コラム

「夜も眠れない」青函トンネルの新幹線通過問題

2012年12月14日(金)15時17分

 別に騒音で眠れないのではありません。その昔、夫婦漫才の春日三球・照代さんが「地下鉄が新しくできるときに、車両をどうやって入れるのかを考えると夜も眠れない」というネタで有名になりましたが、この問題はそれ以上に複雑だからです。

 私はアメリカに住んでいるのですが、そのためもあって日本の鉄道システムへの愛着の念は並々ならぬものがあり、不肖ながら鉄道評論というものに手を染めております。とは言っても「消えゆく車両に別れを惜しむ」的なセンチメンタルな趣味はあまりなく、鉄道模型や鉄道写真に凝っているわけでもありません。

 ですが「鉄屋」であることは間違いなく、あえてカテゴリを分ければ「安鉄(アンテツ)」つまり、鉄道の安全技術が主要な関心分野です。その方面に関しては、JRなどの専門家からも評価をいただいていますが、何と言っても変化する日本の社会経済情勢の下で「鉄道を守り、鉄道の安全技術を磨く」という問題を追いかけるのは重要なテーマだと思っています。

 さて、この「夜も眠れない」問題ですが、まず2つの前提があります。1つは、1988年に完成した青函トンネルというものは「新幹線フル規格」で設計されているという事実です。つまり、断面を広げる必要など土木工事を行うことなく、そのまま新幹線の車両を通すことができるようにできているのです。

 もう1つは、にも関わらず長い間この青函連絡区間は「津軽海峡線」という在来線として使われていたのが、2015年末開業を目指して「北海道新幹線の新青森=新函館間」の工事が進められているという事実です。既に、津軽半島を走る津軽海峡線の車中からは、工事の進捗がよく分かるようになっていますし、北海道に入って上磯町から北斗市にかけても、現在は高架橋の建設がどんどん進んでいます。開業した場合には、現在は東京から新青森を結んでいる「はやぶさ」と「はやて」のE5系列車が(名称はどうなるか分かりませんが)そのまま新函館まで延伸運転されるでしょう。

 ところが、ここに大きな問題があるのです。それは、開通から24年を経た青函トンネルは「日本の貨物輸送の大動脈」になっているということです。現在、青函トンネルを1日に通過する列車本数は、旅客(特急「白鳥」「スーパー白鳥」「カシオペア」「北斗星」「トワイライトエクスプレス」)が往復30本程度である一方で、貨物列車は一日50本に達しています。JR貨物が誇るEH500という2両8車軸ある豪快な機関車が牽引する「コンテナ列車」は首都圏と北海道を結ぶ物流インフラとして極めて重要な存在になっているのです。

 北海道の人々と話をしていますと、青函トンネルができる前は、雑誌も本も本土から相当に遅れて発売になっていたのが今はほとんど変わらなくなり、この点だけでもトンネルというのは精神的に大きな存在だというのです。勿論、その反対に北海道からは毎日のように生鮮食料品が首都圏をはじめとした本州の市場に入っているわけです。とにかく天候の影響を受けにくい「トンネル」で本州と北海道が結ばれているということの意味は、この貨物列車の物流という点に端的に現れています。

 問題は、この貨物列車と新幹線が混在できないということです。まず貨物の最高速度は、このEH500(愛称は「ECO-POWER 金太郎」)をもってしても営業速度としては110キロしか出せません。青函トンネルはその入り口と出口に「貨物列車の待避設備」を作っているのですが、青森側の奥津軽駅(仮称)の待避線で一本目の貨物を追越したとして、仮に新幹線が200キロとかそれ以上の速度で走ると、全長54キロ弱ある青函の出口に到達する前にその前を走っている貨物に追いついてしまうのです。基本的に海底トンネルである青函には内部にこれ以上の待避線を建設することはできません。天文学的なカネがかかってしまうからです。

 もう1つは「追いつく話」ではなく「すれ違う話」です。こちらはもっと深刻で、新幹線車両が高速でトンネル内を通過する際に発生する乱気流が、すれ違う貨物列車のコンテナの荷崩れを起こす危険があるのです。その可能性をゼロにするには、200キロ走行などはもっての外であり、新幹線は時速140キロ程度への減速を余儀なくされてしまいます。

 折角の「フル規格設計」で出来ている青函トンネルなのに「新幹線が高速走行できない」わけで、正に「夜も眠れない」問題と言えます。これに対して抜本的な解決方法がないわけではありません。例えば、JR北海道は「トレイン・オン・トレイン」構想という研究を始めています。これは在来線の貨物車両をそのまま収納してしまう新幹線規格の密閉型貨物列車で、トンネルに入る前に貨物列車はこの「トレイン・オン・トレイン」に乗ってトンネル内は高速走行するというアイディアです。これなら追いつかれる心配もないし、すれ違いも問題ないわけです。

 ですが、こうした構想には相当な経費がかかるし、とても新函館開業には間に合いません。そこで、JR北海道や、鉄道・運輸公団(旧鉄建公団)では「当面、トンネル内は新幹線も時速140キロに減速」ということで考えていたのです。

 私は、昨年の7月に札幌でJR北海道の幹部の方とお話している時に「朝晩の短い時間帯だけでも速達型の新幹線を集中させて270キロで走らせるのはどうか」という提案をしたことがあります。その時には、テクニカルな問題として信号システムが難しいだろうという話でした。270キロ対応の「信号機なしの新幹線用ATC」と「貨物向け信号機」の併用というのは、技術的にも、また鉄道法規の上でも困難ということだったのです。

 ところで、この問題に関しでは国交省が主導して有識者会議がスタートしたようで、12月12日には第1回会合があったようです。ここでは、「ダイヤの見直し」により「1日1往復だけは速達型の新幹線をトンネル内260キロ運転」をするという案が提示されたようです。この方向性で、安全面そして貨物とのダイヤの問題がクリアになり、営業的にも成功したら1往復だけでなく集中して2~3本ぐらい速達列車を出すことも可能になるかもしれません。

 北海道では昨年に引き続いて今年の冬も厳しいようです。また経済ということですと、それこそ1997年の拓銀破綻以来、15年にわたって暴風雪が続いているような厳しい状況が続いています。そんな中で、新幹線の新函館延伸、そして札幌延伸というのは絶対に成功させなくてはなりませんし、同時に貨物の大動脈としての青函トンネルという位置づけも守って行かねばなりません。巨額のカネはかけられないという条件下で、最高の安全性と利便性をどう両立させていくか、この問題では当分「夜も眠れない」状態が続きそうです。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

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