パリとシリアとイラクとベイルートの死者を悼む
パレスチナでレバノンとパリのテロに抗議して連帯を示す人たち Mussa Qawasma-REUTERS
先週、かつて日本に留学していたというシリア人の女性が、来日していた。留学から戻って、ダマスカス大学で日本語教師をしていたのだが、内戦と化したシリアで、今はシリア赤新月社の難民救援のボランティアをしているという。
彼女が、かつて学んだ校舎で日本人の学生たちに言った言葉が、重い。
「かつて私がここで学んでいたとき、自分の国がこんなふうになってしまうなんて、想像もしてなかった。みんなと同じように、普通に勉強し、普通にレストランにいっておしゃべりし合っていたのに」。
13日、パリでコンサート会場を襲った襲撃犯は、銃を撃ちながらシリアやイラクのことを口にしていたという。「フランスはシリアに関与すべきではなかった」「フランスはシリアで起きていることを知るべきだ」。目撃者の証言では、犯人はどこにでもいる普通の若者で、街であったらわからなかっただろう、という。現在判明している限りでは、彼らはヨーロッパで生まれ育った青年であるという。
ヨーロッパがこんなに富と繁栄と猥雑と快楽に満ち溢れているというのに、シリアやイラクで起きていることは流血と暴力と破壊と死だ。なぜ私たちばかりが、という思いが、過去数年間、イラク戦争やシリア内戦以来、積み重なってきた。パレスチナ問題を加えれば、過去60年以上にわたって、だ。
パリでの惨事のあとに中東諸国で飛び交うツイッターやコメントのなかには、パリでの事件と、その前日に起きたレバノンでの爆破事件を重ねあわすものが多い。まさに「中東のパリ」とかつて呼ばれたベイルートの、にぎやかな商業地区二箇所で同時に起きた事件で、43人の死者と200人の負傷者を出した。シーア派イスラーム主義組織「ヒズブッラー」の支持基盤地域を狙ったものだったが、ここ数ヶ月激化している、「イスラーム国」とイラン革命防衛隊やヒズブッラー、イラクのシーア派民兵集団「人民動員組織」の間の抗争を反映したものだ。
ベイルートもパリも、「イスラーム国」との戦いの延長で、テロによる報復にあった。だが、その二つは受け取られ方の点で、大きく違う。
ひとつは、ベイルートでの事件が、欧米メディアのなかでかき消されていることだ。英インディペンデント紙の報道によると、「イスラーム過激主義の動向を懸念している国」リストのなかで、フランスとレバノンは同率2位(67%)である(1位は「ボコハラム」の攻勢に悩むナイジェリア(68%)だ)。中東の出来事だって、パリと同じく「被害者」として扱われてしかるべきなのに、という思いが、中東諸国だけではなく世界に広がる。アメリカの歌手、ベット・ミドラーは、こうツイートしている。「パリの事件も悼ましいが、ベイルートでの犠牲者も忘れてはいけない」。
ふたつ目は、フランスが「イスラーム国」との戦いに深く関与していることが覆い隠されていることだ。ベイルートで起きていることは「イスラーム国」の周辺として波及しても当たり前だが、遠いフランスは理不尽なテロに巻き込まれただけ、と思う。それは、違う。フランスは、堂々と「イスラーム国」との戦い(実際にはアサド政権のシリアとの戦い?)に参戦している。参戦して空爆でシリアの人々の命を脅かしているのに、フランスの人々は戦線から遠いところにいる。だったら遠いところから近いところに引きずりだしてやろうじゃないか――。犯人が劇場で、「フランスはシリアで起きていることを知るべきだ」とフランス語で叫んだのは、そういう意味ではないか。
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