World Voice

アルゼンチンと、タンゴな人々

西原なつき|アルゼンチン

軍事クーデターから45年。歴史を風化させないために木を植えようプロジェクト

この時代に活動していたアーティストたちにとっても厳しい時代であり、政府による検閲、脅迫などにより、国内での芸術活動の幅は大きく縮小しました。
少しでも体制や資本主義に疑問を抱かせるような内容の作品は削除され、そういった作品を発表している人々はブラックリストに載っていたそうです。


実際に亡命したアーティストも少なくありません。
アルゼンチン・フォルクローレの代表的な歌手、メルセデス・ソーサは当時共産党員だったため、自国で活動することが困難となり、一時期拠点をフランスに移しています。
当時混沌としていた社会への不満を歌にしていたロックバンドなども多く、検閲やコンサートの妨害、さらには日常の行動にも目を付けられていました。男性で髪が長いという理由だけで交番へ連行され数日間拘留される、ということが日常茶飯事の時代でした。

Mercedes_Sosa.jpg
(Mercedes Sosa, serie Grandes Artístas ジャケット)

一時はアストル・ピアソラに次ぐ世代の代表として活躍し、現在も現役で活動するアルゼンチン人バンドネオン奏者、ファン・ホセ・モサリーニ氏もそのうちの一人。
彼が所属していた音楽家の組合はいつも政府から脅迫にあっていました。左派団体が主催する音楽イベントに出演した際、演奏中に軍が乗り込み死者も出た銃撃戦を経験したことなどから、亡命を決めたと言います。
ラジオ局との専属契約も、「グループ内にいたメンバーが髭を生やしていた、という理由で解雇された」とも語っています。


今ではそのままフランスを拠点にし、年に1、2度、重要なコンサートがあるたびにアルゼンチンに戻り演奏をしていますが、演奏の合間のMCでは毎回のように、
「アルゼンチンにこうして戻ることができて、演奏することができてとても嬉しく思う、自分は国を出てしまった人間であるが、受け入れてくれてありがとう。」と語られます。その言葉はずっしりと重く、会場の空気も一瞬変わります。


他にも、フランスに亡命したギタリスト・歌手である、タタ・セドロンの亡命についてのエピソードは、ドキュメンタリー映画にもなっています。(「Tata Cedron」という映画で、cine.arというアルゼンチンの映画配信サイトから無料で見ることができます。)


これらのことが起きたのが45年前。
この日の夜の大統領府では、白いハンカチのシンボルを用いたプロジェクション・マッピングも行われるなど、国としても2度と繰り返さない、という強い意志が感じられます。
コロナ禍であってもこの国にとってとても大切な一日であることは変わりませんでした。

(大統領府の建物と広場を利用してのプロジェクション・マッピングの様子)


次回の記事では、この時代にブラックリストに載りながらも亡命せずに活動し続けた国民的ロックスターと、その作品に焦点を当ててみたいと思います。

 

Profile

著者プロフィール
西原なつき

バンドネオン奏者。"悪魔の楽器"と呼ばれるその独特の音色に、雷に打たれたような衝撃を受け22歳で楽器を始める。2年後の2014年よりブエノスアイレス在住。同市立タンゴ学校オーケストラを卒業後、タンゴショーや様々なプロジェクトでの演奏、また作編曲家としても活動する。現地でも珍しいバンドネオン弾き語りにも挑戦するなど、アルゼンチンタンゴの真髄に近づくべく、修行中。

Webサイト:Mi bandoneon y yo

Instagram :@natsuki_nishihara

Twitter:@bandoneona

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