コラム

慰安婦訴訟、国際社会の「最新トレンド」で攻める韓国と、原則論で守る日本

2021年01月08日(金)21時09分

しかしながら、今回、これに対してソウル中央地方裁判所は、「主権免除」は国家が自らの責任を常に逃れる事が出来る様な絶対性を持つものではなく、慰安婦問題の様な「反人道的不法行為」はこの「主権免除」の対象とならない、として自らの管轄権を認める事となった。

併せて同裁判所は、原告側の損害賠償請求権は1965年の日韓請求権協定や2015年の慰安婦合意の対象ではなく、故にその請求権は現在も有効である、という論理を付け加え、日本政府の責任を認める事となったのである。

既に明らかな様に、重要なのは今回の判決が、これまで韓国国内の民事訴訟においては「主権免除」の対象として管轄権から外れた日本政府を、自らの管轄権の範囲にある事を認めた事、それ自体にある。

つまり、この裁判結果が確定すれば、以後、元慰安婦は勿論、元徴用工や元軍人軍属、更には民法上その請求権を相続する事になる遺族達もまた、この判例を根拠に、自らに対して行われた「反人道的不法行為」について、日本政府を直接相手取って韓国国内の裁判所で民事訴訟を行う事が可能になる。

全韓国人が日本を訴える?

そして韓国においては、植民地期の日本の行為は広く「反人道的」であるという認識が教科書的な形で共有されているから、仮にこの教科書的認識が裁判所でもそのまま認められれば、植民地期に政治動員された人々と、その子孫──つまりは今日の韓国に生きる人々の大半──が日本政府を相手取って裁判を起こす可能性すら生まれかねない事になる。当然の事ながらそれは、日韓関係の基礎となる1965年の請求権協定の空文化を意味しており、両国関係に重大な変化を齎す事になる。

この様な今回の判決が与える影響を理解する為には、これまで数多くの慰安婦問題や元徴用工等を巡る裁判があったにも拘わらず、何故にその訴訟範囲が大きく拡大して来なかったかを知る事も重要である。

例えば、2018年に大法院で判決が出た元徴用工等の裁判は、新日本製鉄(現・日本製鉄)や三菱重工を相手に行われたものだった。しかしながら、この日韓関係に巨大な影響を与えたのと同じ形の訴訟が、この時点で全ての元徴用工等において可能であったかと言えばそうではない。何故なら植民地期の被害について企業を相手に訴える為には、まずもって自らの動員先となった企業が現在も存在する事が必要だからである。

また、仮に動員先の企業が現存している場合においても、自らがその企業に動員された証拠を示す必要があり、それもまた植民地支配終焉から75年以上を経た今となっては極めて高いハードルとなっている。

言い換えるなら、だからこそ、大半の元徴用工や慰安婦等にとって、2018年の大法院判決と同様の形で裁判を起こすのは不可能だった。何故なら、彼らの動員先であった企業や慰安所は、遠い昔に破産或いは廃業し、今では存在すらしていないからである。

プロフィール

木村幹

1966年大阪府生まれ。神戸大学大学院国際協力研究科教授。また、NPO法人汎太平洋フォーラム理事長。専門は比較政治学、朝鮮半島地域研究。最新刊に『韓国愛憎-激変する隣国と私の30年』。他に『歴史認識はどう語られてきたか』、『平成時代の日韓関係』(共著)、『日韓歴史認識問題とは何か』(読売・吉野作造賞)、『韓国における「権威主義的」体制の成立』(サントリー学芸賞)、『朝鮮/韓国ナショナリズムと「小国」意識』(アジア・太平洋賞)、『高宗・閔妃』など。


今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

中国とロシア、核兵器は人間だけで管理すると宣言すべ

ビジネス

住友商、マダガスカルのニッケル事業で減損約890億

ビジネス

住友商、発行済み株式の1.6%・500億円上限に自

ビジネス

英スタンチャート、第1四半期は5.5%増益 金利上
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:世界が愛した日本アニメ30
特集:世界が愛した日本アニメ30
2024年4月30日/2024年5月 7日号(4/23発売)

『AKIRA』からジブリ、『鬼滅の刃』まで、日本アニメは今や世界でより消費されている

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    「2枚の衛星画像」が伝える、ドローン攻撃を受けたロシア空軍基地の被害規模

  • 2

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 3

    ロシアの大規模ウクライナ空爆にNATO軍戦闘機が一斉起動

  • 4

    どの顔が好き? 「パートナーに求める性格」が分かる…

  • 5

    ポーランド政府の呼び出しをロシア大使が無視、ミサ…

  • 6

    米中逆転は遠のいた?──2021年にアメリカの76%に達し…

  • 7

    「レースのパンツ」が重大な感染症を引き起こす原因に

  • 8

    ロシア軍の拠点に、ウクライナ軍FPVドローンが突入..…

  • 9

    パレスチナ支持の学生運動を激化させた2つの要因

  • 10

    大卒でない人にはチャンスも与えられない...そんなア…

  • 1

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 2

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 3

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドローンを「空対空ミサイルで撃墜」の瞬間映像が拡散

  • 4

    AIパイロットvs人間パイロット...F-16戦闘機で行われ…

  • 5

    どの顔が好き? 「パートナーに求める性格」が分かる…

  • 6

    日本マンガ、なぜか北米で爆売れ中...背景に「コロナ…

  • 7

    「すごい胸でごめんなさい」容姿と演技を酷評された…

  • 8

    中国の最新鋭ステルス爆撃機H20は「恐れるに足らず」…

  • 9

    「2枚の衛星画像」が伝える、ドローン攻撃を受けたロ…

  • 10

    ウクライナ軍ブラッドレー歩兵戦闘車の強力な射撃を…

  • 1

    韓国で「イエス・ジャパン」ブームが起きている

  • 2

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 3

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 4

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なな…

  • 5

    ロシアが前線に投入した地上戦闘ロボットをウクライ…

  • 6

    「燃料気化爆弾」搭載ドローンがロシア軍拠点に突入…

  • 7

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

  • 8

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた…

  • 9

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドロ…

  • 10

    NASAが月面を横切るUFOのような写真を公開、その正体…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story