コラム

世界で進む「糞便移植」が日本で普及していない理由

2022年11月22日(火)11時20分

日本では、外国と比べてCDIが重症化しにくい事実や、自由診療のリスクを医師が取りたがらない風潮などがあったため、FMTの普及は遅れています。しかし13年から大学病院など8つの施設で臨床治験が始まり、便バンクも立ち上がりました。20年1月には、順天堂大、東京工大、慶應義塾大の研究者によって「FMTの社会実装と腸内細菌叢の医療・創薬を推進する」ことを掲げたベンチャー企業メタジェンセラピューティクス株式会社も設立されています。

日本ではFMTは、国の指定難病で約22万人の患者がいる潰瘍性大腸炎への適用が特に期待されています。現在は薬物療法や外科手術が採られていますが、いくつかの臨床試験ではFMTの有効性が示されています。

予期せぬ副作用リスク

ただし、他人の便の移植は、正常な腸内細菌叢であっても治療効果が得られないケースや、体内に入れる時に心理的な障壁があることも報告されています。移植方法にはバリエーションがありますが、多くは健康な人の便の中にある腸内細菌叢を溶かした溶液を、肛門から注入します。決して他人の糞便を直接、体内に入れるわけではありませんが、嫌悪感を持つ人もいるようです。

さらに、未知の部分が多いため、予期せぬ副作用が起こるリスクもゼロではありません。19年にアメリカで報告されたFMTによる死亡例は、移植された便に薬剤耐性を持つ大腸菌が含まれていたことが原因でした。また、肥満傾向がある提供者からの便を移植したら太り始めたという例もあります。近年は美容外科などで、ダイエット目的で痩せ体質の人の便を移植するケースもあるそうですが、リスクがあることは十分に知っておくべきでしょう。便の提供者にとっては病原性のない腸内細菌でも、患者側には病原性を発現する可能性もあります。

そこで注目されているのが、自分が健康な時の便を保管しておき、将来病気になってしまった時に活用する方法です。心理的な負担もなく、他人の便を使用するよりも適合しやすく、治療効果が高い可能性があると考えられています。

腸内細菌叢は「もうひとつの臓器」とも呼ばれています。FMTは、これまで投薬や手術でしか対処できなかった疾患を治療する切り札になるかもしれません。まずは、日本での研究や臨床試験が海外並みに進み、知見が積み重ねられることが大切です。

ニューズウィーク日本版 台湾有事 そのとき世界は、日本は
※画像をクリックすると
アマゾンに飛びます

2025年8月26日号(8月19日発売)は「台湾有事 そのとき世界は、日本は」特集。中国の圧力とアメリカの「変心」に強まる台湾の危機感。東アジア最大のリスクを考える

※バックナンバーが読み放題となる定期購読はこちら


プロフィール

茜 灯里

作家・科学ジャーナリスト。青山学院大学客員准教授。博士(理学)・獣医師。東京大学理学部地球惑星物理学科、同農学部獣医学専修卒業、東京大学大学院理学系研究科地球惑星科学専攻博士課程修了。朝日新聞記者、大学教員などを経て第24回日本ミステリー文学大賞新人賞を受賞。小説に『馬疫』(2021 年、光文社)、ノンフィクションに『地球にじいろ図鑑』(2023年、化学同人)、ニューズウィーク日本版ウェブの本連載をまとめた『ビジネス教養としての最新科学トピックス』(2023年、集英社インターナショナル)がある。分担執筆に『ニュートリノ』(2003 年、東京大学出版会)、『科学ジャーナリストの手法』(2007 年、化学同人)、『AIとSF2』(2024年、早川書房)など。

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

エヌビディア決算に注目、AI業界の試金石に=今週の

ビジネス

FRB、9月利下げ判断にさらなるデータ必要=セント

ワールド

米、シカゴへ州兵数千人9月動員も 国防総省が計画策

ワールド

ロシア・クルスク原発で一時火災、ウクライナ無人機攻
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:台湾有事 そのとき世界は、日本は
特集:台湾有事 そのとき世界は、日本は
2025年8月26日号(8/19発売)

中国の圧力とアメリカの「変心」に危機感。東アジア最大のリスクを考える

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「まさかの真犯人」にネット爆笑...大家から再三「果物泥棒」と疑われた女性が無実を証明した「証拠映像」が話題に
  • 2
    なぜ筋トレは「自重トレーニング」一択なのか?...筋肉は「神経の従者」だった
  • 3
    プール後の20代女性の素肌に「無数の発疹」...ネット民が「塩素かぶれ」じゃないと見抜いたワケ
  • 4
    【写真特集】「世界最大の湖」カスピ海が縮んでいく…
  • 5
    「あなた誰?」保育園から帰ってきた3歳の娘が「別人…
  • 6
    顔面が「異様な突起」に覆われたリス...「触手の生え…
  • 7
    一体なぜ? 66年前に死んだ「兄の遺体」が南極大陸で…
  • 8
    『ジョン・ウィック』はただのアクション映画ではな…
  • 9
    中国で「妊娠ロボット」発売か――妊娠期間も含め「自…
  • 10
    皮膚の内側に虫がいるの? 投稿された「奇妙な斑点」…
  • 1
    「まさかの真犯人」にネット爆笑...大家から再三「果物泥棒」と疑われた女性が無実を証明した「証拠映像」が話題に
  • 2
    「レプトスピラ症」が大規模流行中...ヒトやペットに感染、最悪の場合死亡も
  • 3
    「あなた誰?」保育園から帰ってきた3歳の娘が「別人」だった...母親によるビフォーアフター画像にSNS驚愕
  • 4
    「死ぬほど怖い」「気づかず飛び込んでたら...」家の…
  • 5
    中国で「妊娠ロボット」発売か――妊娠期間も含め「自…
  • 6
    なぜ筋トレは「自重トレーニング」一択なのか?...筋…
  • 7
    20代で「統合失調症」と診断された女性...「自分は精…
  • 8
    頭部から「黒い触手のような角」が生えたウサギ、コ…
  • 9
    「このクマ、絶対爆笑してる」水槽の前に立つ女の子…
  • 10
    3本足の「親友」を優しく見守る姿が泣ける!ラブラ…
  • 1
    「週4回が理想です」...老化防止に効くマスターベーション、医師が語る熟年世代のセルフケア
  • 2
    こんな症状が出たら「メンタル赤信号」...心療内科医が伝授、「働くための」心とカラダの守り方とは?
  • 3
    「自律神経を強化し、脂肪燃焼を促進する」子供も大人も大好きな5つの食べ物
  • 4
    デカすぎ...母親の骨盤を砕いて生まれてきた「超巨大…
  • 5
    デンマークの動物園、飼えなくなったペットの寄付を…
  • 6
    「まさかの真犯人」にネット爆笑...大家から再三「果…
  • 7
    ウォーキングだけでは「寝たきり」は防げない──自宅…
  • 8
    山道で鉢合わせ、超至近距離に3頭...ハイイログマの…
  • 9
    「レプトスピラ症」が大規模流行中...ヒトやペットに…
  • 10
    将来ADHDを発症する「幼少期の兆候」が明らかに?...…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story