「遺伝子ドーピング」に立ち向かう研究者の戦いはすでにはじまっている
世界アンチ・ドーピング機構は2018年に、ゲノム編集を使ったドーピングを禁止事項に追加した Nikolas_jkd-iStock
<遺伝子治療と同じ方法で、運動能力を高めようとする「遺伝子ドーピング」とは何か。そしてスポーツ界と研究者はどう立ち向かうのか>
スポーツ大会には常に「ドーピング」の問題がつきまとう。ドーピングとは、運動能力を高めるために選手が禁止薬物を使うことだ。しかし近年、薬物を使うのではなく、選手自身の遺伝子を書き換える「遺伝子ドーピング」という新たな問題が浮上している。遺伝子ドーピングとは何か。これまでとは全く異なるタイプのドーピングに、スポーツ界と研究者はどう立ち向かうのか。
遺伝子ドーピングも遺伝子治療も原理は同じ
遺伝子ドーピングのもととなる技術は「ゲノム編集」だ。ゲノム編集を使えば、生物がもつ遺伝子を、非常に高い精度で書き換えることができる。農作物の品種改良から病気の治療まで、応用例は多岐にわたる。
その中の一つに、筋力が低下する難病「筋ジストロフィー」の治療がある。筋ジストロフィーのうち遺伝性の「デュシェンヌ型筋ジストロフィー(DMD)」は、筋肉の細胞で骨格を保つ「ジストロフィン」というタンパク質が遺伝子の異常によってほとんど作れないために筋力が低下する。
DMD患者の体内で、原因となる遺伝子をゲノム編集で修復できれば、DMDを根本的に治療できると考えられている。2016年にはマウス、2018年にはイヌを用いて、体内でDMDの原因となる遺伝子の異常を修復できることにアメリカの研究チームが成功した(マウスの成果、イヌの成果)。ヒトへの応用も、そう遠い未来ではないだろう。
このように、ゲノム編集を用いて体内の遺伝子を直接修復して病気を治療する方法は「遺伝子治療」と呼ばれている。
もし、これを患者ではなく、スポーツ選手に実施したらどうなるのだろう。もしかしたら、強靭な筋肉となり、競技に有利となるかもしれない。
遺伝子治療と同じ方法で、運動能力を高めようとするのが、遺伝子ドーピングだ。誰もやったことがないため、本当に有利になるのか、あるいは健康被害はないのか、現時点では誰にも想像できない。だが、患者への遺伝子治療が有効だとわかってきたら、試そうとする選手(あるいはチームや国)が出てくることは否定できない。
医薬品が薬物ドーピングに使われるようになった歴史を、遺伝子治療も繰り返してしまうのか。