コラム

ホモフォビア(同性愛嫌悪)とアメリカ:映画『ムーンライト』

2017年03月30日(木)16時50分

『ブロークバック・マウンテン』、『エデンより彼方に』を引き継ぐ

では、新鋭監督ジェンキンスは、ホモフォビアというものをどのようにとらえ、この映画を作ったのか。筆者が注目したいのは、プレスに収められた彼のインタビューのなかに「僕が師匠と仰いでいるジェームズ・シェイマス」という発言があることだ。

日本での知名度はそれほどでもないが、シェイマスは、グッド・マシンやフォーカス・フィーチャーズというプロダクションで作品を手がけ、インディペンデント映画界で異彩を放ってきたプロデューサーだ。2008年に『Medicine for Melancholy』で長編デビューを果たしたジェンキンスは、そのシェイマスと次回作を作ろうとしたが実現せず、ブラッド・ピットのプランBエンターテインメントの製作で『ムーンライト』を完成させた。

そんなシェイマスとの関係がなぜ重要なのか。彼が発掘して成功を収めた監督ですぐに名前が思い浮かぶのは、アン・リーとトッド・ヘインズだ。彼らの代表作を振り返ってみれば、シェイマスがどのような才能に着目していたのかがわかるだろう。

アン・リーの『ブロークバック・マウンテン』(05)では、因習的な社会のなかで密かに育まれるふたりのカウボーイの愛が描かれる。彼らはそれぞれに結婚し、家庭生活を営みながらもお互いを想いつづける。トッド・ヘインズの『エデンより彼方に』(02)では、50年代の保守的な郊外住宅地を舞台に、黒人の庭師との絆を培うヒロインの主婦が周囲から孤立し、ゲイであることを告白した彼女の夫が、精神科医の治療を受ける。

どちらの作品でも、主人公たちの葛藤や苦悩だけではなく、彼らを縛りつけている力、差別や偏見だけではない政治的な力が掘り下げられている。

周囲からどう見られ、どう扱われるかで自己が決まる...

『ムーンライト』は、そんな視点を引き継ぐ作品といえる。この映画でまず印象に残るのは、少年シャロンが自分を知る以前に、周囲がそれを見抜き、執拗ないじめを通して彼が何者であるのかを一方的に決めつけていることだ。シャロン自身は、「オカマ」の意味をフアンから教えられて初めて、自分を知る手がかりをつかみ、そこから自分をどう受け入れるかをめぐる長い旅が始まる。

原作の戯曲を書いたマクレイニーは、そのことについてプレスで以下のように語っている。


 「彼が自分で気づく前から、コミュニティは彼のセクシュアリティを知っているんだよ。人は、本人がその意味を理解する前にカテゴリーにはめたがる。これは誰にでも起こることだ。男でも女でも黒人でも白人でも、ゲイでもストレートでもね。コミュニティが何を見ているか我々に教えてくれる時がある。それにどう反応するかで、我々のもがきは非常にリアルになり、いかに我々の人生に深い影響を与えているかが分かるんだ」

そして、監督のジェンキンスもマクレイニーの戯曲に出会うずっと以前から、共通する視点で社会を見つめていた。彼のデビュー作『Medicine for Melancholy』は、偶然に出会った黒人の男女の24時間のドラマで、自己の定義がテーマになっている。ジェンキンスは、生活環境がまったく異なる男女の交流を通して、周囲からどう見られ、どう扱われるかで自己が決まるのか、それとも周囲に左右されないのかを多面的に掘り下げている。

『ムーンライト』では、そんなふたりの視点が融合し、社会が及ぼす影響によって別人のように変貌を遂げていくシャロンの姿が描き出される。この映画は、小さな世界を描きながら、ホモフォビアを通してアメリカの問題を鮮やかに浮き彫りにしている。

《参照/引用文献》
『<同性愛嫌悪(ホモフォビア)>を知る事典』ルイ=ジョルジュ・タン編 金城克哉監修、齊藤笑美子・山本規雄訳(明石書店、2013)
『家族という神話――アメリカン・ファミリーの夢と現実』ステファニー・クーンツ 岡村ひとみ訳(筑摩書房、1998年)


○『ムーンライト』
3月31日(金)より、TOHOシネマズシャンテ他にて全国公開
(c)2016 A24 Distribution, LLC

プロフィール

大場正明

評論家。
1957年、神奈川県生まれ。中央大学法学部卒。「CDジャーナル」、「宝島」、「キネマ旬報」などに寄稿。「週刊朝日」の映画星取表を担当中。著書・編著書は『サバービアの憂鬱——アメリカン・ファミリーの光と影』(東京書籍)、『CineLesson15 アメリカ映画主義』(フィルムアート社)、『90年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)など。趣味は登山、温泉・霊場巡り、写真。
ホームページ/ブログは、“crisscross”“楽土慢遊”“Into the Wild 2.0”

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