最新記事

国際関係論

レイモン・アロン、フランス国際関係論の源流

2019年10月23日(水)11時35分
宮下雄一郎(法政大学法学部国際政治学科教授)※アステイオン90より転載

このことは、それだけアロンに衝撃を与えるような「出来事」があったことを意味する。マリスは、平和主義者アロンの変貌を見事に描いた。アロンが「転向」を経験するきっかけとなったのは一九三〇年から一九三三年にかけて行ったドイツへの留学であり、そこで目の当たりにしたのがナチ・ドイツの台頭である。アロンはナチの暴力性にいち早く異質性を見出し、さらにはフランスに対する安全保障上の深刻な脅威を見たのである。その結果、アランの平和主義と決別し、左派に属しながらも、国際関係論の道義的分析に批判的な立場を一貫してとるようになった。そしてアロンの危惧したとおり、フランスはドイツの軍事攻撃を受け、屈服することになった。

一九四〇年六月、フランスはドイツとイタリアに敗れ、アロンは、多くの知識人と同じように、衝撃を受け、これが決定的に重要な「出来事」となった。アロンは、フランスの没落に直面したのである。一九四〇年の敗北が戦後フランス外交を規定したように、アロンのその後の国際関係思想の知的方向性を定めるようになった。

リアリズムの観点から国際関係を論じた知識人と社会主義との関係については、イギリスのエドワード・ハレット・カーとの対比にマリスが言及してもよかったと思われる。一八九二年生まれのカーはアロンよりも年長だが、活躍した時期はほぼ同じだ。なお、フランスでのカーの影響は限定的である。たとえば、日本ではカーの名著『危機の二十年』は、岩波文庫から二つの異なる翻訳が出たほどだが、フランスではようやく二〇一五年に翻訳されたのである。こうした点もアロンとカーとの対比という視点が素通りされた要因の一つかもしれない。

一九四〇年のアロンにまつわるもう一つの「出来事」は、ロンドンに亡命したことである。ユダヤ人であるアロンにとって、パリを中心とする占領下のフランスも、ヴィシー政府の統治下のフランスも決して安住の地ではなかった。そのロンドンで、アロンは抵抗運動の機関誌を舞台に、同じように亡命してきた軍人に軍事の「いろは」を教わりながら軍事戦略について論じるようになった。

その抵抗運動を率いたシャルル・ド・ゴール将軍との出会いも重要な「出来事」である。ド・ゴールの権威主義的な政治手法に嫌気が差し、アロンは、早い段階で自由フランスと距離を置いた。これはアロンが現実政治の舞台で活躍する絶好の機会を逃したことを意味する。戦後、紆余曲折を辿るド・ゴールとの関係の始まりでもあった。アロンは、第二次世界大戦の末期から軍事戦略にとどまらず、戦後フランスを取り巻く国際情勢を見据えた議論、なかでもフランスの国益を踏まえた国家戦略を論じるようになる。そして平和主義に続き、左派とも決別し、ジャーナリストとしてのびのびと国際関係を論じるようになった。当然のことながら、マリスの本も戦後のアロンに最も紙幅を割いている。

アロンは、冷戦構造の文脈を踏まえながら、主にフランス連合やアルジェリアなどの植民地帝国の帰趨をめぐる問題、核兵器の問題、あるいはヨーロッパ統合をめぐる問題など、世界のなかでのフランスのあり方について議論を展開するようになった。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

マスク氏資産、初の7000億ドル超え 巨額報酬認め

ワールド

米、3カ国高官会談を提案 ゼレンスキー氏「成果あれ

ワールド

ベネズエラ沖で2隻目の石油タンカー拿捕、米が全面封

ワールド

トランプ氏関連資料、司法省サイトから削除か エプス
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:教養としてのBL入門
特集:教養としてのBL入門
2025年12月23日号(12/16発売)

実写ドラマのヒットで高まるBL(ボーイズラブ)人気。長きにわたるその歴史と深い背景をひもとく

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    懲役10年も覚悟?「中国BL」の裏にある「検閲との戦い」...ドラマ化に漕ぎ着けるための「2つの秘策」とは?
  • 2
    待望の『アバター』3作目は良作?駄作?...人気シリーズが直面した「思いがけない批判」とは?
  • 3
    「食べ方の新方式」老化を防ぐなら、食前にキャベツよりコンビニで買えるコレ
  • 4
    日本がゲームチェンジャーの高出力レーザー兵器を艦…
  • 5
    「何度でも見ちゃう...」ビリー・アイリッシュ、自身…
  • 6
    70%の大学生が「孤独」、問題は高齢者より深刻...物…
  • 7
    香港大火災の本当の原因と、世界が目撃した「アジア…
  • 8
    中国最強空母「福建」の台湾海峡通過は、第一列島線…
  • 9
    ロシア、北朝鮮兵への報酬「不払い」疑惑...金正恩が…
  • 10
    ウクライナ軍ドローン、クリミアのロシア空軍基地に…
  • 1
    日本がゲームチェンジャーの高出力レーザー兵器を艦載、海上での実戦試験へ
  • 2
    人口減少が止まらない中国で、政府が少子化対策の切り札として「あるもの」に課税
  • 3
    「勇気ある選択」をと、IMFも警告...中国、輸出入ともに拡大する「持続可能な」貿易促進へ
  • 4
    【実話】学校の管理教育を批判し、生徒のため校則を…
  • 5
    「最低だ」「ひど過ぎる」...マクドナルドが公開した…
  • 6
    ミトコンドリア刷新で細胞が若返る可能性...老化関連…
  • 7
    自国で好き勝手していた「元独裁者」の哀れすぎる末…
  • 8
    香港大火災の本当の原因と、世界が目撃した「アジア…
  • 9
    【銘柄】資生堂が巨額赤字に転落...その要因と今後の…
  • 10
    身に覚えのない妊娠? 10代の少女、みるみる膨らむお…
  • 1
    日本がゲームチェンジャーの高出力レーザー兵器を艦載、海上での実戦試験へ
  • 2
    人口減少が止まらない中国で、政府が少子化対策の切り札として「あるもの」に課税
  • 3
    日本人には「当たり前」? 外国人が富士山で目にした「信じられない」光景、海外で大きな話題に
  • 4
    【銘柄】オリエンタルランドが急落...日中対立が株価…
  • 5
    日本の「クマ問題」、ドイツの「問題クマ」比較...だ…
  • 6
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるよ…
  • 7
    「勇気ある選択」をと、IMFも警告...中国、輸出入と…
  • 8
    インド国産戦闘機に一体何が? ドバイ航空ショーで…
  • 9
    【衛星画像】南西諸島の日米新軍事拠点 中国の進出…
  • 10
    ポルノ依存症になるメカニズムが判明! 絶対やって…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中