトラブルなどから団体に恨みをもち、統一協会と祖父岸信介元首相の時代から関係が深い安倍元首相を狙ったのだという。

安倍元首相は、統一協会系の式典にビデオメッセージや祝電を送り、また機関紙の表紙を飾るなど単なる名義貸し以上のコミットメントを行っていた。またこの宗教団体はそもそも反共思想を通じて歴史的に自民党と繋がっており、憲法改正や、同性婚反対などの保守的政策に影響を及ぼしているといわれる。

もっとも、安倍元首相は教団の広告塔のような役割を果たしてはいたが、教団の個々の信徒に対する意志決定にまで関与していたとはいえないし、そもそもいくら私的な恨みがあったとしても、銃で撃ってもよい人物などいないことは言うまでもない。

政治史的には特殊な事件

こうした犯行の動機や経緯が事実だとすれば、この犯行は歴史上の要人暗殺事件とは異なる観点からみる必要がある。多くの要人暗殺事件は、政治的な敵対性が極端化した結果として、あるいは政治的な言論を暴力で黙らせようとする勢力によって行われる。しかし安倍元首相の場合は、そのような理由で凶弾に倒れたわけではないのだ。容疑者個人にしてみれば私怨ともいえるが、より巨視的な観点からいえば、背景にあるのは、政治と新宗教との構造関係だ。街頭演説中を襲ったという点を除けば、この事件をもって民主主義が危機に陥ったわけではない。

また社会の中で蓄積した様々な鬱屈や閉塞感が、突如として極端な暴力となって現れる時代的な風潮の問題としても捉えることができる。犯行があった前日、仙台で43歳の男性が、「刑務所に入りたかった」という理由で女子中学生に対して刃物を切りつけるという事件もあった。この二つが同時多発的に起きているのは象徴的だ。

プロフィール

藤崎剛人

(ふじさき・まさと) 批評家、非常勤講師
1982年生まれ。東京大学総合文化研究科単位取得退学。専門は思想史。特にカール・シュミットの公法思想を研究。『ユリイカ』、『現代思想』などにも寄稿。訳書にラインハルト・メーリング『カール・シュミット入門 ―― 思想・状況・人物像』(書肆心水、2022年)など。
X ID:@hokusyu1982

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

焦点:闇に隠れるパイロットの精神疾患、操縦免許剥奪

ビジネス

ソフトバンクG、米デジタルインフラ投資企業「デジタ

ビジネス

ネットフリックスのワーナー買収、ハリウッドの労組が

ワールド

米、B型肝炎ワクチンの出生時接種推奨を撤回 ケネデ
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:日本時代劇の挑戦
特集:日本時代劇の挑戦
2025年12月 9日号(12/ 2発売)

『七人の侍』『座頭市』『SHOGUN』......世界が愛した名作とメイド・イン・ジャパンの新時代劇『イクサガミ』の大志

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    健康長寿の鍵は「慢性炎症」にある...「免疫の掃除」が追いつかなくなっている状態とは?
  • 2
    【クイズ】アルコール依存症の人の割合が「最も高い国」はどこ?
  • 3
    兵士の「戦死」で大儲けする女たち...ロシア社会を揺るがす「ブラックウィドウ」とは?
  • 4
    日本人には「当たり前」? 外国人が富士山で目にした…
  • 5
    左手にゴルフクラブを握ったまま、茂みに向かって...…
  • 6
    「ボタン閉めろ...」元モデルの「密着レギンス×前開…
  • 7
    主食は「放射能」...チェルノブイリ原発事故現場の立…
  • 8
    『羅生門』『七人の侍』『用心棒』――黒澤明はどれだ…
  • 9
    戦争中に青年期を過ごした世代の男性は、終戦時56%…
  • 10
    イスラエル軍幹部が人生を賭けた内部告発...沈黙させ…
  • 1
    日本人には「当たり前」? 外国人が富士山で目にした「信じられない」光景、海外で大きな話題に
  • 2
    健康長寿の鍵は「慢性炎症」にある...「免疫の掃除」が追いつかなくなっている状態とは?
  • 3
    兵士の「戦死」で大儲けする女たち...ロシア社会を揺るがす「ブラックウィドウ」とは?
  • 4
    100年以上宇宙最大の謎だった「ダークマター」の正体…
  • 5
    戦争中に青年期を過ごした世代の男性は、終戦時56%…
  • 6
    7歳の息子に何が? 学校で描いた「自画像」が奇妙す…
  • 7
    イスラエル軍幹部が人生を賭けた内部告発...沈黙させ…
  • 8
    【クイズ】アルコール依存症の人の割合が「最も高い…
  • 9
    【銘柄】関電工、きんでんが上昇トレンド一直線...業…
  • 10
    人生の忙しさの9割はムダ...ひろゆきが語る「休む勇…
  • 1
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」に...日本からは、もう1都市圏がトップ10入り
  • 2
    一瞬にして「巨大な橋が消えた」...中国・「完成直後」の橋が崩落する瞬間を捉えた「衝撃映像」に広がる疑念
  • 3
    【写真・動画】世界最大のクモの巣
  • 4
    高速で回転しながら「地上に落下」...トルコの軍用輸…
  • 5
    「999段の階段」を落下...中国・自動車メーカーがPR…
  • 6
    まるで老人...ロシア初の「AIヒト型ロボット」がお披…
  • 7
    「髪形がおかしい...」実写版『モアナ』予告編に批判…
  • 8
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるよ…
  • 9
    インド国産戦闘機に一体何が? ドバイ航空ショーで…
  • 10
    ポルノ依存症になるメカニズムが判明! 絶対やって…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story