コラム

チュニジア・ジャスミン革命の「意外」性

2011年01月20日(木)10時05分

 チュニジアの政変には、驚いた。

 中東に長期独裁を問題視する声は多かれど、その崩壊劇がチュニジアで起きるとは、予想していた者は多くはなかったに違いない。

 報道では、フェースブックを始めとするメディアの役割に、今回の政変の意外性を見る分析が多い。だが、ネットが民衆運動に劇的な役割を果たしたのは今回が初めてではない。一昨年の六月、イランで大統領選挙の後、従来になく大規模な反政府デモが展開されたが、そこに集まった人々はツイッターやショートメールで情報交換した。2008年年末のイスラエルによるガザ攻撃の際、砲撃に晒されて家を出られないパレスチナ人がブログで伝えた「実況」は、世界を駆け巡った。

 中東は、近年ネットユーザー数の急増が、世界でも顕著な地域である。いまや国民の三人に一人はネットユーザーで、その数は十年前に比べて30倍以上に増えた。特にイランやシリアなど情報統制の厳しい国での増加率は100倍以上だ。同じように最新の通信手段を使いながら、イランでは政権交替まで行かず、チュニジアで大統領辞任まで発展したのはなぜか。情報通信手段の革新だけで説明できるものではない。

 むしろ今回の政変で意外なのは、反政府運動を主導するのにイスラーム主義系政党が前面に出ていない点だ。過去30年の間、中東で左派系、民族主義系の長期独裁政権に反旗を翻し、挑戦してきたのは、ほとんどがイスラーム主義系の政党だ。隣国アルジェリアで20年前に社会主義政権が崩壊したのは、総選挙でイスラーム勢力が勝利したことを契機とする。危機感を感じた当時のベンジャディード政権が、憲法停止など民主化に退行する手段をとり、イスラーム勢力と軍が衝突して凄惨な内戦が10年近く続いた。長年パレスチナの政治主流だったPLOに2006年に選挙で勝利したのは、イスラーム主義のハマースだ。独裁に反対し民衆運動を主導するのはイスラーム主義、と相場が決まっていた。

 一方で非イスラーム系のリベラル左派は、多くの国で力を失っていた。2005年エジプトでの総選挙は、左派系リベラル知識人が反ムバーラク市民運動を展開して注目されたが伸びず、イスラーム勢力の後塵を拝した。イラク戦争以降の数年は、米国の政策もあって中東の民主化が謳われた時期であるが、実際には思うように民主化は進まなかった。

 むしろ長期政権の統治手法は、どんどん巧妙になる。リベラル派のエリートは既存政権に取り込まれて、真っ向から挑戦する姿勢を失っていく。欧米諸国も最近は、民主化で不安定化したりイスラーム化したりするより、安定的な長期政権のほうが扱いやすい、というムードに逆戻りしつつあった。その矢先の、チュニジアの政変だ。

 崩壊した政権のあとが、どういう体制になるのかは、未知数だ。国外亡命していたイスラーム政党のリーダーも戻る。イラン革命のように後にイスラーム勢力が政権を左右することになるのか、それとも半世紀ぶりに左派系主導の「革命」になるのか。はたまたトップの挿げ替えで終わるか。権力の空白が略奪や無秩序を生んでいることは、戦後のイラクの混乱の再現をも予感させる。不安定と権力抗争という過去の繰り返しとなるのか。

 他山の石とハラハラしている周辺国の長期政権が、その教訓を「ベン・アリーは甘かった」と考えて一層統制を強めるのでは、との危惧もある。今後の展開に、目が離せない。

プロフィール

酒井啓子

千葉大学法政経学部教授。専門はイラク政治史、現代中東政治。1959年生まれ。東京大学教養学部教養学科卒。英ダーラム大学(中東イスラーム研究センター)修士。アジア経済研究所、東京外国語大学を経て、現職。著書に『イラクとアメリカ』『イラク戦争と占領』『<中東>の考え方』『中東政治学』『中東から世界が見える』など。最新刊は『移ろう中東、変わる日本 2012-2015』。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

MAGA派グリーン議員、来年1月の辞職表明 トラン

ワールド

アングル:動き出したECB次期執行部人事、多様性欠

ビジネス

米国株式市場=ダウ493ドル高、12月利下げ観測で

ビジネス

NY外為市場=円急伸、財務相が介入示唆 NY連銀総
MAGAZINE
特集:世界も「老害」戦争
特集:世界も「老害」戦争
2025年11月25日号(11/18発売)

アメリカもヨーロッパも高齢化が進み、未来を担う若者が「犠牲」に

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    ポルノ依存症になるメカニズムが判明! 絶対やってはいけない「3つの行動」とは?【国際研究チーム】
  • 2
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるようになる!筋トレよりもずっと効果的な「たった30秒の体操」〈注目記事〉
  • 3
    AIの浸透で「ブルーカラー」の賃金が上がり、「ホワイトカラー」は大量に人余り...変わる日本の職業選択
  • 4
    「週4回が理想です」...老化防止に効くマスターベー…
  • 5
    中国の新空母「福建」の力は如何ほどか? 空母3隻体…
  • 6
    「髪形がおかしい...」実写版『モアナ』予告編に批判…
  • 7
    マムダニの次は「この男」?...イケメンすぎる「ケネ…
  • 8
    ロシアのウクライナ侵攻、「地球規模の被害」を生ん…
  • 9
    「裸同然」と批判も...レギンス注意でジム退館処分、…
  • 10
    「まじかよ...」母親にヘアカットを頼んだ25歳女性、…
  • 1
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」に...日本からは、もう1都市圏がトップ10入り
  • 2
    高速で回転しながら「地上に落下」...トルコの軍用輸送機「C-130」謎の墜落を捉えた「衝撃映像」が拡散
  • 3
    「999段の階段」を落下...中国・自動車メーカーがPR動画撮影で「大失態」、遺跡を破壊する「衝撃映像」にSNS震撼
  • 4
    「髪形がおかしい...」実写版『モアナ』予告編に批判…
  • 5
    ポルノ依存症になるメカニズムが判明! 絶対やって…
  • 6
    【銘柄】ソニーグループとソニーFG...分離上場で生ま…
  • 7
    【写真・動画】「全身が脳」の生物の神経系とその生態
  • 8
    筋肉の正体は「ホルモン」だった...テストステロン濃…
  • 9
    「まじかよ...」母親にヘアカットを頼んだ25歳女性、…
  • 10
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるよ…
  • 1
    【クイズ】本州で唯一「クマが生息していない県」はどこ?
  • 2
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」に...日本からは、もう1都市圏がトップ10入り
  • 3
    英国で「パブ離れ」が深刻化、閉店ペースが加速...苦肉の策は「日本では当たり前」の方式だった
  • 4
    一瞬にして「巨大な橋が消えた」...中国・「完成直後…
  • 5
    「不気味すぎる...」カップルの写真に映り込んだ「謎…
  • 6
    【写真・動画】世界最大のクモの巣
  • 7
    高速で回転しながら「地上に落下」...トルコの軍用輸…
  • 8
    【クイズ】クマ被害が相次ぐが...「熊害」の正しい読…
  • 9
    【クイズ】ヒグマの生息数が「世界で最も多い国」は…
  • 10
    「999段の階段」を落下...中国・自動車メーカーがPR…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story