最新記事

社会

「モデル国家」スイスの終焉

2010年4月7日(水)14時58分
デニス・マクシェーン(イギリス労働党下院議員、元欧州担当相)

外交力は低下する一方

 スイスは今や「EUの消極的加盟国」だと、若手国会議員のクリスタ・マルクバルダーは言う。一部の特典は享受できるが、EUの意思決定には参加できない国という意味だ。

 そのためマルクバルダーや、ジュネーブに本部を置く赤十字国際委員会のヤコブ・ケレンバーガー総裁などは、EUへの正式加盟を支持している。だが、モスク尖塔の建設禁止を求める国民投票を主導した右派の国民党は加盟に反対。同党は安定して30%の支持率を誇り(スイス議会のその他11政党の支持率はいずれも20%以下)、さらに影響力を増しつつある。

 国民党は現在、スイスに入国できるドイツ人の大学教授や医師の人数を制限する運動を展開している。反外国人・反移民の政治的ムードが高まるなかで、スイスドイツ語(ドイツ語のスイス方言で、他のドイツ語圏の人々には通じない)の人気が高まり、ニュース以外の大半のテレビ番組はこの方言で放送されている。

 多くの国民が国際社会との関わりを避けたいと願う一方で、スイスが昔から維持してきた中立性は急速に失われつつある。20世紀のスイスはファシズムと共産主義を拒否したが、他国と同盟を組むことも避けてきた。中立を維持すればあらゆる国と接触を保ち、利益を上げることができるというのが理由だった。

 実際には、スイスは自由市場と民主主義の西側陣営にしっかりと組み込まれていた。だがアメリカやEUの大国、ロシア、中国などが影響力を競い合う現在の無極化した世界では、スイスの永世中立は意味を持たなくなっている。

 スイスの大統領と外相はイランや北朝鮮、リビアの独裁者にへつらっているが、何の見返りも得ていない。08年7月、リビアの最高指導者ムアマル・カダフィ大佐の息子ハンニバルがジュネーブのホテルで自分の使用人を殴った容疑でスイス当局に逮捕されると、カダフィは報復としてスイス人のビジネスマン2人を逮捕し、人質にした。

 イランや北朝鮮と国際社会との間を仲介しようとしたスイスの努力は、複数の大国から冷笑された。スイスは今も複数の言語を操る優秀な外交官や専門家を擁しているが、アメリカやEUにはたびたびぞんざいに扱われ、新興国からはほとんど無視されている。

 もちろん、スイスに関するニュースは悪いものばかりではない。景気後退で打撃は受けたが、スイスは金融危機の発生前、5年連続で3%の経済成長を記録した。これはヨーロッパで最も高い数字だ。イギリスやアメリカのように巨額の財政赤字や不良債権に悩まされているわけではないし、スペインやアイルランドのような住宅バブルの崩壊にも直面していない。

 失業率は上昇したが、それでもわずか4・1%とEU平均の半分以下だ。環境ビジネスと環境技術の実用化は世界で最も進んでいる。法の秩序と健全なメディア、汚職の少なさは今もこの国の魅力だ。

昔のやり方は通用しない

 しかしスイスには、自国を泥沼から引き揚げてくれる指導者やブレーンが欠けているようだ。大部分の政治家は古い神話に安住しているらしく、排外主義の高まりに対する批判を理解できずにいる。

 構造的な問題もある。スイスは独特な直接民主制を採用しているため、議会や内閣に相当する連邦会議がイニシアチブを取っても、国民投票や個々の州の働き掛けで簡単に阻止されてしまう可能性がある(議会の上院は各州の代表で構成されている)。

 この制度のおかげで、政府に対するスイス国民の発言力はおそらくどの国よりもずっと大きい(選挙や国民投票の投票率は極めて低いが)。だが同時に、この制度のせいで指導者は厳しい決断がしにくくなっている。

 かつてはそれでも構わなかったのかもしれない。スイスはEUの枠外で中立を保ち、のんびりと金儲けを続けることができた。

 だが、昔ながらのやり方はもう通用しない。現在のスイスはEUに正式加盟しているわけでも完全に距離を置いているわけでもない、ほとんど影響力のない閉鎖的な小国にすぎない。

