20円の物を収蔵し、100万円の物を収蔵しない? 国立民族学博物館の収蔵庫で考えた「物の価値」とは【民博特集3/4】
「資産価値という意味では、あまり金銭的な価値を付けられないものもありますし、資産価値を基準に資料を収集しているわけではありません。資料は破損などの事故に備えて保険をかけるんですが、その登録もけっこう大変なんですよ」
保険をかけるとき、研究者が集めてきた資料の場合はその購入金額、寄贈品ならば評価金額を登録しなくてはならない。評価が困難な場合は、過去の同様の物の登録方法や市販されている場合の価格を参考に評価基準額を設定する。
「物の金額って難しいですよね。どう評価していいかわからない物がけっこうあります。それに、当時は100円で買った物が、いまでは入手困難で高価格になっているという場合もありますしね」
世界中の人々の暮らしに関連したものを収集する。しかし、何かしらの基準を設けなければきりがない。収集するときの価値判断基準として、「モノに情報が付いていること」が重視されると末森先生は言う。
民博には寄贈の申し出も多い。収蔵の問題もあるので、断ることも多いのだが、受け入れの判断基準として、まず「情報がちゃんと付いているか」が問われる。美術館や宝物殿ではないので、美しい物や素晴らしい物、あるいは古い物でも情報がなければ受け入れない。逆に言えば、20円の物であっても学術的に意味があれば受け入れる。受け入れの際には、なぜその資料を受け入れるかを記した書類を研究者が作成する。
減りゆく収集、増え続ける責任
あらゆる道具は何らかの意味、つまり価値があるから道具として存在している。しかし、その道具に情報があるかないかが、今後に残していくうえで差を生む。どこで、いつ、誰によってつくられ、どこで、誰によって使われていたのか、どういう経緯で入手され、どこに保管されていたのか?





