コラム

DNAが「全て」ではなかった...親の「後天的な特徴」も子に受け継がれ、体質や発症リスクに影響 群馬大グループが発表

2026年01月17日(土)10時10分

もっとも、これまでの研究では、ストレスによって親の精子や卵子のDNA配列そのものが変化して子に受け継がれたのか、あるいは「エピゲノムの変化」が⼦孫に直接受け継がれているのかについて、判別して明らかにすることはできていませんでした。

群馬大グループは、「エピゲノムの変化の次世代への引き継ぎ」を観察するのに有効な手法となる「精⼦の特定の部分だけをDNAの配列を変えずに遺伝⼦の働きに関わる状態を調節する新技術」を開発しました。


この方法は「精⼦特異的エピゲノム編集システム」と名付けられました。精⼦が作られる過程でのみエピゲノムを調節してDNAメチル化を消去する技術です。今回の実験では、H19-DMRと呼ばれる遺伝⼦領域にこの新技術を使いました。

H19-DMRは「シルバー・ラッセル症候群」の患者でエピゲノム異常が生じていることで知られています。DNAメチル化の低下によって成長関連因子であるIGF2の低発現とH19の過剰発現が引き起こされていると推定されていましたが、これまでは詳細が不明でした。

通常、正常な精子ではH19-DMR領域のDNAメチル化は高い状態です。研究者らはオスマウスに「精⼦特異的エピゲノム編集システム」を施し、人工的に精子のH19-DMRのメチル化を低下させました。

その結果、親マウスの精⼦で低下させたDNAメチル化の状態は⼀部が⼦マウスにも受け継がれ、低体重や体の左右差といった、シルバー・ラッセル症候群に似た特徴が現れることが確認されました。

病気の予防、治療法の発展に寄与する可能性

⼀⽅、精⼦で変化したDNAメチル化の低下のすべてがそのまま受け継がれるわけではなく、受精後にそれらを部分的に修復・調整する「安全機構」が存在することも明らかになりました。回復にはエピゲノムのもう一つの仕組みであるヒストン修飾のH3K9me3(ヒストンH3タンパク質の9番⽬のリジン残基にメチル基が3つ付いているという意味)が関与していました。H3K9me3部分を除去すると、回復は阻害されたと言います。

研究者たちは「本研究は精⼦で⽣じたDNA配列以外の変化が⼀部は⼦どもに受け継がれ、体質の変化や病気の発症に関与しうることを世界で初めて直接⽰した」と結論づけています。

今回の結果は「精⼦特異的エピゲノム編集システム」のようなエピゲノム編集を応⽤することで、DNA配列以外の変化の次世代へ伝わり方、とくに病気発症にどのように関与するのかの解明に対する大きな一歩となりそうです。将来的には、病気の予防や治療法の発見にもつながるでしょう。

さらに「エピゲノム」、つまりDNA配列以外の環境や生活習慣を反映して後天的にDNAの発現状態を変化させる要素(ストレスや加齢など)は、最新の研究で糖尿病などの病気のリスクにも関連することが分かりつつあります。すべてが「DNA(配列)のせい」と考えるのではなく、自分の健康のため、さらに子孫の健康のために、「エピゲノム」もキーワードにして日々の暮らしを意識したいですね。

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プロフィール

茜 灯里

作家・科学ジャーナリスト。青山学院大学客員准教授。博士(理学)・獣医師。東京大学理学部地球惑星物理学科、同農学部獣医学専修卒業、東京大学大学院理学系研究科地球惑星科学専攻博士課程修了。朝日新聞記者、大学教員などを経て第24回日本ミステリー文学大賞新人賞を受賞。小説に『馬疫』(2021 年、光文社)、ノンフィクションに『地球にじいろ図鑑』(2023年、化学同人)、ニューズウィーク日本版ウェブの本連載をまとめた『ビジネス教養としての最新科学トピックス』(2023年、集英社インターナショナル)がある。分担執筆に『ニュートリノ』(2003 年、東京大学出版会)、『科学ジャーナリストの手法』(2007 年、化学同人)、『AIとSF2』(2024年、早川書房)など。

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