コラム

シリコンバレー、仰天「社員特典」のヤフーな副作用

2013年03月09日(土)16時00分

「パーク(perk)」と呼ばれる社員特典制度が、シリコンバレーで充実してきた。いや、充実どころかちょっと過剰気味になっている。各社が充実度を競う結果「え、そんなことまで?」という制度も増えてきている。

 パークの充実には全米の企業が努力しているが、とりわけシリコンバレー企業にとっては不可欠のものと言っていい。エンジニアは常に供給不足で引く手あまた。どの企業も職場環境の魅力をアピールすることで少しでも優秀なエンジニアを雇い入れ、また他の企業への転職を防ごうと必死なのだ。

 パークの具体的な中身をレベル別に見てみよう。

■基本レベル
・フレックスタイム
・在宅勤務
・社内カフェテリアでのグルメなランチ(割引料金、あるいは無料)
・社内スポーツクラブ、ヨガやダンスのクラス(無料)
・ペット同伴出勤
・無料のスナック、ドリンク

■中級レベル
・Wi-Fi完備の社用バスによる送迎出勤
・社内無料マッサージ
・美容院、理容院出張サービス
・ドライクリーニング・サービス
・歯医者の出張サービス
・クリニックでの診療(無料)
・社内カフェテリアでの栄養指導
・社内スポーツクラブでのパーソナルトレーナーによる指導(無料)

■最新レベル
・スマートフォンの支給
・社内昼寝スペースの設置
・くつろぎの屋上庭園
・無制限休暇
・休暇のための補助金支給(1000ドル=約9万円など)
・自宅の清掃サービス(無料)
・無料のお酒

 一体どこまでサービスしたら気が済むのかというほどのエスカレートぶりだ。数年前は、グーグルが遊び心いっぱいのオフィスをつくって話題を呼んだが、最近はもうそんな程度では優秀なエンジニアの関心を引くことができないのだろう。これでもか、これでもかというほどパーク競争が過熱している。今では東海岸の古い企業もシリコンバレー企業を見学して、職場環境を研究しているという。

 部外者にとってはうらやましい限りの環境なのだが、さてこうしたパークがいいことずくめかというと、実はそうではない。そこで働く社員は、パークの見えざる側面についても意識を払う必要がある。

 まず、パークを悪用する社員が出てくる。最近話題になったヤフーの在宅勤務禁止令は、パークを悪用して仕事をさぼる社員が多かったための処置だった。メールを送っても返事がない。電話をかけても応答しない。何のことはない。在宅勤務の社員は家でくつろいだり、どこかへ出かけたりしていたのである。そのせいでチームで仕事をしようにもリズムが合わない。そうした彼らが会社全体に及ぼす悪影響は、いわずもがなだろう。

 社内のグルメ・カフェテリアのおかげで、肥満社員が続出という影響も出ている。食べていない時間は、ただただコンピュータに向かうだけ。おいしい食事を楽しんで座り続ける生活では、そんなことになっても当然だろう。

 こうした欠点はわかりやすいケースだが、もっと隠れた側面もある。

 まず、こうしたパークはすべて社員をもっと働かせるための方策であるということだ。ランチのために外に出かける必要もない。クリーニングも散髪も社内で済ませられるので、早く家に帰って雑用をすませなければと焦る理由もなくなる。家が散らかってくれば、会社が派遣する清掃業者がピカピカに掃除してくれる。こうして社員はもっと多くの時間を会社で過ごすようになるのだ。

 オフィスのデザインもそれを後押しする。最近のシリコンバレーのオフィス・デザインは、楽しげな会議室あり、くつろげるソファのスペースあり、昼寝の場所もあれば、野外で気持ちいい風を受けながら仕事できるスペースもあり。一人きりになりたければ、周囲が仕切られた心地よい空間も用意されている。つまり、その時の気分によって場所を移動しながら、けれどもずっと社内で過ごすことが苦痛でなくなるのだ。

 デスクと椅子だけが延々と並ぶ日本のオフィスのような空間や、これまでのアメリカ企業の典型であるキュービクル(パーティションで区切られた個別のオフィススペース)にいれば、夕方頃には息が詰まって早く帰りたくもなるだろう。だが、シリコンバレーの気持ちいいオフィスならば、ずっとそこにいても精神的な負担がない。いや、むさ苦しい自宅よりもずっと居心地がいい。