 世界の人々は今後も毎年「ダボス詣で」を続けるかもしれない。だが世界経済フォーラムの参加者は、開催国にはほとんど興味もなければ意識もしていないようだ。

 スイスは昔から、鳩時計とスキーだけの国ではなかった。だが、それ以外の特徴はどんどん見えにくくなっている。

[2010年3月17日号掲載]

今、あなたにオススメ

関連ワード

ニュース速報

ワールド

アングル:メダリストも導入、広がる糖尿病用血糖モニ

ビジネス

アングル:中国で安売り店が躍進、近づく「日本型デフ

ビジネス

NY外為市場=ユーロ/ドル、週間で2カ月ぶり大幅安

ワールド

仏大統領「深刻な局面」と警告、総選挙で極右勝利なら
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:姿なき侵略者 中国
特集:姿なき侵略者 中国
2024年6月18日号(6/11発売)

アメリカの「裏庭」カリブ海のリゾート地やニューヨークで影響力工作を拡大する中国の深謀遠慮

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    この「自爆ドローンでロシア軍撃破の瞬間」映像が「珍しい」とされる理由

  • 2

    森に潜んだロシア部隊を発見、HIMARS精密攻撃で大爆発...死者60人以上の攻撃「映像」ウクライナ公開

  • 3

    屋外に集合したロシア兵たちを「狙い撃ち」...HIMARS攻撃「直撃の瞬間」映像をウクライナ側が公開

  • 4

    メーガン妃「ご愛用ブランド」がイギリス王室で愛さ…

  • 5

    米モデル、娘との水着ツーショット写真が「性的すぎ…

  • 6

    米フロリダ州で「サメの襲撃が相次ぎ」15歳少女ら3名…

  • 7

    接近戦で「蜂の巣状態」に...ブラッドレー歩兵戦闘車…

  • 8

    ロシア兵がウクライナ「ATACMS」ミサイルの直撃を受…

  • 9

    「ノーベル文学賞らしい要素」ゼロ...「短編小説の女…

  • 10

    ロシア軍の拠点に、ウクライナ軍FPVドローンが突入..…

  • 1

    ニシキヘビの体内に行方不明の女性...「腹を切開するシーン」が公開される インドネシア

  • 2

    接近戦で「蜂の巣状態」に...ブラッドレー歩兵戦闘車の猛攻で、ロシア兵が装甲車から「転げ落ちる」瞬間

  • 3

    早期定年を迎える自衛官「まだまだやれると思っていた...」55歳退官で年収750万円が200万円に激減の現実

  • 4

    認知症の予防や脳の老化防止に効果的な食材は何か...…

  • 5

    米フロリダ州で「サメの襲撃が相次ぎ」15歳少女ら3名…

  • 6

    毎日1分間「体幹をしぼるだけ」で、脂肪を燃やして「…

  • 7

    堅い「甲羅」がご自慢のロシア亀戦車...兵士の「うっ…

  • 8

    カカオに新たな可能性、血糖値の上昇を抑える「チョ…

  • 9

    「クマvsワニ」を川で激撮...衝撃の対決シーンも一瞬…

  • 10

    ヨルダン・ラジワ皇太子妃が妊娠発表後、初めて公の場…

  • 1

    ラスベガスで目撃された「宇宙人」の正体とは? 驚愕の映像が話題に

  • 2

    半裸でハマスに連れ去られた女性は骸骨で発見された──イスラエル人人質

  • 3

    ニシキヘビの体内に行方不明の女性...「腹を切開するシーン」が公開される インドネシア

  • 4

    ウクライナ水上ドローンが、ヘリからの機銃掃射を「…

  • 5

    「世界最年少の王妃」ブータンのジェツン・ペマ王妃が…

  • 6

    EVが売れると自転車が爆発する...EV大国の中国で次々…

  • 7

    接近戦で「蜂の巣状態」に...ブラッドレー歩兵戦闘車…

  • 8

    ヨルダン・ラジワ皇太子妃の「マタニティ姿」が美しす…

  • 9

    早期定年を迎える自衛官「まだまだやれると思ってい…

  • 10

    ロシアの「亀戦車」、次々と地雷を踏んで「連続爆発…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中