最新記事

世界経済

「韓国・文在寅の最低賃金引き上げは失策」説を信じるな 国家の大問題を語る人よ、落ち着け

2020年8月13日(木)19時25分
デービッド・アトキンソン(小西美術工藝社社長) *東洋経済オンラインからの転載

文在寅の最低賃金引き上げは失策だったという言説が根強いが、果たしてそれは本当なのか? Kim Min-Hee / REUTERS


オックスフォード大学で日本学を専攻、ゴールドマン・サックスで日本経済の「伝説のアナリスト」として名をはせたデービッド・アトキンソン氏。
退職後も日本経済の研究を続け、日本を救う数々の提言を行ってきた彼は、このままでは「①人口減少によって年金と医療は崩壊する」「②100万社単位の中小企業が破綻する」という危機意識から、新刊『日本企業の勝算』で日本企業が抱える「問題の本質」を徹底的に分析し、企業規模の拡大、特に中堅企業の育成を提言している。
今回は、「最低賃金を引き上げると、韓国のように経済がボロボロになってしまう」という主張のどこがおかしいかを解説してもらう。

「最低賃金引き上げで韓国は大混乱」は正しいか

私はこれまでずっと、日本は最低賃金を継続的に引き上げるべきだと主張してきました。残念ながら今年は据え置きが決まりましたが、来年以降はぜひ、引き上げるべきだと考えています。

私がこう主張すると、反対派が必ずと言っていいほど言及することが2点あります。

1つは「海外では最低賃金の引き上げによる雇用への影響に関して、まだ研究者の間でもコンセンサスがない」ということです。この主張が間違えているのは、エビデンスではなくエピソードに基づいているからだということは、前回の記事(最低賃金「引上げ反対派」が知らない世界の常識)で詳しく説明しました。

もう1つが、「韓国では最低賃金の引き上げで失業者が増え、経済がボロボロになった」という反論です。「最低賃金を引き上げたらどうなるかは、韓国を見ればわかる」「最低賃金の引き上げによって、韓国は大不況になった」などと言われます。これもまたエピソードベースの話ではありますが、今回はこの件について検証していきます。

日本で失敗事例としてやり玉に挙げられるのは、2018年と2019年の最低賃金の引き上げです。まず2018年に16.4%引き上げられ、翌年も10.9%引き上げられました。日本に当てはめると、2019年の最低賃金901円(全国加重平均)が、わずか2年で1163円になるほどの引き上げです。

これほど引き上げられても悪影響はなかった

newsweek_20200813_132135.jpg

デービッド・アトキンソン氏は、日本でよく聞く「最低賃金の引き上げで、韓国は大混乱に陥った」という主張は、単なる「俗説」にすぎないと語る(撮影:尾形文繁)

韓国では1986年に最低賃金法が成立し、1988年から実際に制度として導入されました。特に2018年の引き上げは史上3位の引き上げ幅で、韓国でも大変な騒動になりました。2019年には反対運動が起きて、大統領が謝罪をしました。

先述したように日本では、韓国の2018年の最低賃金の引き上げは大変な失敗で、倒産が増え、失業者が続出し、経済はボロボロになったと言われています。実際はどうだったのでしょうか。

まず、経済成長率です。世界銀行によると、引き上げ幅が最も大きかった2018年の韓国の実質経済成長率は2.7%でした。2013年から2018年の平均2.95%よりは低かったのですが、それでも2.7%は成長していました。

ちなみに、日本の2018年の成長率は1.1%で、2013年から2018年の平均成長率はわずか1.25%でした。

また、IMFのデータによると、2019年の韓国のGDP成長率は世界118位の2.0%でした。一方、日本は159位の0.7%でした。

韓国経済の成長率は特別に悪化したわけではなく、大不況になったという事実もありません。2018年も2019年も、韓国経済は世界経済の動きと大差なく動いていたのです。日本よりかなり成長率が高かったのは言うまでもありません。

従来の経済成長トレンドには変化がなかったことを考えると、韓国の経済が最低賃金の引き上げによってボロボロになったというエビデンスは存在しないと断言していいでしょう。

「韓国は大失敗」という俗説が生まれた理由

もちろん、経済成長率はさまざまな要素が絡んで決まりますので、最低賃金引き上げの影響は、経済成長率よりも「失業率」で判断するべきです。

では、これらの期間の失業率はどうだったのでしょうか。

たしかに、引き上げ直後、2018年の第1四半期の失業率は、2017年の第4四半期の3.3%から4.1%まで大きく上昇しました。特に15~24歳の失業率は、9.1%から11.7%まで上がり、大問題となりました。

