コラム

悪いインフレと「双子の赤字」が国富を食いつぶす

2014年04月02日(水)16時45分

 日本銀行の黒田総裁が就任して1年になった。彼は「異次元緩和」の1年を振り返って「2年で2%の物価安定目標は達成可能だ」と自信を見せた。たしかに2月の総合CPI(消費者物価指数)は図のように前年比1.5%上昇し、日銀の指標とするコアCPI(生鮮食料品を除く総合)もこれと同じように動いているが、コアコアCPI(食料・エネルギーを除く総合指数)は0.8%と、ほぼ2倍の差がついている。

図 消費者物価指数の推移(出所:総務省)

nwj402.jpg

 これを見てもわかるように、総合CPIが上がった原因は異次元緩和ではなく、円安とエネルギー価格の上昇である。原油価格(ドル建て)はこの5年間に2.5倍になった上にドル高になったので、昨年はエネルギー価格が20%も上がった。CPIに占めるエネルギー価格の比重は大きいので、これだけでコアコアCPIとの差は説明できる。

 おまけに震災後に民主党政権が行政指導ですべての原発を停止したため、LNG(液化天然ガス)の輸入額が昨年は7兆円を超えた。為替レートと原油価格の影響を除いても、昨年は燃料費の輸入増で約2兆円の損害が出たと推定される。安倍首相はこれを打開する気配が見えないので、今年もGDP(国内総生産)の0.4%が吹っ飛ぶだろう。「成長戦略」は台なしだ。

 燃料費の輸入増で電力会社の経営も悪化したが、経済産業省は原発が動いていることを前提にして電気料金の値上げ幅を圧縮したため、2013年3月期には9電力合計で1兆3420億円の赤字が出た。それでも電気代は2011年から20%以上あがっており、燃料費の増加をすべて転嫁するとさらに10%以上あがるだろう。

 この結果、貿易赤字が史上最大になり、経常収支も赤字になった。日本経済は国内貯蓄と経常黒字で国債をファイナンスしてきたので、経常赤字と財政赤字の双子の赤字になると、国債を国内で消化できなくなる。家計純資産1205兆円に対して、政府債務は1122兆円だが、財政赤字は毎年50兆円ぐらい出ているので、2016年には逆転する。

 外貨建てで国債を発行すると、海外投資家は今のような超低金利では買ってくれないので、金利が上がるだろう。長期金利が2%ぐらい上がってもおかしくない。このとき日本の金融機関の保有している国債に巨額の評価損が出て、金融システムに不安が生じるおそれがある。

 特に懸念されるのは、日銀が長期国債を152兆円も保有していることだ。深尾光洋氏の試算によると、長短金利が2%上昇すると、日銀の保有する国債の時価が約14%下がり、日銀は約26兆円の評価損をこうむって債務超過に陥る。これは政府が資本増強すればいいが、財政赤字はさらにふくらむ。最終的には、高率のインフレで「解決」するしかないだろう。

 要するに今回のインフレは、コスト・プッシュによる悪いインフレなのだ。黒田総裁も甘利経済再生担当相も、いまだに2%のインフレ目標にこだわっているが、インフレにするだけなら簡単だ。このまま原発を止めて世界一高いLNGを買い続ければ、総合CPIは上がり、貿易赤字はさらにふくらむ。それで誰がうれしいのだろうか。

 日本は「貿易立国」の時代に巨額の貿易黒字を蓄積し、対外純資産は約300兆円あるが、経常赤字でそれを食いつぶし始めた。国内貯蓄で政府債務をまかなえなくなると、毎年50兆円ぐらい対外債務が増えるので、10年ぐらいで対外純債務国になる可能性もある。

 経常赤字も純債務国も、それ自体は悪いことではない。アメリカも経常赤字で純債務国だが、経済に活力があるので世界中から投資が集まる。しかし日本の企業は「持ち合い」で買収が困難なので、対内直接投資はGDPの3%しかない。貿易赤字を所得収支(金利・配当収入)で埋めているが、海外資産の多くは米国債など低収益の証券だ。

 日本が資産大国になった今、必要なのはフローの所得だけでなく、ストックの価値を維持することだ。この点で、インフレと円安で円資産の価値を下げた異次元緩和は有害だった。もう国富を食いつぶすインフレ政策はやめ、日本経済はこれまで蓄積した資産をグローバルな直接投資で活用する構造に転換する必要がある。

