コラム

「月を生んだ」原始惑星の残骸が地球内部に? 月の起源の研究史と新説の論点

2023年11月11日(土)09時00分

さらに、アポロ計画で持ち帰った月の石を分析すると、月の形成初期には月全体が高温のマグマの海(マグマオーシャン)で覆われていたことが分かり、兄弟説や捕獲説はさらに雲行きが怪しくなりました。

そこで「理論的な穴の少ない仮説」として、1946年の発表当時は注目を集めなかった「衝突説」が再び浮上しました。80年代になると、ジャイアント・インパクト説は「月の核(鉄が多い中心部分)が小さいのは、月を形成した破片に地球のマントル(主に岩石成分)が多く含まれていたから」「形成直後の月にも、地球軌道にまだ残っていたテイアや地球マントル由来の破片が多数ぶつかったため、表面が高温になってマグマオーシャンができた」など実際の月の状況と整合性が高い説明がつけられたことから、最有力の説となりました。

ただし、ジャイアント・インパクト説にも弱点があります。数値計算によって地球に火星サイズの天体1個を衝突させて月を形成してみると、月の成分の5分の1は地球由来、残る5分の4は衝突した天体由来になります。けれど、実際の地球と月は構成成分がほぼ同じです。そこで2017年に「地球への天体衝突は複数回起こったため、月の形成における地球成分の寄与がより多い」とする「複数衝突説」が提唱されました。ただし、こちらも証拠を示すには至っていません。

地下2900キロ部分の巨大な塊に注目

今回、「月はジャイアント・インパクトで形成され、衝突したテイアは地球内部に今でも残っている」という説を提唱したチェン・ユアン氏らが注目したのは、アフリカと太平洋の2カ所で地下2900キロ部分に形成されている巨大な塊です。

半径約6400キロの地球の内部構造を「ゆで卵」になぞらえると、①卵の殻にあたる硬い岩石の地殻(地表から5~70キロ)、②白身にあたる高温で柔らかい岩石のマントル(地下2900キロまで)、③黄身にあたる金属でできた核(地下2900~6400キロ)に分けられます。地下2900キロはマントルの最深部にあたります。

地球の深部は実際に掘削してサンプルを取り出すことは困難なため、密度の異なる物質を通過するときに速度や方向が変化する性質を持つ地震波を使って、地球内部の精密な地図が作られてきました。80年代には、南アフリカと太平洋の深部、地球の核とマントルの境界に周囲と地震波の伝わり方が違う、月に匹敵するほどの体積を持つ高密度の物質の塊「LLSVP」(large low-shear-velocity provinces:広域S波低速度領域、LLVPとも呼ばれる)があることが分かりました。この部分は数十億年前から存在しているようですが、起源などの詳細は現在も不明です。

プロフィール

茜 灯里

作家・科学ジャーナリスト。青山学院大学客員准教授。博士(理学)・獣医師。東京大学理学部地球惑星物理学科、同農学部獣医学専修卒業、東京大学大学院理学系研究科地球惑星科学専攻博士課程修了。朝日新聞記者、大学教員などを経て第24回日本ミステリー文学大賞新人賞を受賞。小説に『馬疫』(2021 年、光文社)、ノンフィクションに『地球にじいろ図鑑』(2023年、化学同人)、ニューズウィーク日本版ウェブの本連載をまとめた『ビジネス教養としての最新科学トピックス』(2023年、集英社インターナショナル)がある。分担執筆に『ニュートリノ』(2003 年、東京大学出版会)、『科学ジャーナリストの手法』(2007 年、化学同人)、『AIとSF2』(2024年、早川書房)など。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

トランプ氏、宇宙軍司令部アラバマ州に移転へ 前政権

ビジネス

米ISM製造業景気指数、8月は48.7 AI支出が

ワールド

トランプ政権のロスへの州兵派遣は法律に違反、地裁が

ビジネス

米クラフト・ハインツ、会社分割を発表 ともに上場は
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:豪ワーホリ残酷物語
特集:豪ワーホリ残酷物語
2025年9月 9日号(9/ 2発売)

円安の日本から「出稼ぎ」に行く時代──オーストラリアで搾取される若者たちの実態は

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「怖すぎる」「速く走って!」夜中に一人ランニングをする女性、異変を感じ、背後に「見えたモノ」にSNS震撼
  • 2
    50歳を過ぎても運動を続けるためには?...「動ける体」をつくる4つの食事ポイント
  • 3
    東北で大腸がんが多いのはなぜか――秋田県で死亡率が下がった「意外な理由」
  • 4
    上から下まで何も隠さず、全身「横から丸見え」...シ…
  • 5
    日本の「プラごみ」で揚げる豆腐が、重大な健康被害…
  • 6
    トレーニング継続率は7倍に...運動を「サボりたい」…
  • 7
    トランプ関税2審も違法判断、 「自爆災害」とクルー…
  • 8
    「人類初のパンデミック」の謎がついに解明...1500年…
  • 9
    1日「5分」の習慣が「10年」先のあなたを守る――「動…
  • 10
    世界でも珍しい「日本の水泳授業」、消滅の危機にあ…
  • 1
    東北で大腸がんが多いのはなぜか――秋田県で死亡率が下がった「意外な理由」
  • 2
    1日「5分」の習慣が「10年」先のあなたを守る――「動ける体」をつくる、エキセントリック運動【note限定公開記事】
  • 3
    信じられない...「洗濯物を干しておいて」夫に頼んだ女性が目にした光景が「酷すぎる」とSNS震撼、大論争に
  • 4
    50歳を過ぎても運動を続けるためには?...「動ける体…
  • 5
    25年以内に「がん」を上回る死因に...「スーパーバグ…
  • 6
    豊かさに溺れ、非生産的で野心のない国へ...「世界が…
  • 7
    日本の「プラごみ」で揚げる豆腐が、重大な健康被害…
  • 8
    首を制する者が、筋トレを制す...見た目もパフォーマ…
  • 9
    「人類初のパンデミック」の謎がついに解明...1500年…
  • 10
    上から下まで何も隠さず、全身「横から丸見え」...シ…
  • 1
    こんな症状が出たら「メンタル赤信号」...心療内科医が伝授、「働くための」心とカラダの守り方とは?
  • 2
    「自律神経を強化し、脂肪燃焼を促進する」子供も大人も大好きな5つの食べ物
  • 3
    デカすぎ...母親の骨盤を砕いて生まれてきた「超巨大ベビー」の姿にSNS震撼「ほぼ幼児では?」
  • 4
    デンマークの動物園、飼えなくなったペットの寄付を…
  • 5
    「まさかの真犯人」にネット爆笑...大家から再三「果…
  • 6
    信じられない...「洗濯物を干しておいて」夫に頼んだ…
  • 7
    山道で鉢合わせ、超至近距離に3頭...ハイイログマの…
  • 8
    「レプトスピラ症」が大規模流行中...ヒトやペットに…
  • 9
    「あなた誰?」保育園から帰ってきた3歳の娘が「別人…
  • 10
    将来ADHDを発症する「幼少期の兆候」が明らかに?...…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story