コラム

JR北海道、積み重なった悲劇に打開策はあるのか?

2011年09月19日(月)11時47分

 私の住んでいるアメリカ東部のニュージャージーは、アメリカの中では特に鉄道との縁が深い地域です。私の町の最寄り駅には、アムトラックの特急が一部停車しますし、ニューヨークとの間には第三セクターの通勤電車がアメリカでは珍しい通勤の足として確立しています。それだけではありません。このアメリカ東北部のニュージャージーからペンシルベニアという地域は、19世紀から20世紀にかけて、世界で最も先進的な鉄道システムが栄華を極めた場所だからです。

 その栄華を極めた会社は、ペンシルベニア鉄道(PRR)といって最盛期には総延長1万6000キロ、従業員25万人を擁しただけでなく、米国の経済史に燦然と輝く100年連続配当継続という記録を達成した超優良企業でもありました。ですが、そのPRRという会社は今は影も形もありません。全国を結んだ高速道路網と航空航路に押され1968年という時期に時代の彼方に消えていったのです。

 消えたのはPRRだけではありません。ペンシルベニアの栄華を支えていたもう一つの柱、ピッツバーグとベツレヘムの巨大製鉄所もやがて競争力を失い消えて行きました。鉄鋼業が衰退するということは、同時に石炭採掘など関連した産業の衰退を招き、この巨大州の経済は低迷していったのです。

 私の近所には、そうしたPRRの栄光と衰退の痕跡が至るところに残されています。例えば、1910年に世界に先駆けて総電化の海底トンネルでニュージャージーとマンハッタン島が結ばれた際に、蒸気機関車とトンネル専用の電気機関車の交換駅として作られた「マンハッタン・トランスファー駅」の跡(現ニューアーク駅の近郊)、廃止された支線との分岐駅の痕跡など、鉄道の歴史を知る者には感慨深い場所が沢山あります。

 何を申し上げたいのかというと、鉄道インフラというのは継続性が重要だということです。鉄道というのは、施設と車両で成り立っていると思いがちですが、同時に運行体制というソフトと、運行に当たる人材に恵まれなくてはダメなのです。失われた線路は保線工事をすれば復活する、車両はどこからか持ってくればいいということではないのです。

 今回のJR北海道の悲劇、他でもない現職の中島尚俊代表取締役社長の自殺という悲劇は、その鉄道インフラを守るための戦い、その過酷さを示しているように思います。ディーゼル車が火災を起こした、組合を怒らせた、函館=新函館間の第三セクター化構想が反発を買ったなど、問題の1つ1つはJR北海道の「失態」というイメージを与えるかもしれません。社長の自殺も、正に亡くなった本人が「戦線離脱を詫び」つつ亡くなった中、問題からの逃避と受け取る向きもあるかもしれません。

 ですが、私はこの一連の問題を不祥事だと捉えてはいけないと思うのです。中島氏の戦いとは、単に一民間企業の活動という範囲を超えていたように思います。JR北海道が負けるということは、北海道が負けることであり、一度この大きな地方が衰退したら、復活するのは本当に大変なのです。北海道の現状から、PRRやペンシルベニア州経済の衰退の歴史に思いを馳せるというのは、縁起でもない話かもしれません。ですが、あえてこのお話をするというのは、北海道にはまだまだできることがあるように思うからです。

 JR北海道に関して言えば、石勝線のディーゼル特急の事故以来、経営体質への批判がされていますが、その根っこを遡っていけば、国鉄の分割民営化の際に、北海道内の鉄道だけを独立会社として位置づけたスキームそのものに問題があるのは明らかです。例えば、2010年度で比較すれば、JR中最大のJR東日本が連結売上が2兆6千億円近くあるのに、JR北海道は連結売上1628億円と10%にも満たない規模です。

 もっと言えば、JR東海の東海道新幹線一本で1兆円近い売上がある一方で、広大な北海道に分散したインフラを保守し、過酷な自然の中で365日列車を運行し、人材を活かし続けているJR北海道の経営基盤は何とも脆弱です。勿論、税法上あるいは金融上の多少の優遇措置はあるにしても、全くの不公平な条件でのスタートであり、益々差の開くばかりの現状だということが言えるように思います。

 過酷な自然という点では、例えば北海道のほとんどの路線は非電化であり、ほとんどの長距離特急はディーゼル車ですが、それはカネがないからではないのです。冬季の低温と悪天候を考えると、ニーズから来る運行頻度では、架線への着雪や保守を考えると電化は不可能だからです。そうした環境の厳しさ、そして経営基盤の脆弱さ、地域経済の疲弊という総合的な問題の中で、正にJR北海道の人々は「戦って」いるのだと思います。

