最新記事

日本

偽物の効用──「震災遺構」保存問題の周辺から

2017年9月12日(火)16時43分
渡辺 裕(東京大学大学院人文社会系研究科教授)※アステイオン86より転載

「震災遺構」にもそういう面があるのではないか。この語が今回これだけ使われるということは、阪神・淡路大震災とは比べものにならないほど、遺構の保存や記憶の継承といったことについての意識が高まっていることのあらわれには違いない。しかし他方で、この概念にあてはめることで何となくわかったような気になり、「遺構」と呼ばれている対象やその保存が、個々の事例において、あるいは立場を異にするそれぞれの人にとってどのような意味をもっているかを、丁寧に問い返すことがなくなってしまっているのではないか。保存や記憶といった問題圏は本来多様で豊かな広がりをもつはずなのに、それが「保存か解体か」というひどく貧困な二分法に還元されてしまっているのも、この「震災遺構」という概念のもたらす固定観念にしばられ、自由さを失っているためではないか、そんな気がしてしまうのである。

 この「震災遺構」に関わる固定観念のひとつに「本物信仰」とでも言うべき問題がある。正統性のある「本物」には複製や写真などでは代替できない価値が具わっており、「まがい物」や「偽物」にはない訴求力をもっている、という考えである。

 たしかに「本物」は強い。南三陸町の防災対策庁舎の「本物」を目のあたりにしてみると、やはり独特のインパクトがある。しかしながら、ニュース映像でこれまで何度もみてきた建物の「本物」に初めて触れた今回の体験には、実を言うと、いささか違和感が伴ったことも事実なのである。

 今、この周辺は嵩上げの大土木工事の真っ最中で、周囲には土が山と積まれ、ダンプカーが行き交っている。もちろん、今は工事途上の過渡期なのだろうが、周辺の地形そのものが跡形もないほど変わってしまい、どこがどこやらわからなくなってしまった中に置かれているものを、「本物」としてためらいもなく受け入れられるのか、震災の「記憶」を後世に伝えるという意図が本当に機能するのか、いささか疑問に思われてくるのである。

 ところで今回の見学で、もうひとつ印象に残った場所がある。仙台市若林区の荒浜地区に深沼海岸というところがある。荒浜は、海岸線に沿って防砂林が延々と続く砂浜の独特の景観が魅力的だったが、今回、その防砂林もほとんど津波で流され、何百もの遺体が打ち上げられる場所になってしまった。多くの犠牲者を出した荒浜の集落は災害危険区域に指定され、今は見渡す限りの荒れ地が広がっている。

 今回印象的だったのは、この深沼海岸に設置されているバス停の標識である。深沼海岸は海水浴場で、仙台市街からバスが出ていたのだが、今は途中までしか行っておらず、もともとの標識は当然ながら流されてしまった。今あるこの標識は実は、もとのバス停の場所に、佐竹真紀子さんというアーティストが建てたオブジェなのである。もちろん「本物」ではなく、バスが来るわけではない。標識には何と「偽・仙台市交通局」と書かれている、れっきとした「偽物」なのだが、その経緯が朝日新聞の記事(二〇一六年九月二〇日付、宮城県版)に書かれており、これが実におもしろい。

【参考記事】Picture Power 置き去りにされた被災者家族の願い

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

ドイツ外相、中国の「攻撃的行動」を批判 訪日前に

ワールド

ウクライナ大統領、和平交渉は「現在の前線」から開始

ワールド

プーチン氏の和平案、ウクライナ東部割譲盛り込む=関

ワールド

イスラエルで全国的抗議活動、ハマスとの戦闘終結求め
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:Newsweek Exclusive 昭和100年
特集:Newsweek Exclusive 昭和100年
2025年8月12日/2025年8月19日号(8/ 5発売)

現代日本に息づく戦争と復興と繁栄の時代を、ニューズウィークはこう伝えた

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    頭部から「黒い触手のような角」が生えたウサギ、コロラド州で報告相次ぐ...衝撃的な写真の正体
  • 2
    【クイズ】次のうち、「海軍の規模」で世界トップ5に入る国はどこ?
  • 3
    「自律神経を強化し、脂肪燃焼を促進する」子供も大人も大好きな5つの食べ物
  • 4
    将来ADHDを発症する「幼少期の兆候」が明らかに?...…
  • 5
    AIはもう「限界」なのか?――巨額投資の8割が失敗する…
  • 6
    恐怖体験...飛行機内で隣の客から「ハラスメント」を…
  • 7
    「イラつく」「飛び降りたくなる」遅延する飛行機、…
  • 8
    「パイロットとCAが...」暴露動画が示した「機内での…
  • 9
    40代は資格より自分のスキルを「リストラ」せよ――年…
  • 10
    「長女の苦しみ」は大人になってからも...心理学者が…
  • 1
    「自律神経を強化し、脂肪燃焼を促進する」子供も大人も大好きな5つの食べ物
  • 2
    将来ADHDを発症する「幼少期の兆候」が明らかに?...「就学前後」に気を付けるべきポイント
  • 3
    頭部から「黒い触手のような角」が生えたウサギ、コロラド州で報告相次ぐ...衝撃的な写真の正体
  • 4
    「笑い声が止まらん...」証明写真でエイリアン化して…
  • 5
    「長女の苦しみ」は大人になってからも...心理学者が…
  • 6
    「何これ...」歯医者のX線写真で「鼻」に写り込んだ…
  • 7
    【クイズ】次のうち、「海軍の規模」で世界トップ5に…
  • 8
    債務者救済かモラルハザードか 韓国50兆ウォン債務…
  • 9
    「触ったらどうなるか...」列車をストップさせ、乗客…
  • 10
    産油国イラクで、農家が太陽光発電パネルを続々導入…
  • 1
    「週4回が理想です」...老化防止に効くマスターベーション、医師が語る熟年世代のセルフケア
  • 2
    こんな症状が出たら「メンタル赤信号」...心療内科医が伝授、「働くための」心とカラダの守り方とは?
  • 3
    「自律神経を強化し、脂肪燃焼を促進する」子供も大人も大好きな5つの食べ物
  • 4
    デカすぎ...母親の骨盤を砕いて生まれてきた「超巨大…
  • 5
    デンマークの動物園、飼えなくなったペットの寄付を…
  • 6
    ウォーキングだけでは「寝たきり」は防げない──自宅…
  • 7
    山道で鉢合わせ、超至近距離に3頭...ハイイログマの…
  • 8
    将来ADHDを発症する「幼少期の兆候」が明らかに?...…
  • 9
    イラン人は原爆資料館で大泣きする...日本人が忘れた…
  • 10
    12歳の娘の「初潮パーティー」を阻止した父親の投稿…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中