コラム

COP15に見る「アメリカという途上国」

2009年12月21日(月)12時49分

 COP15は目標値設定を先送りし、排出ガス削減義務の宣言も見送るなど、今ひとつの成果に終わりました。日本の交渉も実務当局は頑張ったようですが、世論や財界がしっかりまとまっていないので迫力に欠けていました。全世界を厳しい目標値に誘導することは、環境ビジネスのチャンスを生むだけでなく、低い生産技術の使用が高コストになることで日本の産業界の比較優位を生み出します。そんな「競争のルール」の取り決めを戦っている、しかもそれは日本の国益に合致するという決意をもっと固めておかねば、相手のある戦いには不十分です。

 今回の失敗の原因は中国ですが、アメリカがなかなか前向きにならないというのも、大きな要因だったように思います。そもそも2005年比で17%削減という低い目標を掲げたのでは、11月27日のエントリで申し上げたように最初からヤル気などないに等しいわけですが、ではどうして「チェンジ」を掲げて当選したオバマ政権下のアメリカで環境問題への認識がなかなか進まないのでしょうか?

 それは、一見先進国に見えるアメリカが内部には「途上国」を抱えているという問題です。アメリカは分裂しています。特にこの環境という問題に関しては、カリフォルニアや東北部という「先進国」と、中西部から南部といった「途上国」に分裂しているのです。例えば、自動車の環境規制の問題では、例えばカリフォルニアという「極端なクルマ社会」がつねに大気汚染の問題に悩み続け、その対策としての環境規制でアメリカを引っ張ってきた歴史があります。ですが、どうしてもその他の地域では関心は薄いのです。

 どうして関心が薄いのかというと、風土が全く異なるからです。まず中西部ですが、人口密度が低く、特に農業地帯では人々は分散して住んでいます。ここでは、今でも開拓時代の精神が生きています。開拓の精神(フロンティア・スピリット)というと、何となく自信満々の人々がリスクを取って自然と格闘しているというイメージがあります。ですが、本当は違うのです。フロンティア・スピリットの影には、自然の猛威への恐怖、原住民(インディアン)の襲撃への恐怖、そして何よりも孤立への恐怖があるのです。この地域の人々が宗教保守主義に走るのは、恐怖心や無力感を克服するために宗教による全能感を欲する心理があると言えます。

 彼等は、そこで「自分は神に選ばれた人間」だという理解を通じて一種の全能感を獲得するのですが、それは「大自然の猛威の前にはこんなにちっぽけな人間」ではあるが「神に選ばれた存在」である以上は、人智を尽くして創意工夫を行って自然と闘ってゆくことができる、そんな「気概」を抱くことになります。ここにフロンティア・スピリットが生まれるのです。その全能感、選民思想といったものは「自然にいかなる改変を加えても構わない」という意識になるのですが、更にその原点には「自然の猛威、地理的孤立」への恐怖があるために、その反動として「何をやっても良い」という意識、更には「たかが人間が自然環境をコントロールできるわけがない」、あるいは「自分自身が生存の恐怖にさらされているのに、どうして都市住民のエコという偽善につきわなくてはいけないのか」という意識になってゆくのです。

 ガソリンを浪費するだけのバカバカしい巨大SUVは、今でこそ人気が落ちましたが、一時期に大変なブームになったのにはこうした心理があるのです。そんな彼等にとっては、航続距離は非常に大事な概念であり、そのためにエコカーには関心が薄いのです。

 ところで、保守的な中西部に対して北東部はリベラルなイメージがありますが、クルマに関する認識ではカリフォルニアほど「左」ではありません。というのは、この地域では冬の低温と豪雪という問題を抱えているからです。先週末の北東部はちょうど大寒波で、ワシントンDCでは非常事態宣言が出るなど、摂氏マイナス8度の低温の中、一日で40センチとか60センチの雪が降って交通はマヒしました。こうした環境では、どうしてもエコカーだけでなく、保険として航続距離が長く低温対策のしてある4WD車が求められてしまうのです。

 余り知られていませんが、このような低温下ではハイブリッド車のパフォーマンスは低下します。トヨタのプリウスなどは、氷点下の低温下では、暖機運転から走り出してエンジンが暖まるにつれて、バッテリーの効率を細かく調整する複雑なシステムが入っているようですが、そもそも内燃機関を持たないEVの場合は、極低温では「死んでしまう」のだと思います。また、EVの航続の短さというのは厳冬期には生命に関わるという問題もあります。

 ですから、北東部の場合はいわゆるフロンティア・スピリットとはまた別の問題として、エコカー普及には障害があります。こうした自然観と環境の問題は、どうしても地域性が出てしまうのです。一言で言えば、環境に対して「自分は加害者なのか、被害者なのか」という問題です。今回のCOP15を失敗に追い込んだのは途上国のエゴという言い方がありますが、彼等からすると高い生活水準を達成した果てに「自分は環境への加害者」だという認識が出来ると言うこと自体が「成功者に許された傲慢な贅沢」なのだと思います。

 実態としては「加害者」になっているのにも関わらず、心理的には「過酷な自然の被害者」「成長のタイミングとして遅れをとったという損な役回り」という被害者意識から自己中心的な姿勢になる、そういった流れです。であるならば、アメリカもまた内部に「途上国」を抱えていると言って良いでしょう。2005年比17%削減という「いい加減な」目標値の背景にはこうした問題があると思います。

 ただ、こうした「孤立」や「低温」への恐怖というのは、いくらでもビジネスチャンスに転じることが可能なものです。環境と航続距離、低温性能の両立というテーマを技術力で乗り越える気概、それこそが本当の意味でのフロンティア・スピリットと言えるでしょう。もしも、デトロイトという寒冷の地をベースとしたGMがEVに本気を出しているのであれば、決して侮るべきではないと思います。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

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