コラム

アイスランドがデンマークの統治下に置かれていた時代の物語『ゴッドランド/GODLAND』

2024年03月28日(木)17時09分

たとえば冒頭では、司教が旅立つルーカスに注意を促している。合流する地元のガイドについては、「現地の人間は、天候や河や氷河について数百年の経験から学んでいる。彼の知識が必要だ」と説明する。さらにはより具体的に、「水位が上昇すれば河の流れや深さを読むのが難しい」とも語る。だが、そんな話の途中で報酬のことを尋ねるルーカスが、司教の言葉を胸に刻んでいたかは疑わしい。

この冒頭の場面も含め、本作では、自然のなかでも特に水という要素が強く意識されている。アイスランドに向かう船上では、同行する通訳が、「小雨」、「驟雨」、「霧雨」、「豪雨」など雨を意味するアイスランド語を次々に挙げていく。それらは自然や気候を理解する手がかりになりそうだが、ルーカスにとっては煩わしいだけで、関心を示そうとはしない。

ルーカスと通訳が旅の途中で渓谷の奥にある滝まで足を延ばす場面は、独特のカメラワークが印象に残る。ふたりは半裸で解放感に浸るが、彼らの視線の先にある滝はすぐには見えてこない。やがて滝の最上部からカメラが下降を始めると、凄まじく高い滝であることがわかり、最後に滝つぼの手前に米粒のような人影が見える。

このカメラワークで見る滝は、異様なほどの威圧感を放っているが、滝つぼの前で解放感に浸るルーカスには、それを感じとることはできなかっただろう。そのすぐ後で、独断で渡河を強行しようとする彼は、「ただの水だ」と囁いているからだ。

神話的な物語を予感させるようなエピソード

一方、ラグナルについても思い出すべきエピソードがある。ルーカスと合流した彼は、荷物を見分し、教会に掲げる十字架を半分にし、重量を分散させることを提案していたが、のこぎりがないということで、そのまま運ぶことになった。

渡河を強行したとき、最初にバランスを崩すのは十字架を背負った馬であり、それを引いていた通訳の馬もバランスを崩し、十字架と通訳が流されることになる。

野心ゆえにあえて遠回りになる陸路を選んだルーカスは、試練を乗り越えることもなく、異国の現実に激しく打ちのめされていく。

そして、目的地の村を舞台にした後半にも、一瞬だけ神話的な物語を予感させるような、興味深いエピソードがある。

瀕死の状態で農夫カールの家に運び込まれたルーカスが目覚めたとき、ラグナルと労働者たちはすでに教会の建設を進めている。彼には旅の記憶がほとんどないらしく、自身の居場所を見出せない状態に陥っている。

注目のエピソードは、地元の若い男女の結婚式から始まる。それは牧師が役割を果たす機会のはずだが、ルーカスは教会が完成していないことを理由に関わることを拒み、カールを呆れさせる。

若い男女は、骨組みだけの教会で、牧師抜きで式を挙げ、その後、ダンスが始まる。ルーカスは、カールの許しを得てアンナと踊る。その頃、教会の前では、アイスランドのレスリングであるグリマが始まっている。

カールは娘たちに急き立てられるようにグリマの挑戦者となり、相手を倒して勝利を収める。すると今度はカールが、ルーカスを挑戦者に指名する。ここで見逃せないのは、その気がないルーカスにアンナが、「父はあなたと踊りたいのよ」といって説得することだ。

アイスランドとデンマークの複雑な関係を炙り出す

彼女の言葉は、このダンスからグリマへの流れが、ルーカスが集団に加入するためのイニシエーションになることを示唆している。ルーカスを挑戦者に迎えたカールの対応もそれを裏づける。彼はルーカスにグリマを教えつつ、勝ちを譲ることで、ルーカスとラグナルが対戦する機会を演出する。

冒頭で司教はルーカスに、「現地の人々と環境に適応するように努めろ」とも語っていたが、ルーカスがグリマでラグナルと対戦すれば、アイスランド人の集団に帰属することになるだろう。だが、彼らの対戦を見つめるアンナたちの顔が曇っていくように、それはただの主導権争いにしかならない。