2019年第1四半期の失業率も、2018年の第4四半期に比べて全体の失業率が3.5%から4.2%まで、15~24歳の失業率が9.1%から11.7%まで上昇しました。

さらに、2019年の場合、第2四半期にも失業率が上がりました。全体の失業率は4.3%まで、若年層の失業率は12.2%まで上昇し、大きな懸念が生まれました。

日本では、2018年に最低賃金が引き上げられて失業率が上昇したことと、その後2019年にも最低賃金が引き上げられ、第1四半期、第2四半期と続けて失業率が悪化したことが報道されました。ここから、韓国経済はダメになったというストーリーが生まれたのでしょう。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

ECBの次回利下げ、9月より後になる公算=リトアニ

ワールド

トランプ氏、日本に貿易巡る書簡送付へ 「コメ不足な

ワールド

米政権がロス市提訴、ICE業務執行への協力制限策に

ビジネス

米国株式市場=S&P・ナスダック最高値更新、貿易交
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:トランプvsイラン
特集:トランプvsイラン
2025年7月 8日号(7/ 1発売)

「平和主義者」のはずの大統領がなぜ? 核施設への電撃攻撃で中東と世界はこう変わる

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    ワニに襲われた男性の「最期の姿」...捜索隊が捉えた発見の瞬間とは
  • 2
    普通に頼んだのに...マクドナルドから渡された「とんでもないモノ」に仰天
  • 3
    仕事ができる人の話の聞き方。3位は「メモをとる」。2位は「身を乗り出す」。では、1位は?
  • 4
    「パイロットとCAが...」暴露動画が示した「機内での…
  • 5
    砂浜で見かけても、絶対に触らないで! 覚えておくべ…
  • 6
    ワニに襲われ女性が死亡...カヌー転覆後に水中へ引き…
  • 7
    突然ワニに襲われ、水中へ...男性が突いた「ワニの急…
  • 8
    イランを奇襲した米B2ステルス機の謎...搭乗した専門…
  • 9
    飛行機のトイレに入った女性に、乗客みんなが「一斉…
  • 10
    顧客の経営課題に寄り添う──「経営のプロ」の視点を…
  • 1
    「コーヒーを吹き出すかと...」ディズニーランドの朝食が「高額すぎる」とSNSで大炎上、その「衝撃の値段」とは?
  • 2
    燃え盛るロシアの「黒海艦隊」...ウクライナの攻撃で大爆発「沈みゆく姿」を捉えた映像が話題に
  • 3
    イランを奇襲した米B2ステルス機の謎...搭乗した専門家が語る戦略爆撃機の「内側」と「実力」
  • 4
    「小麦はもう利益を生まない」アメリカで農家が次々…
  • 5
    定年後に「やらなくていいこと」5選──お金・人間関係…
  • 6
    夜道を「ニワトリが歩いている?」近付いて撮影して…
  • 7
    突然ワニに襲われ、水中へ...男性が突いた「ワニの急…
  • 8
    ワニに襲われた男性の「最期の姿」...捜索隊が捉えた…
  • 9
    サブリナ・カーペンター、扇情的な衣装で「男性に奉…
  • 10
    仕事ができる人の話の聞き方。3位は「メモをとる」。…
  • 1
    日本の「プラごみ」で揚げる豆腐が、重大な健康被害と環境汚染を引き起こしている
  • 2
    「コーヒーを吹き出すかと...」ディズニーランドの朝食が「高額すぎる」とSNSで大炎上、その「衝撃の値段」とは?
  • 3
    「あまりに愚か...」国立公園で注意を無視して「予測不能な大型動物」に近づく幼児連れ 「ショッキング」と映像が話題に
  • 4
    一瞬にして村全体が消えた...スイスのビルヒ氷河崩壊…
  • 5
    妊娠8カ月の女性を襲ったワニ...妊婦が消えた川辺の…
  • 6
    庭にクマ出没、固唾を呑んで見守る家主、そして次の…
  • 7
    10歳少女がサメに襲われ、手をほぼ食いちぎられる事…
  • 8
    JA・卸売業者が黒幕説は「完全な誤解」...進次郎の「…
  • 9
    「ママ...!」2カ月ぶりの再会に駆け寄る13歳ラブラ…
  • 10
    気温40℃、空港の「暑さ」も原因に?...元パイロット…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中