「罪悪感はない」...あなたの日常にも、実は大きく影響している「地下経済」に生きる人々
I Look Into Dark Corners

番組でメキシコの警察関係者に話を聞く筆者 EVERETT COLLECTION/AFLO
<違法取引、不法移民の密入国、違法薬剤の製造......。ジャーナリストとして、そうした問題全てに共通する構図を追って>
ジャーナリストになりたいと思ったのは、12歳のときだった。祖国のポルトガルで見ていたテレビのニュースキャスターたちに魅了されたのだ。キャスターたちは、広い世界で起きていることを知り尽くしているように見えた(テレプロンプターに表示される原稿を読んでいるなんて、思いも寄らなかった)。
ポルトガルの大学に通っていたとき、コロンビア大学ジャーナリズム大学院に出願したけれど、不合格。翌年も不合格。その翌年、ようやく入学を許可された。
こうしてコロンビア大学での日々が始まって1カ月。前の夜遅くまで勉強していた私は、電話の音で目を覚ました。電話は、前にインターンをしていたポルトガルのテレビ局の報道局からだった。
マンハッタンで恐ろしいことが起きたという。こちらにいるポルトガル人ジャーナリストで心当たりがある人物は私しかいないとのことだった。すぐにミッドタウンのビルの屋上に上がって、リポートしてほしい、と言われた。
2001年9月11日の朝だった。テレビをつけると、倒壊する世界貿易センタービルの姿が映し出されていた。私は慌てて部屋を飛び出した。
この日、多くの人の人生が変わった。私もその1人だった。ジャーナリストとしてどのような報道をしたいのかがはっきり見えてきたのだ。
現場に身を置いて調査報道をしたいと思った。どうしてこんな事件が起きたのか、こうした恐ろしいことをする人たちを突き動かした動機は何だったのかを知りたかった。
大学院を修了するとすぐに中東のシリアに渡り、アラビア語を勉強し、フリーランスのジャーナリストとして活動し始めた。03年、米軍がイラク侵攻を開始して間もない時期のことだ。私は安価な手持ちカメラを買うと、恋人(現在の夫)のダレン・フォスターと一緒に取材を始めた。
現地の友人を通じて、シリア人やそのほかの外国人が米軍と戦うためにイラクに入っていると知った。そこで、私たちはシリアとイラクの国境地帯に向かった。
村々には、殉教者たちを称賛するポスターが掲げてあった。イラクでの戦闘に参加して命を落とした地元の男たちをたたえるためのものだ。
当時、イラク駐留米軍への攻撃が散発的に起きていたが、それは旧フセイン政権の残党によるものと言われていた。
しかし、私たちが取材したシリアの若者たちは、正義感に突き動かされて戦闘に参加し、地元に帰還後は英雄として迎えられていた。そうした若者たちは、それまで想像していた「正気を欠いた過激派」とはまるで違った。
私たちは取材を終えると、アメリカのいくつかのテレビネットワークに、リポートを番組で使わないかと売り込んだ。私たちのリポートを褒めてくれる人は多かったが、どのネットワークも放映には消極的にみえた。