プロフィール

池田信夫

経済学者。1953年、京都府生まれ。東京大学経済学部を卒業後、NHK入社。93年に退職後、国際大学GLOCOM教授、経済産業研究所上席研究員などを経て、現在は株式会社アゴラ研究所所長。学術博士(慶應義塾大学)。著書に『アベノミクスの幻想』、『「空気」の構造』、共著に『なぜ世界は不況に陥ったのか』など。池田信夫blogのほか、言論サイトアゴラを主宰。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

米高裁も不法移民送還に違法判断、政権の「敵性外国人

ビジネス

日銀総裁、首相と意見交換 「政府と連絡し為替市場を

ワールド

ロシア、インドと地対空ミサイルS400の追加供給交

ワールド

中国が北京で軍事パレード、ロ朝首脳が出席 過去最大
MAGAZINE
特集:豪ワーホリ残酷物語
特集:豪ワーホリ残酷物語
2025年9月 9日号(9/ 2発売)

円安の日本から「出稼ぎ」に行く時代──オーストラリアで搾取される若者たちの実態は

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「怖すぎる」「速く走って!」夜中に一人ランニングをする女性、異変を感じ、背後に「見えたモノ」にSNS震撼
  • 2
    50歳を過ぎても運動を続けるためには?...「動ける体」をつくる4つの食事ポイント
  • 3
    「見せびらかし...」ベッカム長男夫妻、家族とのヨットバカンスに不参加も「価格5倍」の豪華ヨットで2日後同じ寄港地に
  • 4
    上から下まで何も隠さず、全身「横から丸見え」...シ…
  • 5
    東北で大腸がんが多いのはなぜか――秋田県で死亡率が…
  • 6
    1日「5分」の習慣が「10年」先のあなたを守る――「動…
  • 7
    日本の「プラごみ」で揚げる豆腐が、重大な健康被害…
  • 8
    Z世代の幸福度は、実はとても低い...国際研究が彼ら…
  • 9
    トレーニング継続率は7倍に...運動を「サボりたい」…
  • 10
    信じられない...「洗濯物を干しておいて」夫に頼んだ…
  • 1
    東北で大腸がんが多いのはなぜか――秋田県で死亡率が下がった「意外な理由」
  • 2
    1日「5分」の習慣が「10年」先のあなたを守る――「動ける体」をつくる、エキセントリック運動【note限定公開記事】
  • 3
    信じられない...「洗濯物を干しておいて」夫に頼んだ女性が目にした光景が「酷すぎる」とSNS震撼、大論争に
  • 4
    50歳を過ぎても運動を続けるためには?...「動ける体…
  • 5
    25年以内に「がん」を上回る死因に...「スーパーバグ…
  • 6
    豊かさに溺れ、非生産的で野心のない国へ...「世界が…
  • 7
    日本の「プラごみ」で揚げる豆腐が、重大な健康被害…
  • 8
    「怖すぎる」「速く走って!」夜中に一人ランニング…
  • 9
    首を制する者が、筋トレを制す...見た目もパフォーマ…
  • 10
    上から下まで何も隠さず、全身「横から丸見え」...シ…
  • 1
    こんな症状が出たら「メンタル赤信号」...心療内科医が伝授、「働くための」心とカラダの守り方とは?
  • 2
    「自律神経を強化し、脂肪燃焼を促進する」子供も大人も大好きな5つの食べ物
  • 3
    デカすぎ...母親の骨盤を砕いて生まれてきた「超巨大ベビー」の姿にSNS震撼「ほぼ幼児では?」
  • 4
    デンマークの動物園、飼えなくなったペットの寄付を…
  • 5
    「まさかの真犯人」にネット爆笑...大家から再三「果…
  • 6
    信じられない...「洗濯物を干しておいて」夫に頼んだ…
  • 7
    山道で鉢合わせ、超至近距離に3頭...ハイイログマの…
  • 8
    「レプトスピラ症」が大規模流行中...ヒトやペットに…
  • 9
    「あなた誰?」保育園から帰ってきた3歳の娘が「別人…
  • 10
    将来ADHDを発症する「幼少期の兆候」が明らかに?...…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story