最新記事

生命倫理

報じられなかった山中教授の快挙

iPS細胞の功績は医学面だけではなく「ノーベル倫理学賞」にも値する

2012年11月14日(水)14時22分
ウィリアム・サレタン(ジャーナリスト)

快挙 ノーベル賞授賞が発表された後、記者会見に応じる山中 Lehtikuva-Reuters

 京都大学の山中伸弥教授は幹細胞の研究に没頭していた。だが従来の胚性幹細胞(ES細胞)は受精卵を壊して作らねばならず、倫理的な問題に触れるのは避けたい。そこで彼が開発したのが、06年に米科学誌セルで発表したiPS細胞(人工多能性幹細胞)。iPS細胞は皮膚などの体細胞から作製でき、受精卵を破壊することなく作れる万能細胞だ。

 この発見で山中は先週、ノーベル医学生理学賞を受賞した。だが授賞を発表したノーベル賞委員会も、その後の報道も山中の功績の半分しか語っていない。山中の挑戦は実験室だけにとどまってはいなかった。それは倫理観への挑戦でもある。

 07年のニューヨーク・タイムズ紙の記事によれば、山中が自身が探るべき研究の道を決めたのは、友人の不妊治療クリニックで受精卵を顕微鏡で見たときだった。「その受精卵と私の娘たちに、どれだけ大きな違いがあるのかという思いが芽生えた」と、山中は振り返る。「もう研究のために受精卵を破壊してはいけない。ほかの道があるはずだと思った」

 とはいえ山中の信念も絶対的なものではなかった。09年、アメリカのオバマ大統領がES細胞研究に対する政府助成を解禁した際、山中はこれを公に支持。07年には科学誌で、自身の迷いについてこう語っている。「患者の命は受精卵よりも大事だ。それでもできることなら受精卵を使う研究は避けたい」

 09年から今年にかけて、山中は米ラスカー賞、稲盛財団の京都賞、フィンランドのミレニアム技術賞と、国際的な賞を3つ受賞しているが、そのいずれもが彼の研究における倫理観の重要性を評価した。

 ところが今回、ノーベル賞委員会は山中の倫理観に関する功績については一切触れなかった。メディアの報道も同様だ。CNNは一切言及せず、ニューヨーク・タイムズに至っては、山中の研究をほかの幹細胞研究技術と同類に扱い、「科学者が自然の領域に踏み込み人工的に生命をつくり出すことに、倫理的または宗教的に懸念を抱く人々から反発を招いている」と書いた。

 だがこれは間違っている。山中があの論文を発表して注目を集める前から、人工妊娠中絶反対派(生命は受精したときから始まるとの立場)は彼の研究を熱烈に支持していた。ローマ法王庁も何年も前から期待を込めて彼の研究を見守ってきた。

 そして今、山中はついにノーベル賞という栄誉を手にした。幹細胞論議における保守派を喜ばせるのが嫌だからといって、倫理観の功績から目をそらすべきではない。

 山中は幹細胞論議をまったく新しいものに変えた。病人の命を救うことと受精卵を守ることのどちらが大切なのかという呪縛から私たちを解き放ち、幹細胞研究を支持する人々と生命倫理を擁護する人々の両方が勝者になれる道を開いてくれた。生命倫理学者でES細胞研究の支持者であるジュリアン・サバレスキュの言葉を借りれば、山中は「ノーベル医学生理学賞だけでなくノーベル倫理学賞にも値する」のだ。

[2012年10月24日号掲載]

ニュース速報

ワールド

豪、ミャンマーとの防衛協力を停止 少数民族に人道支

ワールド

米大学内の孔子学院、上院が管理強化に向けた法案可決

ワールド

中国、海外の自国民にコロナワクチン接種を計画 五輪

ワールド

谷脇総務審議官を大臣官房付に異動、深くおわび=接待

MAGAZINE

特集:人民元研究

2021年3月 9日号(3/ 2発売)

一足先にデジタル化する「RMB」の実力 中国の通貨は本当に米ドルを駆逐するのか

人気ランキング

  • 1

    中国人富裕層が感じる「日本の観光業」への本音 コロナ禍の今、彼らは何を思うのか

  • 2

    中国の金採掘会社、南米や西アフリカで資産買い漁り

  • 3

    【動画特集】自由になったメーガンの英王室への反撃

  • 4

    火星開発は人類生存のためのプロジェクト

  • 5

    インドはどうやって中国軍の「侵入」を撃退したのか

  • 6

    感染症対策に有効というビタミンD、どれだけ取れば大…

  • 7

    ミャンマー、警官19人がインドへ逃亡 国軍の命令拒否

  • 8

    台湾産「自由パイナップル」が中国の圧力に勝利、日…

  • 9

    地球の上層大気で「宇宙ハリケーン」が初めて観測さ…

  • 10

    トランプ後継への隠し切れない野心、元国連大使ニッ…

  • 1

    台湾産「自由パイナップル」が中国の圧力に勝利、日本も支援

  • 2

    インドはどうやって中国軍の「侵入」を撃退したのか

  • 3

    ミャンマー国軍が「利益に反する」クーデターを起こした本当の理由

  • 4

    肉食恐竜が、大型と小型なのはなぜ? 理由が明らかに

  • 5

    地球の上層大気で「宇宙ハリケーン」が初めて観測さ…

  • 6

    リコール不正署名問題──立証された「ネット右翼2%説」

  • 7

    無数の星? いいえ、白い点はすべて超大質量ブラッ…

  • 8

    ミャンマー、警官19人がインドへ逃亡 国軍の命令拒否

  • 9

    中国人富裕層が感じる「日本の観光業」への本音 コロ…

  • 10

    北極の氷が溶け、海流循環システムが停止するおそれ…

  • 1

    フィット感で人気の「ウレタンマスク」本当のヤバさ ウイルス専門家の徹底検証で新事実

  • 2

    ロシアの工場跡をうろつく青く変色した犬の群れ

  • 3

    屋外トイレに座った女性、「下から」尻を襲われる。犯人はクマ!──アラスカ

  • 4

    新型コロナ感染で「軽症で済む人」「重症化する人」…

  • 5

    台湾産「自由パイナップル」が中国の圧力に勝利、日…

  • 6

    韓国メディアが連日報道、米日豪印「クアッド」に英…

  • 7

    バブルは弾けた

  • 8

    中国はアメリカを抜く経済大国にはなれない

  • 9

    全身が泥で覆われた古代エジプト時代のミイラが初め…

  • 10

    インドはどうやって中国軍の「侵入」を撃退したのか

PICTURE POWER

レンズがとらえた地球のひと・すがた・みらい

投資特集 2021年に始める資産形成 英会話特集 Newsweek 日本版を読みながらグローバルトレンドを学ぶ
日本再発見 シーズン2
CCCメディアハウス求人情報
定期購読
期間限定、アップルNewsstandで30日間の無料トライアル実施中!
Wonderful Story
メンバーシップ登録
CHALLENGING INNOVATOR
売り切れのないDigital版はこちら
World Voice

MOOK

ニューズウィーク日本版別冊

絶賛発売中!

STORIES ARCHIVE

  • 2021年3月
  • 2021年2月
  • 2021年1月
  • 2020年12月
  • 2020年11月
  • 2020年10月