コラム

ウィンブルドン「三日間の死闘」に見るスポーツの真髄

2010年06月25日(金)09時04分

 私は、2日目の第5セット第68ゲームあたりから見始めたのですが、とにかく試合に引き込まれてW杯どころではなくなってしまいました。スポーツ中継でのこんな経験は、滅多にあるものではありません。3日間、計11時間強に及んだ試合は、3日目になって再開後1時間10分後にあっけない、しかし素晴らしい幕切れを迎えました。幸いにデンマーク戦の前に、この試合が終わってくれたのでサッカーも見ることが出来ましたが、私にはまだまだこのテニスの試合の余韻が残っています。

 ウィンブルドンの大会第2日目、第18コートで行われた、フランスのニコラ・マユ選手とアメリカのジョン・イスナー選手の1回戦の試合は、火曜日の22日の夕刻から開始、第1セットと第2セットはお互いにサービスをブレークしてそれぞれが取ったのですが、第3セットからはそれぞれにサービスゲームをキープして、全く譲らない展開になりました。セットカウント2−2になったところで、既に試合時間は3時間近くになっており、照明を使わない伝統(最近のセンターコートは例外ですが)に従って、日没サスペンデットとなったのです。

 翌23日、午後2時過ぎに試合は再開されて第5セットが始まったのですが、依然としてお互いにサービスをキープして全く譲らない展開が続きました。ウィンブルドンの場合は、男子シングルスの最終セットではタイブレーク制がないのです。ということは、通常のゲームを続けて、ゲームポイントの差が2になるまで続けることになります。例えば、今年のウィンブルドンでも、1回戦のデベッカー選手(オランダ)対ジラルド選手(コロンビア)は第5セットの第30ゲームまで戦ってデベッカー選手が勝っています。ちなみに、この史上最長試合に勝ったイスナー選手は、このデベッカー選手と2回戦を戦う予定で、何とも不思議な因縁が続くのです。

 この23日の第5セットは最終的には第118ゲームまで戦われて59−59のタイというところで、再度の日没サスペンデットとなりました。この日の1セットだけで7時間を越える「死闘」であり、ここまでのトータルの試合時間は10時間、更に翌日24日の午後3時半に再開された試合は、再び双方がサービスをキープし続け、68−68まで行ったのです。3日目になっても、双方のスピリットには全く衰えがなく、ピンチには必ず集中して素晴らしいゲームが続いていました。

 ゲームが動いたのは、3日目の再開後19ゲーム目にあたる、第5セットの第137ゲームでした。イスナーは、0−30とピンチを迎え、一旦は30−30に戻したものの、30−40とブレイクポイントを迎えたのです。ここからイスナーは、再び集中力を見せてジュースに持ち込みこのゲームをキープしました。この辺りから、イスナーはラケットの上で、それまでやっていなかった「小さく十字を切る」動作を始めており、「勝ちに行っている」気配が漂っていました。

 そして迎えた第138ゲーム(3日目再開後の第20ゲーム)、30−40でマッチポイントを握ると、イスナーは鮮やかなパッシングを決めてワンチャンスをものにしたのでした。この第5セットの最終スコアは68−70、25歳、2メートルを越す長身で全米ランキング2位のパワーテニスをする若者が、28歳のフランスの試合巧者を制した形になりました。

 では、この試合の何が素晴らしかったのか? それは特に2日目の第5セット以降において、両者の集中力が全く途切れることがなかったということです。2人とも、私が見始めた68ゲームあたりでは、かなり「フラフラ」な状態だったのは事実です。特に80ゲームを過ぎるあたりから、2メートルを越える長身のイスナー選手は、かなり「足が止まった」状態でしたし、時折りバックハンドの「空振り」なども起きていました。

 マユ選手の方も、疲労の色が濃かったのですが、TVの解説によれば「延々とアドレナリンが出続けている」ようで、疲労のための凡プレーでピンチになると、物凄い集中力でセーブしてくるのです。その精神力が、イスナー選手にも乗り移ったようでした。再開後の3日目も、両者コンディションを戻してきたばかりか、精神面では全く変化がないようでした。結果的に3日目も20ゲームを戦うことになったのです。

 この試合ですが、色々な要素が重なったために起きたように私は思います。まず、実力ということでは、世界ランキング23位(最高は19位)でアメリカではロディック選手に次ぐ「ナンバー2」であるイスナー選手の方が上であることには異論はないようです。ちなみに、マユ選手はダブルスの方が有名なぐらいで、現時点でのランキングは149位(最高は40位)という中堅です。ただ、見ていて気づいたのですが、このマユ選手は小技が物凄くうまいのです。例えば、サーブはそんなに高速ではないのですが、イスナー選手にほとんど負けないぐらいのエースを取っているのは、全てコントロールと相手の動きを見てのテクニックがあるからだと思います。

 これに対して、イスナー選手はパワーで押して来るわけで、両者のスタイルは全く異なっている、そればかりか、恐らくお互いに非常にやりにくいタイプ同士のように見えました。全く異なるスタイルで、しかもそれぞれにエースを連発するし、ブレークされそうになったり追い込まれた局面は、ほとんどエースで決めてくる、これがお互いに90ゲーム近く連続でのサービスキープという奇跡的な結果になったのだと思います。

 マユ選手はアドレナリンが出すぎたのか、時々相手のリターンエースのボールに対してダイビングを試みるなど激しいプレーをして場内を沸かせていました。驚異的なのは、激情のままにムリなダイビングをしたような直後は、フッと気が抜けて崩れるようなケースがあり得るのですが、マユ選手は全く動揺しないのです。数回だけですが、マユ選手は判定に抗議をしたり(審判は「恐らくは、歴史的試合を大事にするために」サラリと受け流していましたが)したこともあったのですが、判定が覆らないと、しっかり割りきって切り替えてくる、その精神の強さには本当に驚きました。

 そのマユ選手は、敗戦後はタオルをかぶってうつむいたまま、全く動かなくなってしまいました。ですが、ウィンブルドンの協会が「2人とも、そして素晴らしい主審も含めて勝者は3人」という特別表彰を用意するという粋な計らいをしており、それぞれのインタビューもあったのですが、イスナー選手が「2人とも勝者だと思います」と述べると、マユ選手も「イスナー選手と戦えたのは名誉」と応じ、2人で「何よりも素晴らしい観客と主審に支えられました」と謝辞を述べていました。タオルをかぶってしまうほど恐らくは内心は落胆していたマユ選手ですが、インタビューでは全くそうしたネガティブな素振りは消えて両者ニコニコ握手をしていた、これも大変に素晴らしかったと思います。

 色々な奇跡の詰まった歴史的な勝負でしたが、一番のポイントは両者が激しく戦う中で、明らかにお互いに対する尊敬が生まれていたこと、その結果、お互いの精神の強い部分を学び合って、ゲームのクオリティを維持できたことだと思います。1つだけ、予言めいたことを言うなら、ジョン・イスナーという選手は、この経験をバネにもっと上へ行くような選手に脱皮するのではと思います。3日間の激闘で、ヒジを酷使しているのは心配ですが、見たところ関節が非常に柔らかそうですから大丈夫でしょう。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

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