しかし、こうした展開を通してルーカスとラグナルの間の緊張が高まっていくことで見えてくるものがある。彼らは同じような恐れや葛藤を抱え、立場が違えば深く共感できたかもしれないが、支配/被支配の関係によって引き裂かれていく。

パルマソンは、脱神話化ともいえる独自の視点によって、アイスランドとデンマークの複雑な関係を炙り出すと同時に、自然のなかの極めて小さな存在としての人間の姿を浮き彫りにしてもいる。

プロフィール

大場正明

評論家。
1957年、神奈川県生まれ。中央大学法学部卒。「CDジャーナル」、「宝島」、「キネマ旬報」などに寄稿。「週刊朝日」の映画星取表を担当中。著書・編著書は『サバービアの憂鬱——アメリカン・ファミリーの光と影』(東京書籍)、『CineLesson15 アメリカ映画主義』(フィルムアート社)、『90年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)など。趣味は登山、温泉・霊場巡り、写真。
ホームページ/ブログは、“crisscross”“楽土慢遊”“Into the Wild 2.0”

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

FRB追加利下げは慎重に、金利「中立水準」に近づく

ビジネス

モルガンS、米株に強気予想 26年末のS&P500

ワールド

ウクライナ、仏戦闘機「ラファール」100機取得へ 

ビジネス

アマゾン、3年ぶり米ドル建て社債発行 120億ドル
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:世界も「老害」戦争
特集:世界も「老害」戦争
2025年11月25日号(11/18発売)

アメリカもヨーロッパも高齢化が進み、未来を担う若者が「犠牲」に

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」に...日本からは、もう1都市圏がトップ10入り
  • 2
    悪化する日中関係 悪いのは高市首相か、それとも中国か
  • 3
    「中国人が10軒前後の豪邸所有」...理想の高級住宅地「芦屋・六麓荘」でいま何が起こっているか
  • 4
    【銘柄】ソニーグループとソニーFG...分離上場で生ま…
  • 5
    一瞬にして「巨大な橋が消えた」...中国・「完成直後…
  • 6
    山本由伸が変えた「常識」──メジャーを揺るがせた235…
  • 7
    南京事件を描いた映画「南京写真館」を皮肉るスラン…
  • 8
    経営・管理ビザの値上げで、中国人の「日本夢」が消…
  • 9
    「ゲームそのまま...」実写版『ゼルダの伝説』の撮影…
  • 10
    反ワクチンのカリスマを追放し、豊田真由子を抜擢...…
  • 1
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」に...日本からは、もう1都市圏がトップ10入り
  • 2
    一瞬にして「巨大な橋が消えた」...中国・「完成直後」の橋が崩落する瞬間を捉えた「衝撃映像」に広がる疑念
  • 3
    まるで老人...ロシア初の「AIヒト型ロボット」がお披露目会で「情けない大失態」...「衝撃映像」がSNSで拡散
  • 4
    「死ぬかと思った...」寿司を喉につまらせた女性を前…
  • 5
    【銘柄】ソニーグループとソニーFG...分離上場で生ま…
  • 6
    【写真・動画】「全身が脳」の生物の神経系とその生態
  • 7
    筋肉の正体は「ホルモン」だった...テストステロン濃…
  • 8
    「イケメンすぎる」...飲酒運転で捕まった男性の「逮…
  • 9
    ヒトの脳に似た構造を持つ「全身が脳」の海洋生物...…
  • 10
    「中国人が10軒前後の豪邸所有」...理想の高級住宅地…
  • 1
    【クイズ】本州で唯一「クマが生息していない県」はどこ?
  • 2
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」に...日本からは、もう1都市圏がトップ10入り
  • 3
    英国で「パブ離れ」が深刻化、閉店ペースが加速...苦肉の策は「日本では当たり前」の方式だった
  • 4
    【クイズ】ヒグマの生息数が「世界で最も多い国」は…
  • 5
    一瞬にして「巨大な橋が消えた」...中国・「完成直後…
  • 6
    「不気味すぎる...」カップルの写真に映り込んだ「謎…
  • 7
    【写真・動画】世界最大のクモの巣
  • 8
    【クイズ】クマ被害が相次ぐが...「熊害」の正しい読…
  • 9
    まるで老人...ロシア初の「AIヒト型ロボット」がお披…
  • 10
    今年、記録的な数の「中国の飲食店」が進出した国
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story