コラム

オウム事件、17年の年月を問う

2012年06月11日(月)10時32分

 オウムの菊地直子が出頭し高橋克也の逃亡経路が浮かんでいるということで、地下鉄サリン事件から17年3カ月を経て、やっとオウム真理教事件は新たな段階に来たようです。以下は、この間、折にふれて事件を意識し続けてきた私のメモ書きです。

(1)事件当初の報道や論評は「加害の論理」への関心に偏っていた。村上春樹氏の『アンダーグラウンド』はこれに対する異議申立てであり、内容についても「普通の人間である被害者」の存在の重さ、尊厳を問うものだった。あの時、村上氏の警鐘を受けて、被害者の尊厳に社会が目を向けることができれば、その後に新世紀になってから頻発した、「被害者の正義」を掲げた感情論の暴走も、もっと冷静でバランスの取れたものになったかもしれない。

(2)出家を前提とした小乗仏教としての必然性がある、としてオウムを一定程度評価した吉本隆明氏などの論評を全否定できなかったのが悔やまれる。吉本氏は、晩年には「最後の親鸞」という思想で、大衆の原像というイメージに宗教的救済を重ね究極の大乗思想を目指した。その延長で、オウム被害者の尊厳を認めるような自己修正の宣言がもっと明確にされるべきだった。

(3)サリン被害者の後遺症問題は、改めてその深刻さを思うと慄然とさせられる。

(4)事件後、日本では「あらゆる宗教的なるもの」が忌避される風潮が起き、対象は世界宗教にまで及んだ。少なくとも仏教界は「日本的な大乗思想こそ、独善的なオウム思想の対極にあるもの」だとして踏ん張るべきだった。キリスト教にしても同じだ。今、孤独死や自殺の問題が深刻となり、死生観に関して宗教の持つノウハウに社会が期待しなくてはならない時に、その影響力が発揮できないのは無念。

(5)菊地(1971年生まれ)は団塊2世の「はしり」だ。一方で、巨大な人口の塊を持ちながら社会の変化に翻弄されている団塊2世が、この事件以外には大規模な暴発もせず、一人ひとりの生活の場での「たたかい」に誠実に向き合っているということは、もっともっと尊敬を向けられるべき。

(6)事件の直後には、実行犯の多くに理系出身者がいたことから、理系の学生や院生に「倫理や哲学を教えよ」という声が沸き起こった。だが、問題はそんなことではなく、専門性を専門性として社会が評価する仕組みが欠けていたということだ。卓越性を尊敬するでもなく、卓越性があっても個の尊厳は等価という確信を元に平常のコミュニケーションを続けることもなく、卓越性が孤立する構造。菊地の場合は、陸上のエリートという「卓越性」が孤立を招いたのではないか?

(7)仮にも、自分たちの「卓越性」を社会や周囲が無視したことへの怨恨が根っこの部分にあって、それが「ポア」の思想へと転落していった要素の1つであるのなら説明としては分かりやすい。だが、仮にそうであれば、ストーリーとしては最悪の部類に属するわけで、この事件の全体像はもっともっと厳しく糾弾されてもいいのではないか?

(8)オリンパス事件では、欠損隠しが明るみに出て特別損失が出たことから、大規模なリストラに着手するという。しかし、90年代にそれこそオウム事件以前に「財テク失敗」で出た損失を「飛ばし」に走った経営陣には時効の壁があって訴追ができない。「欠損は現在も歴然と存在する」のに「行為者は責任を問われない」というのは、司法が利害調整ツールとして機能しないということだ。刑法や刑訴法だけでなく、商法、民法の時効も大幅に見直すべきだろう。

(9)オウム事件と同時に、同じ90年代に発生したバブル崩壊への総括も全くできていない。土地や株に殺到したキャッシュがバブル化したのが悪いのではなく、「消費も含めたカルチャーが、その次の成長のステップ」を用意できなかったという問題であり、具体的には90年代の不況というのは、デジタル化の遅れ、ポスト産業化の遅れ、グローバル化の遅れという形での衰退の端緒であったのではないか?

(10)オウムに引っかかった資質の中には、世界観を獲得したいとか、抽象概念を扱いたいという性格のものもあり、もしかしたらそうした資質というのは、ポスト産業化、グローバル化の中で生かされる資質だったのかもしれない。彼等には正当性は微塵もないが、こうした資質を活かせず暴発に追い込んだカルチャーと、現在の社会経済の低迷には何からの関連があるのだろう。

(11)世界を説明し切るための尊大な思想から、庶民性に絶対善を置く思想へ。卓越性はあくまで機能だとして全人格から切り離し、個の尊厳と絶対平等をコミュニケーション様式として確立すること。その上で、卓越性に縦横に活躍してもらいながら、全体が成長する仕組みはできないのか? いずれにしても、90年代から2000年代の20年を総括することは、次の時代へと進む上で欠かせない。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

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