コラム

中東にとっての「広島・長崎」

2015年08月07日(金)20時05分

 中東から研究者を日本に招聘すると、多くの場合「広島、長崎に行きたい」と言う。日本に来たからには被爆地を見ないことには、という人は、少なくない。

 「第二次大戦でアメリカに核攻撃された日本、その敗戦から立ち上がった日本」は、中東諸国で長く「いいイメージ」として定着してきた。イスラエルやアメリカの圧倒的な軍事力の前にねじ伏せられてきた、というアラブ諸国の思いが、戦争の被害者としての日本への共感として寄せられる。「平和主義の日本」、あるいは植民地支配した西欧諸国やイスラエルを支援するアメリカのようには、「アラブ諸国に悪さをしてこなかった日本」といったイメージを、政府も企業も、さらにはNGOなど援助団体も、最大限に利用してきた。

 しかし、そのイメージは、ある意味でアラブ側が勝手に作り上げた日本に対する夢を、日本側が適当に利用してきただけではないか、とも思える。彼らが抱く日本像に対して日本の立ち位置を明確にすることを、むしろ回避してきたのではないだろうか。はっきり示してしまうと、彼らの夢を壊すからだ。
 
 イラク戦争後、日本政府が自衛隊をサマーワに派遣した際、アラブ諸国の間で日本に裏切られた、という趣旨の世論が広がった。ヨルダンの大手紙記者は、イラク戦争直後の広島での平和記念式典に出席した感想として、「日本はアメリカに原爆を投下され、その上でアメリカの友人なのであれば、イラクで(核攻撃の一種と言える)劣化ウラン弾を使用するのはいけない、というべき立場にあるのではないか」、といった論説を書いた。エジプトの英字誌の一コママンガには、日の丸のついた大きな手が箸で、後ろ手で縛り上げられたイラク人を摘み上げる絵が掲載された。いずれも、「私たちが知り、夢見てきた日本とは違ってしまった」という思いが表れていた。

 「広島、長崎」は、これまでいろんな人にいろんな立場でいいように使われてきた。イラクのサッダーム・フセイン、リビアのカダフィ、そして今のイラン政府が「広島、長崎」というとき、それはたいてい、「アメリカの暴挙」を意味した。アメリカはこんなひどいことをする国なんだ、その被害にあった日本は、アメリカと厳然と対立している我が国と足並みそろえてしかるべきじゃないか、と。その「反米独裁者」たちも次々に倒され、今そのロジックを堂々と展開する国は、イランくらいしかない。

 だが、それに代わって、最近のアラブ諸国の核に対する関心は、「核開発競争に乗り遅れる」に視点が移ってきた。それまでのロジックは、「イスラエルが核を保有してアラブ諸国を脅かしているのはけしからん」→「国際社会はイスラエルの核保有をやめさせるべきだ」=世界の「非核化」を推進する平和日本に期待、という流れだった。だが、2000年代後半にイランの核開発が問題となっていくと、アラブ諸国の一部には「アラブも核開発を」といった主張が生まれてくる。

 特に、イランの核開発の脅威が米、イスラエルとの一触即発状態を生んだ2008、09年には、「アラブ核開発」の声が一段と高まりを見せた。汎アラブのエリート大手紙「ハヤート」には、「イスラエルとイランの核兵器に対抗して、エジプトとサウディが共同で核開発事業を進めるべきだ」との論説か掲載された。興味深いのは、そこで日本の原爆経験が次のように「教訓」とされていることだ。

プロフィール

酒井啓子

千葉大学法政経学部教授。専門はイラク政治史、現代中東政治。1959年生まれ。東京大学教養学部教養学科卒。英ダーラム大学(中東イスラーム研究センター)修士。アジア経済研究所、東京外国語大学を経て、現職。著書に『イラクとアメリカ』『イラク戦争と占領』『<中東>の考え方』『中東政治学』『中東から世界が見える』など。最新刊は『移ろう中東、変わる日本 2012-2015』。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

西側国家のパレスチナ国家承認、「2国家解決」に道=

ワールド

独首相、ウクライナ戦闘の停戦協議開催地にジュネーブ

ビジネス

米メルクの脂質異常症経口薬、後期試験でコレステロー

ビジネス

中国サービスPMI、8月は53.0 15カ月ぶり高
MAGAZINE
特集:豪ワーホリ残酷物語
特集:豪ワーホリ残酷物語
2025年9月 9日号(9/ 2発売)

円安の日本から「出稼ぎ」に行く時代──オーストラリアで搾取される若者たちの実態は

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「怖すぎる」「速く走って!」夜中に一人ランニングをする女性、異変を感じ、背後に「見えたモノ」にSNS震撼
  • 2
    50歳を過ぎても運動を続けるためには?...「動ける体」をつくる4つの食事ポイント
  • 3
    「見せびらかし...」ベッカム長男夫妻、家族とのヨットバカンスに不参加も「価格5倍」の豪華ヨットで2日後同じ寄港地に
  • 4
    東北で大腸がんが多いのはなぜか――秋田県で死亡率が…
  • 5
    上から下まで何も隠さず、全身「横から丸見え」...シ…
  • 6
    1日「5分」の習慣が「10年」先のあなたを守る――「動…
  • 7
    トレーニング継続率は7倍に...運動を「サボりたい」…
  • 8
    日本の「プラごみ」で揚げる豆腐が、重大な健康被害…
  • 9
    Z世代の幸福度は、実はとても低い...国際研究が彼ら…
  • 10
    「人類初のパンデミック」の謎がついに解明...1500年…
  • 1
    東北で大腸がんが多いのはなぜか――秋田県で死亡率が下がった「意外な理由」
  • 2
    1日「5分」の習慣が「10年」先のあなたを守る――「動ける体」をつくる、エキセントリック運動【note限定公開記事】
  • 3
    信じられない...「洗濯物を干しておいて」夫に頼んだ女性が目にした光景が「酷すぎる」とSNS震撼、大論争に
  • 4
    50歳を過ぎても運動を続けるためには?...「動ける体…
  • 5
    25年以内に「がん」を上回る死因に...「スーパーバグ…
  • 6
    豊かさに溺れ、非生産的で野心のない国へ...「世界が…
  • 7
    日本の「プラごみ」で揚げる豆腐が、重大な健康被害…
  • 8
    首を制する者が、筋トレを制す...見た目もパフォーマ…
  • 9
    「怖すぎる」「速く走って!」夜中に一人ランニング…
  • 10
    上から下まで何も隠さず、全身「横から丸見え」...シ…
  • 1
    こんな症状が出たら「メンタル赤信号」...心療内科医が伝授、「働くための」心とカラダの守り方とは?
  • 2
    「自律神経を強化し、脂肪燃焼を促進する」子供も大人も大好きな5つの食べ物
  • 3
    デカすぎ...母親の骨盤を砕いて生まれてきた「超巨大ベビー」の姿にSNS震撼「ほぼ幼児では?」
  • 4
    デンマークの動物園、飼えなくなったペットの寄付を…
  • 5
    「まさかの真犯人」にネット爆笑...大家から再三「果…
  • 6
    信じられない...「洗濯物を干しておいて」夫に頼んだ…
  • 7
    山道で鉢合わせ、超至近距離に3頭...ハイイログマの…
  • 8
    「レプトスピラ症」が大規模流行中...ヒトやペットに…
  • 9
    「あなた誰?」保育園から帰ってきた3歳の娘が「別人…
  • 10
    将来ADHDを発症する「幼少期の兆候」が明らかに?...…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story