 下手をすれば負の連鎖に陥りそうな中で、経営基盤確立の決定打となるのは、北海道新幹線の札幌延伸です。残念ながら現時点では、新青森=新函館間しか着工できていないのですが、何とか財源にメドをつけて東京=札幌の直通運転へと進むべきだと思います。北海道同様に経営基盤の脆弱だったJR九州が新幹線の新大阪=鹿児島中央の直通運転で活性化した、いや九州経済全体に刺激を与えたというのも、参考になるのは間違いありません。

 アメリカのペンシルベニア州は、鉄道と鉄鋼が壊滅的な衰退をした後、長く低迷を続けました。彼等の残した基金で運営されていたペンシルベニア大学、カーネギーメロン大学やリーハイ大学などが人材を育て、その人材が銀行業やハイテク産業を中心に州経済を立て直すまでには、一世代近い年月を要しましたし、今でも高い失業率に苦しんでいます。

 アパラチア山脈の峠を何度も越える高速道と、小型機による空路以外には交通インフラのないことが、首都圏に比較的近いこの巨大州の足を引っ張ったわけで、鉄道システムを壊してしまったことのマイナスは大きく積み重なっているように思います。北海道の再生には、やはり鉄道インフラの維持と、高速鉄道が必要だと真剣に思います。中島氏の悲劇をムダにしてはなりません。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

ボーイング787に重大な問題なし、墜落事故同型機 

ワールド

中南米諸国が独自のAIモデル立ち上げへ、多様な文化

ワールド

G7閉幕で石破首相が会見、中東混乱でガソリン急騰に

ワールド

原油先物は続伸、イスラエル・イラン紛争の先行きに懸
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:コメ高騰の真犯人
特集:コメ高騰の真犯人
2025年6月24日号(6/17発売)

なぜ米価は突然上がり、これからどうなるのか? コメ高騰の原因と「犯人」を探る

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    気温40℃、空港の「暑さ」も原因に?...元パイロットが指摘する、墜落したインド航空機の問題点
  • 2
    「うちの赤ちゃんは一人じゃない」母親がカメラ越しに見た「守り神」の正体
  • 3
    イタリアにある欧州最大の活火山が10年ぶりの大噴火...世界遺産の火山がもたらした被害は?
  • 4
    若者に大不評の「あの絵文字」...30代以上にはお馴染…
  • 5
    50歳を過ぎた女は「全員おばあさん」?...これこそが…
  • 6
    「サイドミラー1つ作れない」レアアース危機・第3波で…
  • 7
    ホルムズ海峡の封鎖は「自殺行為」?...イラン・イス…
  • 8
    「タンパク質」より「食物繊維」がなぜ重要なのか?.…
  • 9
    ブラッド・ピット新髪型を「かわいい」「史上最高に…
  • 10
    コメ高騰の犯人はJAや買い占めではなく...日本に根…
  • 1
    気温40℃、空港の「暑さ」も原因に?...元パイロットが指摘する、墜落したインド航空機の問題点
  • 2
    大阪万博は特に外国人の評判が最悪...「デジタル化未満」の残念ジャパンの見本市だ
  • 3
    庭にクマ出没、固唾を呑んで見守る家主、そして次の瞬間...「信じられない行動」にネット驚愕
  • 4
    ブラッド・ピット新髪型を「かわいい」「史上最高に…
  • 5
    「セレブのショーはもう終わり」...環境活動家グレタ…
  • 6
    「サイドミラー1つ作れない」レアアース危機・第3波で…
  • 7
    「タンパク質」より「食物繊維」がなぜ重要なのか?.…
  • 8
    右肩の痛みが告げた「ステージ4」からの生還...「生…
  • 9
    アメリカは革命前夜の臨界状態、余剰になった高学歴…
  • 10
    「うちの赤ちゃんは一人じゃない」母親がカメラ越し…
  • 1
    日本の「プラごみ」で揚げる豆腐が、重大な健康被害と環境汚染を引き起こしている
  • 2
    【定年後の仕事】65歳以上の平均年収ランキング、ワースト2位は清掃員、ではワースト1位は?
  • 3
    一瞬にして村全体が消えた...スイスのビルヒ氷河崩壊の瞬間を捉えた「恐怖の映像」に広がる波紋
  • 4
    庭にクマ出没、固唾を呑んで見守る家主、そして次の…
  • 5
    大爆発で一瞬にして建物が粉々に...ウクライナ軍「Mi…
  • 6
    「ママ...!」2カ月ぶりの再会に駆け寄る13歳ラブラ…
  • 7
    あなたも当てはまる? 顔に表れるサイコパス・ナルシ…
  • 8
    ドローン百機を一度に発射できる中国の世界初「ドロ…
  • 9
    【クイズ】EVの電池にも使われる「コバルト」...世界…
  • 10
    気温40℃、空港の「暑さ」も原因に?...元パイロット…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story