 かくして、軽く10数時間を会社で過ごすことになるのだ。会社の策にずっかりはまってみっちりと働かされることになる、というわけだ。ワークライフ・バランスが声高に提唱されているが、こうした職場はライフを限りなくワークの場に近づける。そうしてライフの時間がなくなっていることにも気づかぬままに。

 こうした職場環境は若い社員、ことに未婚の社員向けであることもポイントだ。家路に急がなくてもいいシングルな彼らは、エネルギーもあるので長時間勤務が可能。言葉を変えれば、この若者的環境は、家族持ちや年配の社員には、どんどんいづらいものになってくる。

 内向的な性格の人々にとっても、辛い職場だろう。上述したように、昨今のオフィス・デザインは、みながオープンで自由な空間の中を動き回りながら仕事をする形になっている。「まるでおもちゃ売り場のよう」とも言われる。社交的な人間にはぴったりの環境なのだが、人と喋るのが苦手な内向的な人、あるいはじっくりともの静かに思考を巡らせたいタイプの人には、ほとんど苦痛だ。企業によっては、こうした人々のために特別仕様の閉鎖スタイルの仕事スペースを設ける場合もあるようだ。

 手厚いパークによって、とんだ勘違いも起こるだろう。もともとこうしたパークは、「優秀な」エンジニアに向けたもの。それ以外の人々は、たまたまそこで働いているから同じ恩恵を受けているだけだ。パークを享受するあまりにうっとりして、仕事の達成度が下がるようなことがあれば、即刻クビになることを忘れてはならない。

 パークが周囲の街の環境にも悪影響を及ぼす例も出てきた。たとえば、サンフランシスコとシリコンバレーは自動車で40分ほどの距離なのだが、朝夕はその間のハイウェイを各企業の通勤バスがひっきりなしに走っている。Wi-Fi完備で椅子の座り心地もよく、社員はコンピュータを開いて仕事をしながら会社に出勤するのが常だ。各社員が自分の車を運転して出勤するよりも、環境にもいいとされている。

 だがこんな便利な通勤バスがあるため、ことに若い社員が退屈な郊外であるシリコンバレーよりも、おしゃれなクラブやレストランのあるサンフランシスコに大挙して移り住み始めたのだ。その結果、サンフランシスコの家賃が急騰して、これまでそこに住んでいた学校の先生や店員、アーティスト、あるいは家族持ちといった人々が町から追い出されているのだという。

 サンフランシスコは、テクノロジー企業務めの高給取りの成り金貴族だけが住める排他的な場所になってきたのだ。これは多様性が削がれていくことを意味し、都市環境にとっては必ずしもいいものとは言えない。
 
 そして、ここが肝心だが、パークが充実するあまり、仕事の本質が見えにくくなってきている。本当にいい仕事ができる環境がそこにあり、優れた仕事ができる人材が集まっているかどうかの見分けがつきにくくなっているのだ。いいアイデアが押さえ込まれたり、バカバカしい社内政治が職場を牛耳っていたとしても、パークの魅力でそれを覆い隠すこともできる。また、クビにならない程度に仕事はこなしパークの恩恵にただ乗りしようという社員も出てくるだろう。経営者にとっては苦々しい限りだ。

 古風なことを言うようだが、世の中を変えるようなすごい仕事をしたい人々にとっては、パークの有無は問題ではない。すごいチームとすごいアイデアさえあれば、そこが自分にとっての最良の職場になる。今でも、先鋭的なスタートアップはそんな場所であり続けている。その意味では、パークずくめのシリコンバレー企業は、ちょっと危険な成熟期に入ったといえるだろう。

プロフィール

瀧口範子

フリーランスの編集者・ジャーナリスト。シリコンバレー在住。テクノロジー、ビジネス、政治、文化、社会一般に関する記事を新聞、雑誌に幅広く寄稿する。著書に『なぜシリコンバレーではゴミを分別しないのか? 世界一IQが高い町の「壁なし」思考習慣』、『行動主義: レム・コールハース ドキュメント』『にほんの建築家: 伊東豊雄観察記』、訳書に『ソフトウェアの達人たち: 認知科学からのアプローチ(テリー・ウィノグラード編著)』などがある。

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