最新記事

国際関係論

レイモン・アロン、フランス国際関係論の源流

2019年10月23日(水)11時35分
宮下雄一郎(法政大学法学部国際政治学科教授)※アステイオン90より転載

パリ、1940年 Uwe Moser-iStock.

<20世紀の国際関係論の分野で、世界レベルで活躍した数少ないフランス人であるレイモン・アロン。アロンについての研究には哲学や社会学の知見も求められ、難しい題材だが、クリスチアン・マリスという研究者がそれに挑み、1人の知識人を通して20世紀の諸問題を照射することに成功した>

国際関係論の分野で伝記の対象となるのは主に政治家、外交官、そして軍人である。しかし、研究者、政治運動家、あるいはジャーナリストなど、知識人もその対象となりえる。フランスの哲学者、社会学者、そして政治学者でもあったレイモン・アロンはまさにそうした知識人の一人である。アロンは政治学のなかでもとりわけ国際関係論の分野で業績を残した。

二〇世紀の国際関係論といえば、まず研究拠点として挙がるのがアメリカ、そしてイギリスであろう。こうした「アングロ・サクソン」の両雄と比べてフランスは、人文・社会科学の一大拠点であったにもかかわらず、国際関係論の分野であまり目立っていなかったのが実情である。

そうしたなかでただ一人、世界レベルで活躍し、参照され、批判もされたのがアロンである。フランスの国際関係論においてアロン以降、アロンほどの金字塔を打ち立てた知識人はいないといっても差し支えないであろう。そうした特異性もあり、これまでアロンについて多くの研究が蓄積されてきたわけだが、扱うのが難しい題材でもある。

というのも、アロンは、まず社会学などの分野で実績を積み、その後で国際関係論の世界に入ったからである。つまり、それまでの学問的業績を糧に国際関係論の分野に乗り込んだのであり、アロンの伝記的研究に取り組もうとする場合、国際関係論はもちろんのこと、哲学や社会学に関する知見も求められるのだ。研究対象となる知識人と同等の知見を有することが望ましいということであり、これは容易なことではない。

こうした困難を乗り越えたのが、アロンを博士論文(歴史学)のテーマとして選んだクリスチアン・マリスという研究者である。ここで紹介するのは、マリスがこの学位論文を土台に執筆したRaymond Aron et le débat stratégique_français (1930-1966)(Economica, 2005)(『レイモン・アロンとフランスの戦略論争、一九三〇 - 一九六六年』)という八〇〇頁を超える大著である。

厳密にはマリスの研究は、歴史学のなかでも国際関係史という本質的に学問横断的な分野に属している。アロンの手紙や関係者へのインタビューなどオーラル・ヒストリーの手法を用いた、一次史料に基づく手堅い研究である。こうした研究にありがちなのが、史料実証主義に忠実なあまり、細部の記述にとどまり、その細部を覆う体系的な議論を見失ってしまうことである。これはアロンのような「マルチ知識人」を研究テーマとして扱う場合、致命的である。

だが、マリスはそうした「学問の罠」に陥っていない。アロンが国際情勢に積極的に関心を持ち始めた一九三〇年から徐々にフランスの安全保障を軸とする国家戦略の論争が下火となる一九六六年までに時代区分を設定し、その限定された時期のなかでアロンの国際関係思想と戦略思想を論じたからである。伝記といっても、生年から没年までを扱うのではなく、「アロンと安全保障を軸とした国際関係」という明確な問題意識に沿って議論を展開していることから、非常に分かりやすい記述になるとともに、これまでの研究にはない、時系列的にアロンの国際関係思想を描くという内容になっている。

asteion191023_90_miyashita-book.jpg
 クリスチアン・マリス
『レイモン・アロンとフランスの戦略論争、一九三〇 - 一九六六年』
 Raymond Aron et le débat stratégique français (1930-1966)
 by Christian Malis (Economica, 2005)

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

原油先物が小幅安、市場は対ロ制裁や関税を引き続き注

ワールド

米、メキシコ産トマトの大半に約17%関税 合意離脱

ワールド

米、輸入ドローン・ポリシリコン巡る安保調査開始=商

ワールド

事故調査まだ終わらずとエアインディアCEO、報告書
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:AIの6原則
特集:AIの6原則
2025年7月22日号(7/15発売)

加速度的に普及する人工知能に見えた「限界」。仕事・学習で最適化する6つのルールとは?

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    真っ赤に染まった夜空...ロシア軍の「ドローン700機」に襲撃されたキーウ、大爆発の瞬間を捉えた「衝撃映像」
  • 2
    「史上最も高価な昼寝」ウィンブルドン屈指の熱戦中にまさかの居眠り...その姿がばっちり撮られた大物セレブとは?
  • 3
    どの学部の卒業生が「最も稼いでいる」のか? 学位別「年収ランキング」を発表
  • 4
    エリザベス女王が「うまくいっていない」と心配して…
  • 5
    「お腹が空いていたんだね...」 野良の子ネコの「首…
  • 6
    日本より危険な中国の不動産バブル崩壊...目先の成長…
  • 7
    【クイズ】次のうち、生物学的に「本当に存在する」…
  • 8
    「ベンチプレス信者は損している」...プッシュアップ…
  • 9
    千葉県の元市長、「年収3倍」等に惹かれ、国政に打っ…
  • 10
    イギリスの鉄道、東京メトロが運営したらどうなる?
  • 1
    「ベンチプレス信者は損している」...プッシュアップを極めれば、筋トレは「ほぼ完成」する
  • 2
    「弟ができた!」ゴールデンレトリバーの初対面に、ネットが感動の渦
  • 3
    「お腹が空いていたんだね...」 野良の子ネコの「首」に予想外のものが...救出劇が話題
  • 4
    日本企業の「夢の電池」技術を中国スパイが流出...AP…
  • 5
    千葉県の元市長、「年収3倍」等に惹かれ、国政に打っ…
  • 6
    どの学部の卒業生が「最も稼いでいる」のか? 学位別…
  • 7
    イギリスの鉄道、東京メトロが運営したらどうなる?
  • 8
    エリザベス女王が「うまくいっていない」と心配して…
  • 9
    完璧な「節約ディズニーランド」...3歳の娘の夢を「…
  • 10
    トランプ関税と財政の無茶ぶりに投資家もうんざり、…
  • 1
    「コーヒーを吹き出すかと...」ディズニーランドの朝食が「高額すぎる」とSNSで大炎上、その「衝撃の値段」とは?
  • 2
    「あまりに愚か...」国立公園で注意を無視して「予測不能な大型動物」に近づく幼児連れ 「ショッキング」と映像が話題に
  • 3
    10歳少女がサメに襲われ、手をほぼ食いちぎられる事故...「緊迫の救護シーン」を警官が記録
  • 4
    JA・卸売業者が黒幕説は「完全な誤解」...進次郎の「…
  • 5
    ディズニー・クルーズラインで「子供が海に転落」...…
  • 6
    気温40℃、空港の「暑さ」も原因に?...元パイロット…
  • 7
    燃え盛るロシアの「黒海艦隊」...ウクライナの攻撃で…
  • 8
    「小麦はもう利益を生まない」アメリカで農家が次々…
  • 9
    イランを奇襲した米B2ステルス機の謎...搭乗した専門…
  • 10
    「うちの赤ちゃんは一人じゃない」母親がカメラ越し…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中