コラム

「上から目線」問題に苦しむ日米の政治家

2012年01月20日(金)11時07分

 兵庫県の井戸敏三知事が、NHKのドラマ『平清盛』について「画面が汚い」という批判を行なったことが話題になっています。これに対して坂東玉三郎氏がドラマの作りを絶賛したとか、神戸市長は逆の意見だとかいう情報が流れたり、NHKがわざわざ演出方針を変えないという見解を出したり、色々な動きがあったわけです。これに対して、井戸知事の方は旗色が悪くなったと見ると2週目の放映後には「面白くなりそう」などと腰砕けになっているなど、ドタバタ劇の範囲を出ない話と言えばそれまでです。

 ですが、このエピソードの背景には「目線」の問題が潜んでいる、そう考えると問題は決して単純ではないように思います。恐らく井戸知事は「清盛ブームに乗って神戸に観光に来るような層」は「難しい話」や「地味な話」は嫌いで「華やかで分かりやすい話」が好きだろうという判断で、こうした発言に至ったのだと思います。発言の趣旨は「観光客が減る」ことへの懸念でしたから、要するにそういうことでしょう。

 ということは、井戸知事としては「上から目線」に関する2つのミスをしてしまったということになります。1つは、「観光客」の視点から「自己満足のアートっぽい演出をしたNHK」は「上から目線」だという批判をしようとしたところが、意外にも孤立してしまったということです。もう1つは、知事としては「観光客のレベルは要するにチャラチャラしたのが好きなんだろ」という自分の方の「上から目線」を暴露してしまったということです。

 もしかしたら井戸知事は、大阪の橋下市長がやっている手法、つまり「能狂言好きは変態」とか「大阪はオーケストラではなくお笑い文化の町」あるいは「文楽は時代に対応していない」というような、ポピュリズム的な「煽り話法」が成功しているのを見て、いかにも秀才の官僚出身者らしく「なるほどこういうアプローチが効くのか」と思って真似をしたということなのかもしれません。

 橋下氏のこの種の「話芸」に関しては、「富裕層向けの伝統文化に公的助成をする余裕はない」という困窮した現状を直視する効果を狙ったものに加えて、「自分の視点」を前面に出すことで、少しでも反論すると「お前は偉そうなインテリだ」という「上から目線」のレッテルを相手に貼り付けることが可能という「ハイブリッド・ハイテク話法」であり、それ以上でも以下でもないのです。ですが、素人に真似できるものではないのも事実で、仮に井戸知事が橋下流を狙ったとして失敗したとしても仕方がないでしょう。

 ちなみに、こうした橋下市長の「話芸」に対して「文化の破壊者」だとか「ファシズム」だという言い方で怒ってしまっては相手の思うツボです。財政危機の中で、あくまで公的助成のカットを最小限にしようと思うのなら、以前よりも「公益性」をアピールするしかないのです。その努力をしないでおいて、市長やその背後にある世論とケンカしては、それこそ市長との論戦で負けた山口二郎氏と同じことになります。

 こうした「目線」の問題というのは、コミュニケーションの様式に上下関係のフレームが色濃い日本に特有の話に思えますが、アメリカでも似たような話はあるのです。例えば、今週末の21日(土)に行われるサウスカロライナの予備選へ向けて、今日現在トップを走っているミット・ロムニー候補は、自分の確定申告書を開示するかどうかで窮地に立たされています。

 この確定申告書の開示に関してはずっと渋っていたのを政敵に厳しく追及される中、「4月になったら確定申告が固まるのでその時期に開示します」と逃げたまでは良かったのです。ですが、その際に「おおよその税率は?」と聞かれて「15%程度です」と答えてしまった、これが問題となりました。

 ロムニー候補は投資銀行の創業者で、今はその経営権を売却して手放していることから、約2億ドル(150億円)程度の資産があると言われています。ということは、どう考えても数億円の運用益などがあるわけです。仮に億単位の収入があって、それでも税率が15%ということは、運用益や配当などの「不労所得」がほとんどだという可能性が高いわけです。

 というわけで、政敵、特にサウスカロライナに逆転の可能性を賭けている、自称「保守派」のニュート・ギングリッチ候補の陣営は勢いづいています。「ギングリッチ氏の税率は31%、ロムニー氏は15%で不労所得、ギングリッチ氏はキチンと働いて稼いでいるが、ロムニー氏はアメリカの上位1%の富豪というのは明らか、アメリカの国民を代表するような存在ではない」という攻撃を強めているのです。要するにロムニー候補の存在自体が「上から目線」だというわけです。

 選挙というのは、政策と政策実行能力を中心に選択がされるべきなのですが、現在の劇場型の民主制ではどうしても、こうした政治家の「目線」というのが問題になるわけです。現代の政治家には、有権者の利害だけでなく理念的・精神的な代表も求められているからです。そこで「アイツは我々の代表ではない」とか「為政者として主権者の我々を見下している」という印象を与えるのはタブーになるわけです。

 こうした傾向をポピュリズムであるとか、ファシズムの前兆だという批判がありますが、私はそんなことを言っても始まらないと思います。21世紀の社会では、大衆も為政者や富裕層と寸分違わないレベルの社会的な名誉を求める権利を獲得したのです。そのこと自体は否定される筋合いのものではないと思います。

 勿論、このメカニズムを熟知してそれを世論操作に悪用し、危機感の過剰な扇動、あるいは排外主義など社会を不安定にする方向へ誘導するとなれば問題です。ですが、そうした具体的な権力の不正使用ではなく、ただ大衆の精神的な代表であろうとする姿勢そのものについては、批判はできないように思います。大衆には「見下されない」権利があるからです。

 橋下市長に攻撃された芸術家はとにかく公益性を世論に訴え、あるいは公益性を確保するように姿勢を改めねば市長に屈することになります。同じように、ロムニー候補は富裕であることをコソコソ隠すのではなく、攻撃をハネ返すような「庶民を中心とした国民に支持される具体的な政策」を出して勝負すべきでしょう。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

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