最新記事

国際関係論

レイモン・アロン、フランス国際関係論の源流

2019年10月23日(水)11時35分
宮下雄一郎(法政大学法学部国際政治学科教授)※アステイオン90より転載

本稿ではアロンだけではなく、著者のマリスにも注目したい。歴史家のマリスは、国防省の研究機関に籍を置いていた。さらに、企業での勤務経験もあった。ようするに、歴史学を基盤としつつも、安全保障問題にも精通していたのであり、その生き様は、大学で一生を過ごしたのではなく、国際情勢を大局的な観点から論じるために、一定の期間、あえてジャーナリストとして過ごしたアロンの生き様と重なるところがある。マリスもアロンと同様、多様な経験を積みながら学問に臨んだわけであり、本書をとおして、そうした経験値に研究内容を豊富にさせる可能性があるのではないかと問うこともできるであろう。

マリスの研究は、歴史上の「出来事」に直面した際のアロンの分析を内在的にとらえており、一人の知識人をとおして二〇世紀の諸問題を照射することに成功している。

そもそもアロンが青年として学んだ一九二〇年代のフランスでは国際関係論という体系化された学問はなく、同時代的な国際情勢に刺激を受け、「出来事」を理解しようとするなかで、国際関係論の研究者として成長していったのである。一九六二年に『諸国間の平和と戦争』という本を出版し、理論に関する世界的な金字塔を打ち立てたアロンであるが、実際には理論的研究ではなく、国際情勢と向き合うなかで国際関係論の研究者になっていくわけで、これは一九三〇年から晩年に至るまで変わることはなかった。

戦間期から第二次世界大戦終焉後の時期にかけて、フランスの国際的地位の動揺を目の当たりにしたアロンの国際関係思想の底流には一貫したパワー・ポリティクスの視点があった。ようするに、アロンは「力の体系」に主軸を置いて同時代的な国際情勢を分析したのであり、リアリズム的な視点から世界を分析したのである。マックス・ウェーバーをフランスで本格的に紹介した草分け的な知識人ならではの視点である。

とはいえ、初めからそうした視点で世の中をみていたのかというとそうではない。この点を鮮やかに描き出したのがマリスの本の魅力の一つだ。アロンを理論のどのカテゴリーに分類するかについては論争の対象になっているものの、古典的リアリストに含めるのが一般的であろう。しかし、アロンもまた二〇世紀を席捲したイデオロギーの潮流に翻弄され、「転向」を経験したのである。

どういうことかというと、一九〇五年生まれのアロンは、第一次世界大戦の時期を少年として過ごし、当時ヨーロッパで普及した社会主義に触発されたのである。さらに、社会主義以上に触発されたのが平和主義の思想である。これはアロンが直接教えを受けた哲学者のアランの影響が大きい。師であるアランと同じく、アロンの平和主義は軍事的な事象を拒絶する平和主義であり、軍事を論じることすら嫌う平和主義であった。戦後のアロンはカール・フォン・クラウゼヴィッツを縦横無尽に論じ、大著を残すことになるが、一九二〇年代の青年アロンにはその片鱗すら見えなかった。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

アングル:日銀、柔軟な政策対応の局面 米関税の不確

ビジネス

米人員削減、4月は前月比62%減 新規採用は低迷=

ビジネス

GM、通期利益予想引き下げ 関税の影響最大50億ド

ビジネス

米、エアフォースワン暫定機の年内納入希望 L3ハリ
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:英語で学ぶ 国際ニュース超入門
特集:英語で学ぶ 国際ニュース超入門
2025年5月 6日/2025年5月13日号(4/30発売)

「ゼロから分かる」各国・地域情勢の超解説と時事英語

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    日本の未婚男性の「不幸感」は他国と比べて特異的に高く、女性では反対に既婚の方が高い
  • 2
    マリフアナを合法化した末路とは? 「バラ色の未来が来るはずだったのに...」
  • 3
    タイタニック生存者が残した「不気味な手紙」...何が書かれていた?
  • 4
    ポンペイ遺跡で見つかった「浴場」には、テルマエ・…
  • 5
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」では…
  • 6
    中国で「ネズミ人間」が増殖中...その驚きの正体とは…
  • 7
    インド北部の「虐殺」が全面「核戦争」に発展するか…
  • 8
    クルミで「大腸がんリスク」が大幅に下がる可能性...…
  • 9
    日本史上初めての中国人の大量移住が始まる
  • 10
    悲しみは時間薬だし、幸せは自分次第だから切り替え…
  • 1
    日本史上初めての中国人の大量移住が始まる
  • 2
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 3
    MRI検査で体内に「有害金属」が残留する可能性【最新研究】
  • 4
    中国で「ネズミ人間」が増殖中...その驚きの正体とは…
  • 5
    ロシア国内エラブガの軍事工場にウクライナが「ドロ…
  • 6
    日本の未婚男性の「不幸感」は他国と比べて特異的に…
  • 7
    パニック発作の原因の多くは「ガス」だった...「ビタ…
  • 8
    使うほど脱炭素に貢献?...日建ハウジングシステムが…
  • 9
    私の「舌」を見た医師は、すぐ「癌」を疑った...「口…
  • 10
    マリフアナを合法化した末路とは? 「バラ色の未来…
  • 1
    【話題の写真】高速列車で前席のカップルが「最悪の行為」に及ぶ...インド人男性の撮影した「衝撃写真」にネット震撼【画像】
  • 2
    日本史上初めての中国人の大量移住が始まる
  • 3
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 4
    健康寿命を伸ばすカギは「人体最大の器官」にあった.…
  • 5
    【心が疲れたとき】メンタルが一瞬で “最…
  • 6
    間食はなぜ「ナッツ一択」なのか?...がん・心疾患・抜…
  • 7
    北朝鮮兵の親たち、息子の「ロシア送り」を阻止する…
  • 8
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる…
  • 9
    【クイズ】世界で最も「半導体の工場」が多い国どこ…
  • 10
    自らの醜悪さを晒すだけ...ジブリ風AIイラストに「大…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中